狗神と白児

青木

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本編

第三話 目覚め

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 台所では、大福が一人せっせと夕餉の支度をしている。
 煮立つ雪平鍋には豆腐と長葱が入れられており、赤味噌を溶いて混ぜる。次に、隣の両手鍋。醤油の加減を確認する為、汁を小皿に掬い、飲んでみる。少し薄いと感じて醤油を足す。ブリと大根自体は順調に柔らかくなっているので、心配は無さそうだ。ガス竈で炊いた白飯は保温が効く。あとは副菜に、頃合いになったきゅうりの浅漬けか、やはり食べ慣れた梅干しか……。
(旦那様はお優しい方だから、ほんとにあいつをうちに置くンだろなぁ)
 大福は食料庫を窺いながらも、主人が連れて帰ってきた人間のことを思うと、手が疎かになる。
 人間を見たのは久しぶりだし、〈神宿り〉という存在に至っては伝説だと思っていた。まだ幼く、知識の無い大福は、妖ではあれど「ニオイ」の特別さも初めて知ったので、未だに不思議な感じがする。だが、古き妖の主人が言い切るのだから確かだ。たまに気紛れで、真顔で冗談を言う時もあるが、一大事に関わるような嘘を吐く方ではない。仕えて浅い身でも、それくらいは分かる。
(あいつが新入りってことは、オイラは使用人としての先輩だな。みっちり指導してやらンと)
 大福は、何となく浮かれた気分になりながら、結局梅干しの瓶を手に取り、食料庫を閉めた。

