僕の名前は、猫将軍眠留

初山七月

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七章

九月一日の薙刀部

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 夏休み明けの九月一日、休部をいた昴は部員達と一本試合をした。最初は、昴と試合を望む五人の一年生部員。昴はその全員を、完璧に打ち負かした。五人は次席から六席までの猛者だったが輝夜さんによると、実力差がありすぎて試合にならなかったと言う。
 次の五人は、二年生部員の筆頭から五席まで。しかしこの五人も実力差があり過ぎ、昴とまともに戦うことができなかった。審判を務める朝露の白薔薇の「三年生道場へ移動」により、一年生と二年生の全部員は三年生道場へ移動した。
 三年生の五席から三席までも試合にならなかったが、次席でようやく試合らしい試合になった。それでも全中四位の次席をあっさり退けた昴は、全中準優勝の三年筆頭と試合を始めた。三年筆頭は夏の全国大会で大接戦の末に二位に終わった選手であり、しかも昴にとってそれは十五試合目だったにもかかわらず、昴はいつもの詰将棋スタイルで筆頭に難なく勝利した。この結果に、三年生道場は静まりかえった。確かに昴は休部前も強かったが、今の昴は強いという枠を超えていた。単純に考えるなら昴は一年にして、日本で最も強い中学生かもしれないのである。そんなヒソヒソ話が囁かれだした頃、湖校の生ける伝説が輝夜さんへ顔を向けた。
「白銀さん。天川さんとここで一本試合をできる?」
 昴が望むならと輝夜さんは答えた。私も望みますと昴も答え、その二十分後、二人は試合を始めた。その二十分で四年から六年の主だった上級生が勢ぞろいしたため、三年生道場は鮨詰め状態となった。だがその価値はあった。なぜならそこにいた人達は始めて見るの、目撃者となったからである。
 そうそれは試合ではなく、戦いだった。防具とルールに守られた試合では、有効打突以外の攻撃を幾ら受けても負けにならない。しかし真剣を用いる命懸けの戦いに、そんな甘さは無い。やいばが体をかすめただけで肉を切られ出血し、有効打突でなくとも骨を砕かれ行動不能に陥る。新選組の生き残りとして名高い斎藤はじめは、手数の多さこそが真剣勝負を制すると話したそうだが、命がけの戦いを日々繰り広げている翔人にとってそれは自明の事。自分の命を絶ちにくる魔想へ「これは有効打撃ではない」などと考えたとたん、翔人は死んでしまうのだ。昴と輝夜さんは三年生道場で、そういう戦いをしたのである。
 二人は相手の攻撃を、必ずいなすか躱した。なおかつ二人は決して足を止めず、高速で移動し続けた。攻撃を体に当てさせない技術もさることながら、二人の高速移動にみな度肝を抜かれた。まずは、昴の陽炎かげろう。二本足で直立歩行する人類は、二拍子を基本とし体を動かしている。スポーツではその二拍子をリズミカルな動きとして奨励するが、せんを取り合う武術では行動予測という致命傷につながるため、拍子のない無拍子を先人達は編み出した。その無拍子を昴は足さばきに取り入れ、陽炎の揺らめきが如き予測不可能の動きを作り出すのだ。それは最高クラスの上級翔人にしか成しえない技で、僕はもちろん美鈴すら体得していない超高等技術。その超高等技術を真剣勝負の最中に操る様子を見たのだから、度肝を抜かれて当然だったのである。
 しかし陽炎には天敵がいた。それは、すべてを断ち切る圧倒的なスピードの持ち主だ。いかな陽炎でも、揺れ幅の大小はどうしても生じる。ならば揺れ幅の小さい瞬間に、圧倒的スピードですべてを断ち切ってしまえばいい。その考えのもと編み出されたのが、静集錐閃せいしゅうすいせん。それは、足腰の筋力を静かに集め円錐形とし、一方向へ閃光のごとく放出して高速移動をなす高等技術。後ろ脚一本による移動ではないためアキレス腱に負担をかけず多用できるそれを、輝夜さんはなんと相手の瞬きに合わせて繰り出してくる。そう輝夜さんは、静集錐閃の達人なのだ。然るに本来なら輝夜さんに分があるのだろうが、〔収束する未来〕を操る昴は輝夜さんの静閃せいせんをことごとく躱してしまう。それどころか揺れ幅の小さい陽炎を陽動として使うものだから、達人の輝夜さんでも静閃後は高確率でピンチに陥る。だがそのピンチを静閃の連続発動で逃れるので攻撃を躱された昴が今度はピンチに陥り、そこに踏み込んだ輝夜さんを昴が躱し、という戦いを二人は繰り広げたのだ。翔人の僕でも息を詰めずにはいられないその戦いを目の当たりにした部員達は呼吸がおぼつかなくなり、酸欠で次々座り込んでいった。そして立っているのは四年生以上の強者つわものだけとなった頃、コンマ一秒足をもつれさせた昴の籠手を、輝夜さんが斬った。それは試合中にあってはならない斬撃一徹の動作であり、「籠手」の掛け声も無かったが、部長は有効打突と判定。三年生道場で行われた二人の死闘は、輝夜さんの勝利で幕を閉じたのである。
 ただそれでも、輝夜さんの方が強いとは誰も思わなかった。一本試合とはいえ昴にとって輝夜さんは、十六人目の相手だったからだ。全力を出し尽くし立っているのがやっとの二人へ、部長が語りかけた。
「本来なら六年生道場へ出稽古に来てほしい。だがそれでは移動時間が惜しい。今月で現役を退く私達六年が交代でやって来るから、あなた達は次回から、三年生道場で出稽古を行いなさい」
 二人は部長へ頭を下げた。こうして二人は二年生道場ではなく三年生道場で、出稽古をすることになったのだった。
 翔薙刀術の使い手として二人が皆の前で戦ったのは、その一度きり。部活も、そして九月末に行われた一年生大会関東決勝でも、二人はそれを決して使わなかった。のちに尋ねたところ、二人だけに見えるよう三年生道場に水晶が現れ、翔薙刀術で戦うよう指示を出したのだと言う。水晶は二人の承諾を得て九月二日の夜、祖父母と僕と美鈴、そして四匹の翔猫にその戦いを見せてくれた。手に汗握り皆それを見つめていたが、二人のお昼ご飯を夏休み中作り続けた美鈴だけは、終始手を合わせていた。

 回想を終え、神社の石段を登る。
 登る途中で足をとめ、木々の隙間から湖校をうかがう。
 ここから見えるのは一年生校舎だけで、二人のいる三年生校舎は木々に隠れて見えない。しかしそれでも、僕は校舎へ目を向けずにはいられなかった。赤みを帯びた校舎に正対し、手を合わせる。
 数秒後、二人の健康を願い終わり、僕は足の上げ下げを再開した。
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