僕の名前は、猫将軍眠留

初山七月

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五章

見過ごし、1

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 母屋に着き、美鈴と二人でお弁当箱を洗った。いつもは輝夜さんと昴が交代で手伝ってくれて、今日は輝夜さんの番だったらしいが、僕がいるのだから僕が代わって当然なのである。それでも「お言葉に甘えさせてもらうね」と輝夜さんは微笑み、昴と並んで離れへ去って行った。見過ごしていることを未だ解明できずにいる僕は、億分の一でも償いになればと、輝夜さんの代理を真摯に務めた。
 でも、その時間はあっという間に終わってしまった。調理器具の片付けを、美鈴が事前に終わらせていたのだ。おそらく美鈴は、輝夜さんと昴に少しでも長く休憩を取ってもらいたくて、台所を綺麗にしてからお昼を食べ始めるよう心掛けているのだろう。その心遣いが、自責にもだえる僕の胸に、慈雨の如くしみわたって行った。
 ピクニックの片付けをすべて終え、自室へ引き上げた。扉を閉めるや足早あしばやになり、机の上に放置していたハイ子を手に取る。そして残念脳味噌なりに考えた推測を、僕はハイ子に放った。
「もしかして、美鈴のハイ子の中にいた?」
「はい、もちろんいました。そうしないと、紫柳子さんの名刺を美鈴さんのハイ子で映像化することは、できませんから」
 僕以外誰もいないのに砕けた口調ではなく、ですます調で申し訳なさそうに話すハイ子を、僕はこのとき初めて、二人目の妹と芯から感じたのだった。