  ◆◆◆

「目を覚ましたか」
 低い男の声がした。
 天井から降る、行灯とは異なる眩い光に眉をひそめつつ、泉は自然とそちらに目を向ける。ぎょっとした。「人ならざるモノ」だ。眩しさなど一瞬のうちに忘れ、飛び起きようとした。しかし――
「無暗に起き上がるな。眩暈を起こすぞ」
 見えない何か――まるで、透明な手に優しく肩を押さえられたような感覚があり、頭を枕に乗せたままにさせられた。そして、その時に違和感を覚えた。やけに頭が軽い。肩にかかるほどには伸ばしているはずの髪が、寝転んだにしては広がらない。
「その反応も当然だが、まずは言葉を交わそうか」
 羽織をまとう長着姿の上に、黒犬の顔がある。死の淵で見た異質な姿が、泉の脳内で蘇った。雨降る満月の夜に川へと捧げられ、何か大きな「力」を注がれるまでの回想も駆け巡る。息も絶え絶えだったはずなのに、どことなく思い出せる不思議さがあった。
「私のことを覚えているか」
 犬の目から見下ろされる居心地の悪さに苛まれながらも、泉は素直に頷く。
「それなら話は早い。お前は、あれから三日三晩眠っていた」
 驚いた。汗と喉の渇きは酷く、倦怠感はあるが、それ以外は無い。血に塗れ、酷い怪我をしていたはずだ。なのに、痣も傷も見当たらないという想像がつくくらい、平気な体をしている。たった三日で全快するなど信じられなかった。
「ここは……〈死者ノ國〉ですか」
 天井にある、花びらのような形の笠が妙に白く明るく、板の間に鮮やかな色彩の絨毯が敷かれ、寝かされている寝台も見慣れないものだ。大きな窓は開け放たれているように夜の外を映すが、風は入ってこない。知らない造りの部屋ということもあり、一層現実感が無い。
 だが、長着姿は頷かなかった。
「常世の、私の家だ」
「やっぱり……私、死んだんですね」
「何を言っている? ……ああ、そうか。人間の間では、常世と〈死者ノ國〉が同一視されるようになったのだったな」
 長着姿は考える目付きをして、それから続ける。
「本来、常世は妖怪が住む世界、現世は人間が住む世界を指す。妖も人も、命が尽きれば同じ〈死者ノ國〉へと逝く、と聞く。つまり、お前は、まだ生きている」
「妖怪……」
 泉は、ぞくりとした。幼子を脅かす作り話が、現実として目の前にあるのだから。
 恐怖。困惑。不安。分かりやすく表情に出る泉とは裏腹に、長着姿は平淡に探りを入れる。
「お前は、日照り乞いの贄にされたのか」
「はい……。川の神様がお怒りで、長雨が止まないからって……」
 高次存在を神と呼ぶ信仰は、人にも妖にも根付いている。その存在の真偽はともかく、少なくとも長着姿には、あの川の主に心当たりがある。
「あそこは波蛇なみじゃの……蛇の妖の根城だ。恐らく奴はお前のニオイを感じ、わざと川を荒らし、贄が寄こされるのを待っていたのだろう」
「ニオイ……」
 どことなく羞恥心を煽る言葉に泉は目を逸らし、方や長着姿は首を横に振った。
「体臭という意味ではない。呪力の零れと言うべきか……」
「じゅりょく?」
「やがて教える。とにかく、お前は無自覚なのかもしれないが、呪力をたっぷり蓄えている。闇雲極まりないが、妖と人が一線を交えてはならぬという名目上の掟がある以上は、狡猾な輩ならやりかねない。自分が水遊びをしていたら、たまたま人の子が流れてきただけだから……と」
「……」
「……今、話すべきことではないな。食欲はあるか」
 泉は首を横に振った。病み上がりということもあるが、黒犬の口から次から次へと出る摩訶不思議な言葉を処理し切れず、空っぽの胃袋を埋めたい気分になれなかった。
「では、明日の朝、使用人がお前を起こしにくるから、それまで休め。水差しと手拭いは脇机にある。体を清めたいのならば桶の水を使えばいい」
 簡潔な説明を聞くうちに、泉は寝かされて動けなかった体が、自由を取り戻していることに気付いた。ゆっくりと腕を出し、違和感のある髪を触る。肩にかかる長かった髪が、顔の輪郭を隠すだけの短さしかない。
「あの」
「質問なら今日は一つだけだ。明日からであれば、幾らでも受けつける」
「この髪、いつの間に」
 犬の目は泉をちらりと見たが、夜を映し出したままの側に歩み寄り、窓掛けを閉め切る。
「お前が眠っている間に切った。〈神宿り〉の頭には呪力が宿りやすい。その力を持て余しているようなら、短い方が良いと思ってな。和王国より西の向こうの言葉では、ボブ・カットと呼ぶらしいぞ」
 さらりと言って退ける様子から冷酷さを感じず、だからこそ泉は戸惑った。恐らく善意なのだろう。だが、知らぬ間に、「人ならざるモノ」から髪を切られてしまったのだと思うと、どうしても好意的には受け入れられない。
「泉」
 不意に名前を呼ばれた泉の心臓が、奇妙に震えた。
「これからは、誰に対しても、迂闊に真名まなを明かしてはいけないよ。名は魂と等しく、高位の者に知られてしまえば、それだけで命取りになるかもしれない。この世には、実際にそういった術がある。そこで、お前に新しき名を授ける。『シロ』。お前の名はシロだ。これよりそう名乗れ。そして、お前は私の〈白児しらちご〉だ」
 長着姿は扉の前に立ち、去り際に言い残す。
「改めて名乗ろう。私は妖、狗神と呼ばれる。真名は斬刃隠ノ上きばいぬのかみ。だが、普段は通名の『まだら』と呼んでくれ」
 ぱたりと、扉は閉められた。

  ◆◆◆

 一人きりになった室内で、泉は少しずつ体を起こした。汗ばんだ体は嫌になるが、かと言って清める気力もまだ無い。せめて水を飲むことにした。
(私は、シロ……。じゅりょくって、かみやどりって、しらちごって、何?)
 何故、こんなことになったのだろう。
 父を亡くし、母を亡くし、幼い頃から奇行を晒す異端児として見られ、穢れに満ちた墓守りが川の水を使っていたから神は怒ったのだと言われ、もう何も無い自分には、大雨を鎮める為の生贄になるという道しか残されていなかった。
 自ら川の底を望んだわけではない。では、これからは、ここが自分の居場所なのだろうか? あの黒犬の顔を持つ男――妖怪に命を救われたとは言え、心の整理はつかない。
 ふと視線を落とすと、見慣れない浴衣を着せられていることに気付いた。帯の結び方がぐちゃぐちゃだ。三日三晩のうちに何をされていたのか、考え込むと不安になるので止めた。
 それでも、確かめなければならないことがある。喉が潤うと頭も回る。心許無い髪のくすぐりに急かされ、中途半端な感触に焦りながらも、浴衣を探り、枕元や脇机を見回した。
 生贄として選ばれ、せめて最期に持っていたいと懐に仕舞っていたはずの挿し櫛が、母の祈りが込められたお守りが無いことに気付き、泉は――シロは、項垂れた。
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