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第9話 追放勇者、ケジメをつける【その4】

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 イリサーヴァは当時、高い城壁に囲まれていた。壁に使われていた石は一つ一つに浄化の紋が彫られ、邪悪なものは絶対に寄せ付けないと、街の首長は自負していた。
 鉄壁の街とも言われていたが、そんな壁の一端が、易々と破壊された。魔王の側近である、三鬼神の仕業だった。絶対無敵と思われていた壁が壊され、魔物が一気に雪崩れ込んだ。
 必ず守られている、壁が破られるわけがない。という奢りと、夜襲であったこともあって、イリサーヴァはものの一晩で滅んだのだった。

 街の住人たちの遺体は、お世辞にも丁寧には葬られなかった。葬ることができなかった。
 街の中心で、魔王の魔瘴気がバラまかれていたのだ。濃い魔瘴気は、触れるだけで命を落とす。
 皮肉にも、城壁の浄化能力が作用していたことで、魔瘴気は壁を抜けることなく外部には漏れなかった。しかしそれが、被害をさらに拡大させたとも言われている。

 結果、街の中は魔瘴気で満たされた。遺体は穢れ、そして腐敗した。このまま放っておけば、伝染病などの発生の帰来もあった。
 そのため、七勇者が一人『ヒメコ=グラセオール』の炎の呪文と、『ボッサ=シークレ』の浄化の術式を用いて、街全部を一度に弔うこととなった。

 ボッサは空を見ていた。遺体が焼け、立ち上る煙をずっと眺めていた。
 煙はどこまでも、果てしない空へ吸い込まれていった。

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 封じられていた街の入り口は、何者かにこじ開けられていた。誰がやったのかは、容易に想像できる。
 サックは特に臆することなく、ただまっすぐを見据え、街の中心にある広場を目指した。サックの目論見が正しければ、彼はそこにいるはずだ。
 ビルガドの街で急ごしらえした『フェンサーマント』が、時折吹く北風になびく。

「私、入るの初めてです」
 サックをイリサーヴァ正門跡まで送り届けたクリエは、彼の忠告を無視し、勝手についてきていた。
 なお、当初心配されていた『女神のつばさ』定員は、かろうじて二人分までなら移送可能であることが証明された──サックは移動中ずっと、クリエの体に抱きついた状態、という非常に不格好かつ、危険な様相ではあったが。

「警告はしたぞ。それでも帰らないか」
 はぁ、と、ため息交じりでサックが話す。
 左頬に受けたクリエの平手打ちの跡が痛々しい。
 すると、はあぁぁぁぁぁ、と、それ以上の大きなため息をつきながら、クリエは反論した。

「あのですねぇ、運送費がタダなんて、虫のいい話ありません! しかも移動中、変なところ触られまくったし!」
「こっちも、落ちまいと必死だったんだぞ」
「とにかく! 運賃以上の情報を頂かないと、私も帰れません。腐っても新聞屋ジャーナリストですからね!」
「腐っている自覚はあるんだな」
 ふふっ、と、サックは鼻で笑った。
 そして、いつものクリエなら10倍くらいの嫌味を言い返すところを、特に反論せず、クリエも微笑んだ。

「やっと、笑ってくれましたね、息が詰まりそうでした」
「……そんなに、険しい顔してたか?」
「ええそりゃもう、まるで赤鬼レッドオーガみたいでしたよ」
 クスクスと、悪戯っぽくクリエが笑った。
「……レッドなのは、ビンタの跡の所為じゃないかな」
 それにつられてか、サックの口元も緩んだ。

「サックさん……見届けさせてください。あなたの覚悟を」
「ああ、新聞に乗せるときは、美化三割増しで頼むぜ」
「それはできません、捏造になります」
 そんな、サックとクリエの漫才のような会話を尻目に、彼らは街の中心に近づいていった。
 奥に進めば進むほど、崩れた石造りの建物の表面の焦げ色は濃くなっていく。

 魔物の襲撃を受けたとき、街の住人は、街の中央に立てられている巨大な『女神の像』に向かって避難してしまっていた。神聖な守りの加護が付与されていた像ならば、邪悪な魔物は近づけないはずであったが、しかし、敵の数が多すぎた。
 女神の加護は破られ、最終的には、中央の広場では多くの遺体が折り重なっていた。
 サックたちは、その悲劇の場に近づこうとしていた。

