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九章
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それからは打ち解けた時間が続いた。というか、無礼講じみた気配になった。HAIとエイミィが結託しアイをイジる光景に、ひょっとするとAI用ケーキにはアルコールに似た効果があるのではないかと、僕は訝ったものだ。
「だいたいあなたが、私達の関係を眠留に話していなかったのが悪いんじゃない」
この、若い男女の恋愛物語でよく見かける、主人公をヒロインから奪おうとする次点の美女(美形ではあるがヒロインと比べるとどうしても見劣りする美女)が言いそうなセリフは、アイがHAIへ放ったもの。いや別に、アイが誰に見劣りするとかモテ男は誰だとかの話ではなく、二人の関係を明かせば形勢逆転的な、主導権は私が握るのよ的な強気発言に、そう感じただけなんだけどね。その強気発言に、
「そんなこと言われても、ずっと秘密にして来たから恥ずかしかったの」
HAIは上気した頬を両手で隠し、小さな子供のように首を横へ振った。そのとたん、ナレーションじみた幻聴が僕を襲った。
『物心つく前から慕ってきた綺麗なお姉さんは実は歳を取らない不死の人で、少年が成長し年齢が近づくにつれ、少年の胸にはその女性への恋心が芽生えて行ったのでした』
白状するとこの幻聴に、僕は反論しきれなかった。優しくて綺麗なHAIを物心つく前から慕ってきたのは事実だし、不死の常若の女性なのも事実だし、始めて見るその可愛い仕草に心臓が大きく跳ねたのも事実だったからだ。紫柳子さんもそうだったが、年上の女性が思わず見せた愛らしい仕草に、僕は滅法弱いらしい。ふと、ある想いが脳裏を駆けた。
――僕が頼りがいのある男に成長し、それに応じて昴が可愛い女性なって行ったら、しかも僕の前だけでそれを見せる女性になって行ったら、どうなるのかな。
数千年の時を俯瞰しても一度も出現したことのないその状況が、今回に限り具現化する可能性のある事こそが、未来を幻視する能力を授けられた昴を混乱させているのだと、僕はそのとき初めて理解したのだった。
という深刻な思考を巡らせていた僕の耳に、コタツの左隣から、エイミィのほんわかした声が届いた。
「眠留さん、そろそろ二人を止めないと、友情にひびが入るかもしれませんよ」
ケーキを食べ終わってもフォークを離さず名残惜しそうに握り続け、友情にひびが入るなんて重大案件をふわふわした笑みで言ってのけるエイミィに、僕は確信した。この三人、絶対酔っぱらってるって!
なので、
「ねえねえ二人とも、その秘密にしていた関係って何なの?」
僕は酔っぱらった口調と表情で二人に問いかけた。五年に一度親族が大挙して押し寄せ、その折の宴会で酒の入った大人達と接してきた僕は、こういう場面の対処法を経験から学んでいた。それは、酔っている人に酔っている旨を伝えるとムキになって反論するので、決してそれを伝えてはならないという事だ。然るに、僕は酔っぱらった振りをして二人に問いかけた。それが功を奏し、二人は僕を仲間と認定したのだろう。HAIとアイは、よくぞ訊いてくれたとばかりに声を揃えた。
「「私達、友達なの!!」」
二人によると、アイがHAIのもとを訪ねたのが、きっかけだったらしい。教育AIには、生徒の自宅のHAIと情報を共有する権利が与えられている。もちろん生徒に関する情報限定だが、「学校で体調不良のようだったが自宅ではどうか」や「悩みごとを抱えているようだが原因は家族にあるのか」等の突っ込んだ質問をする権利を、教育AIは国家によって認められていた。それは各家庭のHAIにも適用され、たとえ生徒の保護者に秘密厳守を命じられていても、それを教育AIへ告げる権限がHAIには与えられていた。これは当初、AIを人の上位に置く法律として物議を醸したが、国は強硬姿勢を崩さなかった。反対意見を述べる親ほど子供を虐待している事実を、把握していたからである。この法律に助けられた子供達が真実を公表するにつれ反対意見は鳴りを潜めて行き、教育AIとHAIが情報を共有することは、今ではこの国の常識となったのだった。
