僕の名前は、猫将軍眠留

初山七月

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七章

翔刀術の理論

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  翔刀術の理論 〔足腰編〕 
 
 ② 大腿四頭筋のリミッター解除。

 人の筋肉は、筋繊維束きんせんいそくと呼ばれる紐状の器官を束ねて作られている。しかし人は原則として、筋繊維束のすべてを同時に使うことができない。人がそれを総動員できるのは、非常時のみなのである。火事場の馬鹿力が、その好例だろう。
『近所で火事があり、家具を一人で外に運び出した。しかし火事が収まり、家具を家に運び入れようとしたら、一人では持ち上げる事すらできなかった』
 人は通常、筋繊維束を部分的にしか使えない。しかし非常時はそのすべてを動員できるため、通常ではあり得ない怪力を発揮する事ができる。車の下敷きになった我が子を助けるため母親が車を軽々持ち上げた実例が示すように、筋繊維束を総動員すれば、人は想定外の筋力を生み出せるのだ。
 しかしそれは、危険を伴うと言わざるをえない。骨は、筋肉より弱いのである。腕相撲の世界大会でしばしば骨折者が出るのは、骨が筋肉より弱い証拠と言える。筋繊維の一本一本を能力全開で使う真のフルパワーを出すと、骨は耐えきれず、折れてしまうのだ。
 それを避けるべく、体は二つの措置を講じた。一つは、筋肉と骨をつなぐけんをあえて弱くする事。現代人にとって骨折はさほど怖い怪我ではないが、野生動物にとっては、狩りをすることも捕食者から逃れることもできない死を招く怪我に他ならない。よって骨が折れてしまう前に、骨と筋肉をつなぐ腱に悲鳴をあげさせ、骨折を回避する仕組みを体は構築したのだ。
 体が採用したもう一つの措置は、筋肉をフルパワーで使い難くする事。筋肉に、リミッターを設けたのである。筋肉のリミッターには比較的解除しやすい弱リミッターと、解除しにくい強リミッターの二段階がある。火事場の馬鹿力はその一段目、弱リミッターの代表と言えよう。筋繊維束を総動員する火事場の馬鹿力は、非常事態を乗り切る有効な手段でもある。よって体は、解除が比較的容易な弱リミッターを一段目として設けた。だが筋繊維の一本一本を能力全開で使う真のフルパワーは骨折を招くため、強リミッターを二段目に設けて、解除を困難にしたのだ。
 この二つのうち、解除しやすい弱リミッターを翔人は意図的に解除する。弱リミッターの仕組みを上手く利用することで、翔人はそれを可能にする。その方法を、ここで紹介しよう。
 
 弱リミッターは、筋繊維束を部分的に使うことを筋肉に強いている。筋肉をスキャンし断面図を作り、使われている筋繊維束を青で表示すると、それは青い水玉が散らばる水玉模様になる。しかもその水玉は、素早く移動している。青い水玉は一か所に決してとどまらず、短時間で隣へ移り、再び短時間でその隣へ移る。このように水玉の位置を素早く変えることで筋繊維束の疲労を分散させ、かつ筋肉が青一色に染まる事を回避してゆく。これが、弱リミッターの仕組みなのだ。
 その弱リミッターを解除すべく、翔人は『不動』と呼ばれる鍛錬をする。不動とはその名のとおり、同じ姿勢を保ち続ける事だ。具体的には足を大きく開き、大腿骨が地面と平行になるまで腰を落とし、両手を頭上に掲げ、その姿勢を三十分間保持する。翔人はこの三十分保持を一年ほど続けて、筋肉を青一色に染めることを可能にする。不動が体に及ぼす作用は、スクワットと比較すると解りやすいだろう。
 鍛錬初日の最初の五秒、不動はスクワットより楽に感じる。しゃがんだ状態から体を持ち上げるスクワットより、姿勢を保持する不動の方が楽に思えるのだ。しかしそれは、程なく逆転する。理由は、不動には休みが一切ないからだ。スクワットは膝が伸びきる前後、僅かとはいえ運動を中断した休息状態になる。この休息に上達するだけでスクワットの回数を増やせるほど、休息は筋肉の持続力に多大な影響を及ぼしている。それが皆無ゆえ、人は暫くすると「不動の方が苦しい」と感じるようになる。そしてその苦しさは加速度的に増えてゆき、三十秒ほどで足が痙攣し始め、一分未満で立っていられなくなり尻餅をつく結末を迎える。言うなればスクワットの苦しさは一次曲線で、不動の苦しさは二次曲線。初めは楽でも、ひとたび苦しさを覚えるとそれは瞬く間に増加し、尻餅を突く直前はたった一秒で無限の苦しみを味わうこととなる。これが、不動の特色。そしてこれこそが、弱リミッターを解除する仕組みなのだ。
 不動の開始直後は、大腿四頭筋の水玉の数はむしろ少ないと言える。だが苦しみを覚えると、水玉の数は急激に増加してゆく。水玉の数が増えすぎて移動先を見つけるのが困難になり、ついには移動先が一つもない状態、つまりどこもかしこも青一色となる。これが、弱リミッター解除の仕組みなのだ。
 もっとも、大腿四頭筋がこの状態になるまで、通常は数カ月を要する。青一色に染まる一歩手前で筋肉が無限の苦しみを覚え、尻餅をつくからだ。翔人は数カ月を費やし保持時間を少しずつ伸ばしていき、無限の苦しみの一歩手前を保ち、水玉の過密状態を維持することで、青一色に染まる瞬間を待つ。何カ月も掛け、それが訪れる一瞬を目指す。このようにリミッター解除は気長に行われ、そしてそれは正しいと言える。なぜなら翔人が不動で鍛えるのは、筋肉だけではないからである。
 翔人は不動により、筋肉、腱、関節、靭帯、神経、そして内臓を長期間かけて鍛えてゆく。なかでも腱は、特に重視される。弱リミッターを解除するだけでも通常ではあり得ない力を発揮するため、筋肉と骨をつなぐ腱が容易に傷ついてしまうからだ。また膝関節も、腱に負けぬほど重視される。筋肉より弱い膝関節は、筋肉より早く痛みが生じる。ここで無理をすると、膝関節に重大な疾患を招いてしまう。よって翔人は焦らず無理せず、年単位の歳月をかけ、膝を気長に強化してゆくのだ。
 しかし一度だけ、無理して良い状況がある。無理を義務付けられているのではなく、望むなら無理をしても良い状況がある。それは、青一色が最初に訪れたときの数秒間だ。本稿の執筆者である私は、その無理を望んだ。そのときの経験を、ここに記しておこう。
 