「うっ……」
 クリエが口を押さえていた。聞き及んでいたことであるが、いざ自分が、その現場に近づいているという現実を想像したら、自然と吐き気を催していた。
「クリエ、下がるなら今だぞ」
「いえ、できるだけ最後まで見届けます。ですが……」
 クリエは言葉をつづけた。
「私も死にたくないので。サックさんの合図があったら、手筈通りに逃げますよ」
「賢明だな。方角を示すから、その時はその方向へ退けよ」
「はい」
 クリエは、事前に渡された薬瓶を握りしめた。右手の骨折は、サックが調合した回復薬で治癒してもらっていた。


 *


 女神の像はいまだ健在だった。所々にひびが走り、表面はすすけていたが、形はしっかり保たれていた。十分視認が可能だ。

 イリサーヴァ中央広場。
 平和だった時代は、民が集まり憩いの場として開放され、また、記念式典などの催し物も行われていた。
 街の中央に大きく開けた場所は、全方位からも中央が良く確認できた。

 そこの女神像の袂に、ボッサが立っていた。福音奏者のマントの代わりに白い外套を身に着け、司祭が着る服には汚れやシミ一つなく、真っ白な装いだった。右手には長い杖のようなものを持ち、じっと、女神像を見上げていた。
 それともう一人。彼女も、女神像の足元──ボッサの横に立っていた。ちょうど後ろ向きだったため顔は確認できないが、子供と見間違うほどの小柄な体型と、ネコ属独特の尖った髪型(毛並み)は、サックには見おぼえがあった。

「アリンショアっ!」
 中央広場の端から、サックは呼びかけた。しかし、アリンショアは微動だにしなかった。その代わりに、ボッサが振り向いた。

「来ましたか」
 元々の細い目をさらに細め、小さく口角を上げて微笑んだ。年齢は40を越えたばかりなはずだが、白髪や体つきの所為か、もっと年老いて見えた。

 中央広場に入ったサックだが、歩みを止めなかった。女神像のほうへ向かいながら、サックはボッサに呼びかけた。
「止めに来たぞ、ボッサ!」
「……なにを、ですか?」
 すると、サックは歩みを止めた。まだボッサとは距離が十分離れている。まるで、今の彼らの心の距離を表しているようであった。

「ボッサ、お前さ、そこまでやるか。気付いたときには血の気が引いたぞ」
 サックの声は、周囲の静けさもあってボッサの耳に十分届いた。
「……」
 ボッサは何も答えなかった。

「……大浄化術式イア=ナティカ、だな」
「ええっ!」
「……ほう」
 ボッサの代わりに、サックが答えた。それは、魔王城前決戦で使用された、強大な浄化術の名前だった。後ろからついてきていたクリエが、つい声を上げて驚いてしまった。

「ボッサが通ったと思われる街を線で結ぶと、大陸の大都市を全て囲っていた。そこで、ピンと来た。魔王城前決戦で魔物を殲滅させた、あの大浄化式だ、ってな」
 左手の人差し指で、空中にくるくると弧を描いた。最北の魔王城から、ボッサの通ったと推察される街をたどると、大陸をぐるりと周遊し、大都市を全て含んだ円になるのだという。

「お前……人間を『浄化』させる気だな」
「……!!」
 その場で一番驚愕したのは、クリエだったのかもしれない。彼女は目を見開き、口元を手で押さえた。

「お見通しでしたか。流石ですね」
「いんや、思いつき。けどその返事ってことは、あながち間違いではなさそうだな」
 サックには確証はなかった。だから少し、かま・・をかけた。ボッサはまんまと、それに足を掬われた格好だ。

 ボッサの目尻が、少しヒクついた。未だ口元は笑みを作っているが、内心はサックへの怒りに溢れているのだろうか。
「やっぱり、昔からあなたのことが苦手です」

 するとボッサは、携えていた杖──いや、布を被せた槍だ──を縦に構え、石突きで地面を小突いた。
 コン、と、石畳とぶつかる音が広場に響く。
 すると、先ほどから後ろを向いていたアリンショアが、ゆっくり振り向いた。

「──やりやがったな、ボッサ」
 アリンショアを正面に構え、サックの顔が一層険しくなった。
 アリンショアの顔には全く精気が無かった。目は虚ろで、焦点は合ってない。口は半開きでヨダレを垂らしていた。

 なにより、サックは既に深層鑑定ディープアナリシスによって、アリンショアの真相は覗き見えていた。

死者傀儡ネクロマンス……!」

 彼女は既に、死んでいたのだ。
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