僕の名前は、猫将軍眠留

初山七月

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二章

3

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 先々週の、五月六日。
 体育祭の出場種目を決める、臨時HR。
 全国レベルのタイムを叩き出す昴は当初、1000メートルに出場することを皆からあたり前のように期待されていた。しかし昴は頭を掻き、済まなそうに言った。「1000メートルを二回走って優勝した後で、リレーの200メートルを予選と決勝の二回走るのは、ちょっとキツイかも」
 その言葉に、自分達が過酷な要求をしていたのだと気づいたクラスメイトは、こぞって昴に謝った。機を逃さず北斗が挙手し、皆に提案した。「昴は100メートル走と、男女混合リレーの第三走者を走ったほうが、獲得点数を稼げるのではないか」
 これは盲点だった。湖校体育祭のリレーは第一走者が100メートル、第二走者が200メートル、第三走者が300メートル、アンカーが400メートルを走る、いわゆるスウェーデンリレーだ。そして昴の300メートルのタイムは十組最速どころか、男女合わせてすら学年五位だったのである。シミュレーションの結果、昴が第三走者になれば、十組はリレーで3位に食い込むことが充分可能と判明した。組対抗男女混合リレーは点数が三倍だし、昴は100メートルでも2位入賞が見込めるとわかったので、北斗の提案通り昴は100メートルを走ることとなったのである。
 だが、先々週の臨時HRで行われたこの一連のやり取りは、二人が僕のためにした事だったのだと、今やっと気づけた。二人は、僕が決勝進出を目標に努力してきたのを知っていた。また二人は、僕があがり症を未だ引きずっているのも知っていた。よってあがり症のせいで決勝進出の道が閉ざされることの無いよう、北斗と昴は計画を立て、それを実行に移してくれた。僕はそれを、体育祭当日の準決勝直前になって、ようやく理解したのである。
 二人は嘘を付き、クラスメイトを騙したのではない。
 他聞を憚ることをしたのでもない。
 それでも二人がしたのは、胸を張って大っぴらにできる事では、決してないのだ。
 記憶が蘇った。
 神社に遊びに来た昴を見送ったあと、吐くように泣いた記憶が蘇った。
 僕は唇を噛み拳を握りしめた。そうだ、僕は誓ったじゃないか。
 人生二度目の大泣きをしながら、自分に誓ったじゃないか。
 僕は歩き続けると。
 前へ進み続けるのだと。
 昴が唇だけ動かし、言った。

  今を全力で生きて、眠留。
 
 目で頷き正面を向く。
 スタブロの前に立ち、息を大きく吐く。
 そして思った。
 あがり症だったのは、過去の僕だ。
 湖校歴代一位の反応速度を出したのも、過去の僕だ。
 昴に奇妙な気配を感じたのも、過去の僕だ。
 皆の注目を浴びてあがり症が鎌首をもたげたのも過去、全ては過去なんだ。
 ならば今は、今すべきことをする。
 このレースに、全力を注ぐのだ!
「位置について」
 スタブロに足を乗せ両手両膝を着く。
「用意」
 意識の重心を小脳と脊髄に移し、神経を研ぎ澄ます。
 生命力を圧縮していないのに、時間がゆっくり流れ始める。
 パ――ン!
 スタートだけでなく、僕は100メートル全てを不随意運動で走った。
 ゴールテープを断ち切る。減速し、上空を見あげる。そこには、
[一着、第3レーン猫将軍眠留。記録、11秒89。決勝へ当確]
 そう、映し出されていた。
 