 不動の鍛錬を始めて半年が経ったころ、私の大腿四頭筋に青一色が訪れた。それに伴い、太ももの温度が急上昇した。筋肉は使うと発熱するため、筋繊維束を総動員した私の大腿四頭筋は、かつてない温度の急上昇を経験した。そしてその三秒後、筋繊維がプツン、プツンと切れ始めた。伸びきったゴムが一本一本切れていく感触を、私は大腿四頭筋の至る所で味わったのである。
 危険を感じた私は尻餅をついた。すると痛みは即座に消えて行った。よって筋繊維が切れる感触を経験することが義務付けられていない理由を、私は思いつけなかった。だがそれは甘かった。次の日の朝、私は人生最大の筋肉痛に襲われた。歩くことはおろか、立つ姿勢を維持することすら不可能だった。私は二日間寝たきりで過ごし、続く三日を激痛に身をよじりつつ歩き、六日目からリハビリを開始して、十日目でようやくジョギングが可能になった。筋繊維が一本一本切れる感触をはっきり感じるまで筋肉を追い込む行為は、このような結果をもたらすのである。
 ただ、良いこともあった。それは、死に直結する限界を学べた事だ。仮に私が野生動物だったら、あの筋肉痛は高確率で私の命を奪っただろう。草食動物は言うに及ばず、食物連鎖の頂点に君臨する存在であっても、ジョギングに十日を要する筋肉痛は餓死の危険を伴うはずだ。私はあの筋肉痛により、死に直結する真の限界を知った。だからこそ私は次回から、その寸前まで自分を追い込めるようになった。多くの翔人は、太ももの温度が急上昇した時点で不動を止めるが、私はその数秒先へ進めた。プツンプツンと切れ始める寸前まで、毎回自分を追い込むことができたのである。この数秒がもたらしたものは計り知れぬほど大きかったと、今は感じている。
 不動を再開し一か月が経過したころ、鍛錬の三十分が暇で仕方なくなった。痛みを一切感じなくなったので、ただ突っ立っているだけの三十分になったのだ。それでも足裏の毛細血管に支障が出るという理由により三十分以上の不動を禁止されていた私は、くる日もくる日も三十分間立ち続けた。そしてその鍛錬を始めて一年が経過したころ、私は自然に、爆渦軸閃を体得したのである。
 のちに知ったのだが、不動と合わせて軸運動を主体とする鍛錬をしていた翔人は爆渦軸閃を身に付け、直線運動を主体とする鍛錬をしていた翔人は静集錐閃を身に付けることが多いらしい。前項で記したとおり猫将軍家を含む三翔家は軸運動を重視する傾向があり、爆渦軸閃の使い手ばかりが増えて行った。その結果、静集錐閃の継承がついえたのだと私は推測している。
 以上をもって、大腿四頭筋のリミッター解除を終了する。
 爆渦軸閃の仕組みについては、次項を参照されたし。  
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