僕の名前は、猫将軍眠留

初山七月

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六章

最後の陸上部、1

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 第一グラウンドを見下ろす土手に差しかかるや、猛に大音声の発破をかけられた。
「眠留、ラストスパートだ!」
 おそらく猛は僕が現れる方角を、グラウンドからずっと見張っていたのだろう。HAIのお蔭で三分早く出発できたし、持久力のお蔭で到着をさらに早めることもできたが、それでも遅刻しやしないかと友を心配させてしまったことに変わりはない。僕は短距離用のバネ走りへ移行し、土手の上の直線道を、高速ストライド走法で一気に走った。すると、
「うお~~」「行け~~」「踏ん張れ~~」「猫将軍君、ファイト~~」
 陸上部の先輩方と同級生が、こぞって声援を送ってくれた。それは昔ネットで見た、ラストスパートに臨む部員へ仲間達が送る声援とまったく同じだった。体の中で何かが爆発した僕はそのエネルギーを上乗せして、最後の30メートルを駆け抜けて行った。

 関節に負担をかけぬよう、少しずつ減速してゆく。立ち止まりたがる足を叱咤し、呼吸を整えつつ歩を進める。口呼吸のままだがフラフラだけは何とか収まったところで、グラウンドと道路を結ぶ中央階段に着いた。陸上部の部室は、この階段からほど近い場所にある。僕は一歩一歩慎重に、グラウンドへ下りて行った。その半ばで、
「眠留コノヤロウ、見とれちまったじゃねーか!」
 ツンデレ男の鑑である猛が、ツンデレの見本たるセリフを大声でわめきながら階段を駆け上ってきた。そんな猛を見ていたら、破顔する余裕が出てくるから不思議だ。いやそれどころか、「あの発破のお蔭で一番キツイところを踏ん張れたよ、サンキュー猛」なんてセリフを、僕は片手を上げて言うことができたのである。つくづく思った。やっぱ友達って、いいものだなあ。
 という僕の胸の内を感じ取ったのだろう、ツンデレ男は早口でまくしたてた。
「そっ、それはそうと眠留、バッグをよこせ。部活には間に合うから、体をほぐしながらゆっくり歩け。いいか、ほぐしながらゆっくりだぞ!」
 そんなに心配しなくていいよと返答するのは、夏の前の僕だ。たった一夏とはいえ陸上部の一員として過ごした今の僕には、理解できたのである。発破から始まる猛の一連の行動は、すべて僕のためにした事なのだと。
 ラストスパートをさせる事で、部活に遅れまいとする僕を猛は皆に見せた。
 バッグを受け取る事で、全力を尽くした僕がふらふら状態であることを猛は皆に見せた。
 体をほぐしつつゆっくり歩かせ、僕が体調管理を重視していることを皆に示した。
 そうすることで猛は僕を、気骨ある優秀な陸上部員として皆に印象付けた。
 今日を最後に陸上部を去る、僕へのはなむけとして。
 敬愛する四年のエーススプリンター馳風さんに教えて頂いた、レース直後の乳酸駆除ストレッチを忠実に再現して、僕は部室へゆっくり歩いて行ったのだった。

 遅刻スレスレと言ってもそれは文字通りの遅刻ではなく、最下級生として備品の準備をする時間スレスレという意味だったので、僕は先輩方からも同級生達からも好印象で迎えてもらえた。具体的には、
「猫将軍は軸制御が本当に巧いよな」
「バネ走行時の歩幅管理も、ナカナカだった」
「最後の直線を短距離走に切り替えるタイミングも、良かったぞ猫将軍」
 等々の先輩方からのお褒めの言葉と、
「テメェだけ目立ちやがって!」
「テメェだけ抜け駆けしやがって!」
「陸上部なだけに」「抜け駆けの制裁は」「強烈だからなコノヤロウ!」
 等々の同学年男子からの激賞を、強烈なヘッドロックとくすぐり付きで沢山頂けたのだ。名前ではなく苗字で呼ばれることは変わらなかったが、同学年の野郎どもは数日を置かずテメェとコノヤロウを、続いて先輩方もヘッドロックとくすぐりを連発するようになった。言うまでもなく皆、ツンデレ男に感化されたのである。
 ま、楽しいから全然いいんだけどさ。
 女子部員とも仲良くなることができた。知り合う女性すべてに頭が上がらなくなるという僕の宿命は年上女性にこそ強く働くからか、女子の先輩方は皆さんとても優しくしてくれた。これは男所帯の新忍道サークルでは、経験できない事。湖校入学以来、女子の先輩とまともに会話したのはこの陸上部が初めてだったので、先輩方の優しさはことさら強く僕の胸を打った。
 同学年の女子部員とも仲良くなれた。でもそれは僕の宿命より、輝夜さんと昴、そして真山と北斗のお陰なのだと僕は考えている。輝夜さんと昴は序列から一歩抜きん出た学年ツートップだし、真山と北斗は一年麗男子の一位と二位だから、四人の人気にあやからせてもらったのだ。ただこれは裏を返せば、僕が女の子たちに嫌われると、その四人にも傷が付いてしまうという事。人間関係って、そういうものだからね。
 幸い、輝夜さんと昴と美鈴という「僕には勿体なさ過ぎ三大女性」に鍛えられたお蔭で、僕は陸上部の女の子たちと普通に接することができた。いや、何となくだけど、喜ばれたふしすらあった。多分としか言えないが、勿体なさ過ぎ三大女性に鍛えられた僕は、同学年の女子部員にも三大女性と同じ心構えで接していて、それを彼女達は好意的に受け止めてくれたのではないだろうか。う~ん、どうなのかなあ。
 なんて多少の雑念を心の片隅に引っ掛けながら、この夏ずっとやり続けてきたスタートダッシュ訓練に汗を流していた。すると不意に、
「猫将軍君、ちょといいかな?」
 くだんの同学年女子部員の一人に、僕は声を掛けられたのだった。
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