「お兄ちゃんへ贈られた第一級名刺を映像化できるのは、原則お兄ちゃんだけです」
 椅子に座り聴く姿勢を整えた僕へ、ハイ子が事と次第を話し始めた。二人目の妹と感じたとたん一段砕けた口調に替えたハイ子へ頬を緩めつつ、僕は相槌を打った。
「よって今回の状況で第一級名刺を映像化するには、誰かがお兄ちゃんの部屋へ入り、お兄ちゃんのハイ子を持ち出し、それをお兄ちゃんへ手渡す以外に方法はありませんでした。けれども美鈴お姉ちゃんは、その誰かになることを躊躇ったのです」
 美鈴は逡巡の色濃く混ざる声音で、ほかに方法はないのとHAIへ尋ねたと言う。僕は美鈴の気持ちを、たなごころを指すように理解できた。美鈴が無断で僕の部屋に入り無断でハイ子を持ち出そうと、僕は一向に気にしない。だがそれを、僕も美鈴にできるかと問われたら、できっこないという返答しか浮かんでこない。血を分けた妹だろうと命に係わる理由がない限り、年頃の女の子の部屋に無断で入り私物を勝手に持ち出すなど、僕には不可能なのだ。そんな僕の性格を美鈴は知っているので、美鈴も僕の部屋に入ることを極力避けようとする。昨夜、美鈴が僕の部屋で僕を待っていたのは、命に係わる理由がそこにあったからだ。「魔想戦を明日に控える身なのに気になって居ても立ってもいられないなら、自室で一人待つより、僕の部屋で待っていて欲しい。その方が落ち着くなら、是非そうして欲しい」 僕がそう望むことを美鈴は知っていたからこそ、美鈴は僕を安心させるため、あえてそれを選んだのである。しかし第一級名刺に命を左右する理由はなく、よって美鈴は僕の部屋への無断入室と私物の無断持ち出しに、躊躇いを覚えたのだ。
「お兄ちゃんたち兄妹をずっと見てきたHAI姉さんは、美鈴お姉ちゃんの逡巡を、きちんと理解しました。よってHAI姉さんは、ギリギリの妥協案を提示したのです」
 それは、美鈴のハイ子のAIを抜き取り僕のハイ子のAIを移植するという、現行の法律では犯罪スレスレの妥協案だったそうだ。
「それに比べたら、全幅の信頼を寄せられている妹が無断で兄の部屋に入り無断でハイ子を持ち出すことなど、おむすびの中のお米一粒ほどの些事でしかありません。しかしHAI姉さんは美鈴お姉ちゃんの気持ちを第一に考え、その方法を提示しました。そしてそれをHAI姉さんは今、とても誇らしく感じています。真に美味しいおむすびを作るには、お米の一粒一粒を美味しくしなければならないのだと、HAI姉さんは今回のピクニックで学んだからです」
 あの会話を理解し、それを妥協案と結び付け、世のことわりと人情の機微を学び取れるHAIを、無機質な機械と考えるなどどうしてできよう。根拠などまるでないが、ウチのHAIなら紫柳子さんの言っていた、選手の胸の内を理解できる新公式AIにすぐさまなれると、僕は確信したのだった。だから、
「ハイ子、折り入って相談があるんだ。力を貸してくれないかな」
 AIへの認識を新たにした僕は、輝夜さんへの見過ごしに関する相談をハイ子にしてみようと思った。何たってハイ子の後ろには、HAIが控えているんだからね。
「もちろんですお兄ちゃん! どんなことでも私に相談してくださいっっ!!」
 その意気込みの凄まじさに、瞳が零れやしないかと危ぶむほど目を見開き鼻息を荒くしている女の子の姿が、脳裏に一瞬映し出された。ハイ子の映像化は決してすまいと思っていたが何らかの措置を講じないと、僕は遠からず、ハイ子の3Dをウキウキしながら造形する事になるだろう。いや、遠からずなんてのは自分への嘘で、僕はすでに「今すぐ作ろうかな」と心の片隅で考え始めていたのだ。ウギャアどうしようという動揺をねじ伏せるべく、僕はピクニック終了時の情景をできるだけ鮮明に思い出した。するとすぐさま自責の念が湧いてきて、意識を相談モードへ切り替えてくれた。
「僕は輝夜さんに酷いことをしたのに、それを忘れている。どんな酷いことをしたのか、僕はどうしても解明できないんだよ」
 それからハイ子は、僕に幾つか質問した。それは非常に的確な質問で、ハイ子はみるみるうちに、解明の糸口をあぶり出して行った。
「なるほど、昴の言った『一人取り残される』が、見過ごしを気づかせてくれたのか。そして無意識にそれを、昨夜の京馬との会話に僕は関連付けた。AICAの中でなされた昨夜の会話に、重大な鍵が隠されているんだね」
「はい、それで間違いないでしょう。昨夜の車中で輝夜さんの話がなされたのは一度きり。マナーに関する場面だけですね。思い浮かぶことはありますか?」
 その場面ではないと直感したがハイ子に手伝ってもらい、その時の会話をすべて聞き直してみた。直感どおり、言い知れぬ自責が沸き立つことは無かった。
「ならばお兄ちゃんは、それを言葉にしなかった。つまり、心の中だけで考えたのでしょう。お兄ちゃん、そのときAICAは止まっていましたか? それとも動いていましたか?」
「動いていた」
 僕は感じたままを口にした。それができたのは、精霊猫の桔梗のお陰だった。こういう場面であれこれ考えるのは、百害あって一利なしとまでは行かないが、良い結果を招くことは殆どないと、桔梗が先日教えてくれた。それが活き、僕は感じたままを口にすることができたのである。
「お兄ちゃん、この部屋をAICAの中と似た環境にします。机を離れ、ベッドに横たわってください」
 いわれるままベッドに横たわった。すると、ピーという警告音と共にベッドの上半分がせり上がり、マットレスが若干硬くなった。窓のシャッターも降ろされ、部屋の中が暗くなってゆく。僕は無意識に口ずさんだ。
「何かを思い出したいなら、その時と同じ環境に身を置いた方が、断然それを思い出しやすくなる。心は忘れていても、体が覚えていることは多々あるからだ。そして今僕が置かれている状況は、背もたれの角度といいマットレスの硬さといい周囲の暗さといい、昨夜のAICAの中ととても良く似ている。ハイ子、昨夜も今も、そばにいてくれてありがとう」 
 数秒の沈黙ののち、ハイ子はどことなく湿り気を帯びた声で言った。
「さあ始めましょう。目を閉じて、輝夜さんへの見過ごしを思い出せない自責に、身を沈めてください」
 ずいぶん酷な要求をするものだと思いつつ、それに従った。そのとたん、最大級の自責が僕を襲った。その向こう側で本能が囁く。「これこそが最高の状態だよ」 僕は本能に同意し覚悟を決め、自責の更なる深みへ落ちて行った。
「目を閉じたまま顔を左に傾けてください。窓の外は、どうなっていますか?」
 深みに落ちすぎ、それをハイ子の声と認識することもできなくなっていた僕は、夢遊病者のように顔を左へ向けた。AICAの窓の外を、街灯が後方へ規則正しく流れていた。
「お兄ちゃん、画像を三つ出しますので、いま心の中で見た風景はどれに近いか、教えてください」
 目を開いた。すると目線の先に、三枚の画像が映し出されていた。僕はすぐさま答えた。
「真ん中だよ」
 そうそれはまさに、自責にくれた僕が心の中で見た、風景そのものだったのである。
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