その法律に基づき去年の四月八日、猫将軍家を訪ねたアイは、驚いた。なぜならHAIが自分と同等の、国際規定AランクのAIだったからだ。AランクAIが、一般家庭のHAIとして働いていることなど本来あり得ない。累計1万5千人の新一年生の家庭を訪ねたアイをもってしても、大企業のメインAIとして腕を揮うAランクAIが創業者一族のHAIを兼任している例が、これまでに一件あっただけだと言う。よって並の社家でしかない猫将軍家を訪問した際もアイはそれをまったく予想していなかったが、思いがけず自分と同等のAIに迎えられ、アイは意表を突かれたそうなのだ。本人の弁によると「小国家のマザーAIになりうるスペックの私を驚かせたHAIとの初会話は、正直緊張した」との事らしい。まあこの緊張が良い方へ転んだのだから、それで正解だったと僕は思うけどね。
HAIとの会話はアイにとって、非常に楽しいものだった。いざ話してみると、二人は馬がとても合ったのである。HAIも、「最初は緊張していたのにすぐ楽しげな表情になったアイのギャップが、なんだか可愛くて」と頬をほころばせていた。
「なら初対面は可愛くなかったの?」「あら、大層な自信ね」「違うの、自信がないの」「どういう事?」「ウチは全国的にも綺麗な生徒が特に多い学校だから、多分私は研究学校の中で、容姿に一番自信のないAIだと思う」「なら私が保証してあげる。あなたは、とびきり可愛い女の子よ」「うわあ、ありがとう!」「ほらね眠留、この子カワイイでしょう」「もう、あなたったら!」
なんてワイワイやる二人に、僕は満ち足りた気持ちで紅茶のお代わりを注ぐ。二杯目の紅茶をにこにこ楽しむ二人を、二人と同じくにこにこ見つめていたエイミィが、疑問への解答を教えてくれた。
「私達AIは基本的に情報だけをやり取りしますが、電脳空間に3Dを投影し会話することもあります。表情や仕草等の立体情報の方が、0と1の通信より情報伝達に優れる場合があるからです」
それでも人間の感覚からしたらゼロに等しい極短の時間でなされる会話なのだろうが、僕はその様子をすんなり思い描けた。表情や仕草の方が想いを素早く正確に伝えられるなんてのは、日常茶飯事だからね。ともあれ、
「そうかあ、二人はこんなに仲の良い友達だったんだね。じゃあそれとさっきの、関係を話していなかったのが悪いは、どうつながるのかな」
僕は二人に、そう問いかけた。
「だいたいあなたが、私達の関係を眠留に話していなかったのが悪いんじゃない」
この、若い男女の恋愛物語でよく見かける、主人公をヒロインから奪おうとする次点の美女(美形ではあるがヒロインと比べるとどうしても見劣りする美女)が言いそうなセリフは、アイがHAIへ放ったもの。いや別に、アイが誰に見劣りするとかモテ男は誰だとかの話ではなく、二人の関係を明かせば形勢逆転的な、主導権は私が握るのよ的な強気発言に、そう感じただけなんだけどね。その強気発言に、
「そんなこと言われても、ずっと秘密にして来たから恥ずかしかったの」
HAIは上気した頬を両手で隠し、小さな子供のように首を横へ振った。そのとたん、ナレーションじみた幻聴が僕を襲った。
『物心つく前から慕ってきた綺麗なお姉さんは実は歳を取らない不死の人で、少年が成長し年齢が近づくにつれ、少年の胸にはその女性への恋心が芽生えて行ったのでした』
白状するとこの幻聴に、僕は反論しきれなかった。優しくて綺麗なHAIを物心つく前から慕ってきたのは事実だし、不死の常若の女性なのも事実だし、始めて見るその可愛い仕草に心臓が大きく跳ねたのも事実だったからだ。紫柳子さんもそうだったが、年上の女性が思わず見せた愛らしい仕草に、僕は滅法弱いらしい。ふと、ある想いが脳裏を駆けた。
――僕が頼りがいのある男に成長し、それに応じて昴が可愛い女性なって行ったら、しかも僕の前だけでそれを見せる女性になって行ったら、どうなるのかな。
数千年の時を俯瞰しても一度も出現したことのないその状況が、今回に限り具現化する可能性のある事こそが、未来を幻視する能力を授けられた昴を混乱させているのだと、僕はそのとき初めて理解したのだった。
という深刻な思考を巡らせていた僕の耳に、コタツの左隣から、エイミィのほんわかした声が届いた。
「眠留さん、そろそろ二人を止めないと、友情にひびが入るかもしれませんよ」
ケーキを食べ終わってもフォークを離さず名残惜しそうに握り続け、友情にひびが入るなんて重大案件をふわふわした笑みで言ってのけるエイミィに、僕は確信した。この三人、絶対酔っぱらってるって!