 結局、僕は全体四位で準決勝を通過し、決勝へ進むことができた。
 昴も、全体二位で決勝へ進んだ。
 100メートル決勝を走る選手を二人出したのは十組だけだったので、僕と昴はクラスメイト達からモミクチャにされた。いや、文字通りモミクチャにされたのは、もちろん僕一人だったけどね。ははは・・・
 グラウンドでは今、走り幅跳びと走り高跳びの予選が行われていた。この二つの競技が始まる際、地面に貼られたトラック競技用の白線テープが透明になり、代わりに幅跳びと高跳び用のテープが白く浮かび上がってくるという演出がされ、応援席は大いに沸いた。こういう事にきちんと気を配り雰囲気を大切にするのも、湖校体育祭の特色の一つなのだ。そして幅跳びと高跳びの予選が終わりに近づいたころ、アナウンスが入る。
「プログラムナンバー十一番、ストラックアウトとフリースローの予選を行います。出場選手は白ゲート及び赤ゲートまでお集まりください」
「待ってました~」「ヒューヒュー!」
 アナウンス終了と同時に、そこら中からやんやの歓声が上がった。そして男女二人ずつの、四人の選手を僕らは拍手喝采で送り出す。このプログラムは体育祭唯一の、男女のペアで行う競技なのだ。
 湖校体育祭におけるストラックアウトとは、サッカーゴールを九分割してシュートのコントロールを競うこと。フリースローとは、バスケットボールをゴールネットに入れ得点を競うことだ。ただ、盛り上がりを重視する湖校体育祭において、これらが厳格に守られることは無い。なんてったって、体育祭はお祭りだからね。
 それを重々承知しているのだろう。
「おっ、選手が入場してきだぞ!」
「私これ、昔から大ファンなの!」
 皆が皆、自由気ままに期待と興奮を口にしている。礼節あるレディーとナイトが果敢な挑戦を繰り広げるストラックアウトは少年少女の心を揺さぶる、とても人気のあるスポーツなのだ。僕も鼻息を荒くしてグラウンドを見つめた。
 各ゲートから入場してきた選手達が、自分の組に背を向けた状態で四人ずつ並び終える。そこで、
 ピ――!
 とホイッスル。それを合図に選手全員がビシッと背筋を伸ばす。すると各組の選手達の前に、通常より大きめのサッカーゴールが計二十個、荘厳な音楽とともに3D映像で地面からせり上がってきた。この演出にグラウンド中からどよめきが上がる。そこで再び、
 ピ――!
 とホイッスル。それを合図に選手全員が回れ右をし、それぞれのクラスメイト達へにこやかに手を振った。
「「「ウオオ――!!」」」
 僕らは大興奮して、声にならない雄叫びを上げたのだった。
 
 現代日本の体育祭には、祖父母の時代には無かったものが三つ取り入れられている。一つは、教育AI。もう一つは、地面に貼られた白線テープ。そして最後の一つが、3D映像だ。
 祖父母の時代は石灰を使いグラウンドに白線を引いていたらしいが、今は白線テープを地面に張るのが主流になっている。この白線テープは信号を送ると透明になって見えなくなり、必要な白線だけをグラウンドに浮き上がらせる事ができる。小学校の運動会で、祖母が溜息混じりに言っていた。「このテープを使っている今のグラウンドに慣れると、石灰の白線が無数に引かれていた昔のグラウンドを、乱雑だと感じてしまう」と。
 空中に映し出される3D映像も、大きな変化の一つだ。この3Dのお陰で、体育祭の準備と運営が比較にならないほど楽になった。実を言うと湖校体育祭は、3Dだらけなのである。白ゲートと赤ゲートも3Dだし、二十クラス分の得点を表示する巨大得点表も3Dだし、応援ポスターやカラフルな装飾も3Dだから、体育祭の準備は途轍もなく楽。レースの並び順や連絡事項なども3Dで上空に映し出してくれるから、運営も非常に楽。教師がいなくても体育祭の準備と運営を生徒達だけでできる理由の一つは、この3Dにあると言われていた。
 しかし3Dの本領はそこにあるのではない。3Dの持つ最大の力、それは間違いなく、多彩なプログラムを組めるようになった事だろう。例えば祖父母の時代に、体育祭のためだけにストラックアウト用のサッカーゴールを二十も購入するなんて、夢物語でしかなかった。でも今なら、3Dで簡単に作ることができる。しかも、サッカーゴールが地面からせり上がってくるという、オマケさえ付けられるのだ。3D映像はまさに、体育祭に革命をもたらした技術なのである。
 然るに体育祭実行委員は、3Dでは成し得ない肉体労働を請け負うのが主な仕事と言えた。現に今も選手が手を振っている隙に、実行委員達がボールや補助演算機等々を大急ぎで設置してくれている。だから応援席にいる僕らは選手だけでなく、裏方として汗を流す体育祭実行委員達へも、惜しみない拍手を贈るのだった。
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