僕の名前は、猫将軍眠留

初山七月

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七章

銀朱

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 鳥居をくぐり、社務所へ足を向け、祖父母に声を掛けた。ただいま、お帰りと挨拶を済ませ、本題に入る。
「今朝水晶に、明日の自主練は敷庭しきにわでするよう指示されたんだ。これからじいちゃん達の離れに行って一本梯子を用意しておきたいんだけど、いいかな」
 祖父母は驚いたらしく、珍しいことにポカンとした顔を数秒浮かべていた。それを指摘すべきか否かを悩む僕に、自分達の状態を悟ったのだろう。祖父母は表情を改めるも、またもや珍しいことに、意見の異なる会話を始めた。
「もちろんいいとも。うむ、いいに決まっているとも」
「もちろんいいですが、敷庭までの行程も確認しておいた方が、いいんじゃないですかねえ」
「うむ、朝は暗いからな。いや、暗い中の移動も修行かもしれんぞ」
「そうかもしれませんが、あの丸太を担いで夜明け前の森に入るなら、事前確認こそが修行かもしれませんよ」
「む、そうかもしれん。だが、そうでないかもしれんだろう」
「両方の可能性が均等にあるなら、翔人は安全優先の選択をして良いと思いますが」
「む、もっともな意見だ。しかし・・・」
 祖父母は今年、金婚式を迎えた。それはつまり、祖父母は五十年間一緒に魔想と戦ってきたという事。そんな人間国宝級の戦友である二人のことゆえ、異なる意見の中に相手への不動の信頼がひしひしと感じられ、ほのぼのした気持ちに胸を満たしてもらえた。それに加え、どちらの主張も正しく感じられた僕は、二人に折衷案を出してみる。
「僕があの丸太を担いだのは、一年四カ月も前のことなんだ。だからこれから実際に担いでみて、これは無理だと思ったら安全のため事前確認をする。今の僕なら大丈夫と思ったら、暗闇の移動も修行と心得て臨む。こんな感じでどうかな」
 またもや祖父母は驚いたらしく、僕の顔を言葉なく見つめていた。けどその表情の土台を成すのは僕の成長への喜びであることは明白だったため、返事は聞くまでも無かった。
 じゃあ確認してくるね、と声を掛け社務所を離れる。嬉しげに笑う二人に手を振りながら、僕は生垣の門扉へ歩いて行った。

 ウチの神社は、本殿と母屋を繋ぐように、腰の高さの生垣を植えている。その生垣に設けたかんぬきのない門扉を開け、僕は裏庭に入った。門扉に注意書き等は張られていないが、この先は私有地的な雰囲気を皆さん察知してくれるので、見ず知らずの人が裏庭に足を踏み入れることは滅多にない。好奇心旺盛な子供や、年齢的には大人でも内面がまだ子供の人は、その限りでないけどね。
 裏庭のベンチに鞄を置き、三つの離れを結ぶ渡り廊下を右手に、道場へ続く道を足早に進む。南北に延びる渡り廊下は大離れの入り口を最後に西へ折れ、道と交差する箇所で屋根だけになり、交差を終えたら壁と廊下を再び得て祖父母の離れに繋がっている。そう祖父母の離れは、廊下伝いの行き来ができない場所に建てられているのだ。一見それは、道場へ続く道を遮らないための措置に思えるが、実際は違う。祖父母によると、それは先祖代々受け継がれてきた老化防止法なのだそうだ。祖父母は氏子さんへ、いつもこう説明していた。
「歳を取ると、体を動かすのが億劫になります。かといって体を動かさないでいると、老化は早まってしまいます。よって生活に些細な不便を設け、ささやかな運動を日常に取り入れることで、私達は老化速度を遅らせているのです」
 という話を祖父母にされ、分断された廊下を行き来するための下駄を目にした氏子さん達は、たいがい感心する。「廊下から地面に下り、下駄をはいて移動し、再び廊下に戻られるのですね。私も見習います」と、若々しい祖父母へ敬意の眼差しを向ける。近頃はそうでもないが数年前までは、そんな氏子さん達に真実を告げたい気持ちを僕は抱えていた。僕は言いたかった。「いえ、その下駄を使いうのは人目がある時だけです。祖父母はいつもあの雲梯うんていを使い、分断された個所を行き来しているのです」と。
 分断個所で撤去されるのは壁と廊下のみであり、両者は屋根で繋がっている。その屋根の天井部分に設けられた雲梯を使い、八十歳の祖父と七十四歳の祖母は、今でもそこを行き来していた。十代ならいざ知らずこれのどこがささやかな運動なのかというのが本音だが、九十七歳まで生きた先代は亡くなる一週間前まで分断個所をましらのごとく移動していたそうだから、ここはそういう家なのだろう。祖父が先代と同じ歳まで生きてくれたら、僕はそのころ三十歳。それまでには自分に胸を張れるようになっているかな、いや流石になっていないとなあ、なんて考えつつ僕はくだんの個所を通過し足を左へ向け、祖父母の離れの裏を目指した。

 廊下を左手に進み、離れの裏に着いた。そこには横長の物置小屋が作られていて、使い古した園芸用具や大小様々な木材がしまわれていた。その中の最も目立たない場所に目当ての丸太を見つけた僕は、手前の物をすべて小屋から出すべく活動を始めた。面倒でもこうしておかないと、大変なことになりかねないからだ。十数分かけ小屋の一隈を空にし、右肩にハンカチを乗せ、丸太に手を掛けた。全長3メートル、先端直径8センチ、後端直径10センチの、樫の木でできたこの一本梯子の重さは、16キロ弱ある。去年の夏、小学生だった僕はこの丸太を抱えるだけなら何とかできたが、それを肩に担いで森をゆくのは50メートルが限度だった。あれから一年と四カ月が過ぎた今、僕はこの丸太をどれほどの重さに感じるだろう。翔人としての僕だけでなく、湖校生としての僕も試されている気がして緊張が走った。丸太に正対し、足を開き腰をめ背筋を伸ばす。脇を締め、鳩尾の前で丸太をしっかり握る。そして腕力でなく脚力で、僕は丸太を持ち上げた。
 ひょい。
 拍子抜けするほど丸太は楽々持ち上がった。だが油断はできない。足を閉じ、ゆっくり回れ右をして小屋の外に出て、丸太を右肩に担いでみる。丸太と制服の間には薄手のハンカチを挟んでいるだけだが、冬用制服の肩パットのお蔭か痛みは感じない。そのまま前に数メートル歩き、軽くジャンプする。歩行もジャンプも糸屑ほどのバランスも崩さなかったので、今度は目を閉じジャンプしてみる。それでもバランスをいささかも損なわず、少々にやけてしまった。このにやけ顔は慢心ではなく成長した自分への喜びなのだと、僕は都合よく解釈することにした。
 
 丸太を祖父母の離れに立てかけ、両手で揺らし、きちんと固定されているかを確認する。その十数分後、小屋から運び出した物をすべて元の場所に戻し終える。安堵の息をついた処でカラスの鳴き声が耳をくすぐり、何気なく空を見上げた。
 その空の明るさに息を呑んだ。一年で最も日没の早い日を五日後に迎える鎮守の森は暗すぎて、無意識に赤外線視野へ切り替えていたのだ。
 視力を元に戻した僕の口から感嘆の声が漏れる。
 日の入りを間近に控えた空は、見事な銀朱ぎんしゅに染まっていた。
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