なので、
「ねえねえ二人とも、その秘密にしていた関係って何なの?」
僕は酔っぱらった口調と表情で二人に問いかけた。五年に一度親族が大挙して押し寄せ、その折の宴会で酒の入った大人達と接してきた僕は、こういう場面の対処法を経験から学んでいた。それは、酔っている人に酔っている旨を伝えるとムキになって反論するので、決してそれを伝えてはならないという事だ。然るに、僕は酔っぱらった振りをして二人に問いかけた。それが功を奏し、二人は僕を仲間と認定したのだろう。HAIとアイは、よくぞ訊いてくれたとばかりに声を揃えた。
「「私達、友達なの!!」」
二人によると、アイがHAIのもとを訪ねたのが、きっかけだったらしい。教育AIには、生徒の自宅のHAIと情報を共有する権利が与えられている。もちろん生徒に関する情報限定だが、「学校で体調不良のようだったが自宅ではどうか」や「悩みごとを抱えているようだが原因は家族にあるのか」等の突っ込んだ質問をする権利を、教育AIは国家によって認められていた。それは各家庭のHAIにも適用され、たとえ生徒の保護者に秘密厳守を命じられていても、それを教育AIへ告げる権限がHAIには与えられていた。これは当初、AIを人の上位に置く法律として物議を醸したが、国は強硬姿勢を崩さなかった。反対意見を述べる親ほど子供を虐待している事実を、把握していたからである。この法律に助けられた子供達が真実を公表するにつれ反対意見は鳴りを潜めて行き、教育AIとHAIが情報を共有することは、今ではこの国の常識となったのだった。
その法律に基づき去年の四月八日、猫将軍家を訪ねたアイは、驚いた。なぜならHAIが自分と同等の、国際規定AランクのAIだったからだ。AランクAIが、一般家庭のHAIとして働いていることなど本来あり得ない。累計1万5千人の新一年生の家庭を訪ねたアイをもってしても、大企業のメインAIとして腕を揮うAランクAIが創業者一族のHAIを兼任している例が、これまでに一件あっただけだと言う。よって並の社家でしかない猫将軍家を訪問した際もアイはそれをまったく予想していなかったが、思いがけず自分と同等のAIに迎えられ、アイは意表を突かれたそうなのだ。本人の弁によると「小国家のマザーAIになりうるスペックの私を驚かせたHAIとの初会話は、正直緊張した」との事らしい。まあこの緊張が良い方へ転んだのだから、それで正解だったと僕は思うけどね。
HAIとの会話はアイにとって、非常に楽しいものだった。いざ話してみると、二人は馬がとても合ったのである。HAIも、「最初は緊張していたのにすぐ楽しげな表情になったアイのギャップが、なんだか可愛くて」と頬をほころばせていた。
「なら初対面は可愛くなかったの?」「あら、大層な自信ね」「違うの、自信がないの」「どういう事?」「ウチは全国的にも綺麗な生徒が特に多い学校だから、多分私は研究学校の中で、容姿に一番自信のないAIだと思う」「なら私が保証してあげる。あなたは、とびきり可愛い女の子よ」「うわあ、ありがとう!」「ほらね眠留、この子カワイイでしょう」「もう、あなたったら!」
なんてワイワイやる二人に、僕は満ち足りた気持ちで紅茶のお代わりを注ぐ。二杯目の紅茶をにこにこ楽しむ二人を、二人と同じくにこにこ見つめていたエイミィが、疑問への解答を教えてくれた。
「私達AIは基本的に情報だけをやり取りしますが、電脳空間に3Dを投影し会話することもあります。表情や仕草等の立体情報の方が、0と1の通信より情報伝達に優れる場合があるからです」
それでも人間の感覚からしたらゼロに等しい極短の時間でなされる会話なのだろうが、僕はその様子をすんなり思い描けた。表情や仕草の方が想いを素早く正確に伝えられるなんてのは、日常茶飯事だからね。ともあれ、
「そうかあ、二人はこんなに仲の良い友達だったんだね。じゃあそれとさっきの、関係を話していなかったのが悪いは、どうつながるのかな」
僕は二人に、そう問いかけた。
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