僕の名前は、猫将軍眠留

初山七月

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九章

プレゼン委員、1

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「みなさん、明けましておめでとうございます」
「「「明けましておめでとうございます!!」」」
 一斉に声を合わせ、クラス全員で新年の挨拶をした。年明け以降それこそ無数に口にして来たが、この「明けましておめでとう」という挨拶は、何度交わしても良いものだ。半月以上遠ざかっていた教室の和気藹々ぶりを背中に感じつつ、僕はしみじみそう思った。
「それでは出席を取ります。北条さん」「はい」「青木さん」「はい」「三島君」「はい」
 日直当番の芹沢さんが、クラスメイトの名を読み上げてゆく。淑やかさと瑞々しさを兼ね備えた芹沢さんの声は、新春の気配漂う教室にとても合っていて、皆いつもより少し厳かに返事をしていた。
「連絡事項に入ります。本日一月十日は、プレゼン大会実行委員の申請最終日です。希望者はお昼休みが終わるまでに、申請を済ませてください」
 椅子の背もたれに寄りかからせていた背中を、背もたれから引き戻し僕は姿勢を正した。連絡事項の該当者として、そうしなければならない気がしたのだ。
私事わたくしごとですが、私もプレゼン委員を希望しています。これが初めての申請ですので、同じく初申請の人達と一緒に仕事をしてゆくことになるでしょう。大会までの二週間、どうぞよろしくお願いします」
 芹沢さんが教壇で腰を折る。撫子部一年エースの芹沢さんのお辞儀に、教室の至る所から感嘆が上がった。また、教壇に向かってお辞儀をする少数の気配も、感嘆に混ざって幾つか感じられた。僕と同じ初申請者が、芹沢さんに返礼しているのだろう。
「明日の放課後、会議棟で初会合が開かれます。実行委員に選ばれた人は、予定に入れておいてください。ね、猫将軍君」
 いきなり名前を呼ばれビックリ仰天した僕は、
「ひゃいっ、きゃしこまりました!」
 などと、噛みまくりの返事をしてしまった。そのとたん、
「ひゃいっ、て何!」
「きゃしっ、て何じゃい!」
「こまりました、だけが耳に残って、マジ困りました~!」
「「「ギャハハハ――!!」」」
 てな感じに、教室は爆笑一色に染まった。笑いのネタになることは慣れっこだったためむしろ落ち着きを取り戻した僕は、日直業務を妨害する皆の大笑いの元凶となった事に、一人オロオロしていた。そんな僕へ、
「眠留くん心配しないで。今はまだ、私事の時間だから」
 楽しげに笑う銀の鈴、としか表現しえない声が隣から掛けられた。いついかなる時もこの声さえあれば元気百倍の冷静沈着状態になれる僕は、芹沢さんのトリックをようやく理解した。正真正銘の大和撫子の芹沢さんは、完璧な所作でありながらも決して堅苦しくない、相手をほっこり包むお辞儀をすることができる。よってプレゼン委員が確定している人達は同僚となる芹沢さんの日直業務を素直な気持ちで応援し、そしてそれに該当しない人達は、同じく素直な気持ちで私事の時間を。芹沢さんから話しかけられたことは僕にとっては「日直からの突然の名ざし」でも、大多数のクラスメイトにとっては、気軽な時間に交わされる気軽な会話でしかなかったのである。その証拠に、
「私事は以上です。どなたか、連絡等ございますか」
 芹沢さんが日直業務へ戻るなり、喧騒はたちまち静まり教室は静寂で満たされて行った。しかもそれは、芹沢さんに協力しようとする皆の自発的な行動による、静寂だったのである。僕は心の中で唸った。
 ――さすがは西東京プレゼン大会小学生の部の、覇者だなあ。
 この卓越した女性と共にプレゼン委員になれる幸運を、教壇へ向けられる万雷の拍手を聞きつつ、僕はひしひしと感じたのだった。

 翌十一日の放課後、めでたくプレゼン委員になった僕は、会議棟で開かれる初会合に出席していた。
「暫定議長を務める龍造寺です。みなさん、よろしくお願いします」
「いよっ、暫定議長!」
「よろしくね、暫定議長さん」
 ちゅう会議室に、猛を除くメンバー五人の拍手と歓声が立ち昇った。この友と一緒に委員活動ができて嬉しくて仕方ない僕は、ひときわ大きく手を打ち鳴らしていた。
 すると時を同じくして、3D映像の壁で仕切られた部屋の向こう側からも、拍手と歓声が微かに聞こえてきた。会議棟には、小会議室8、中会議室4、大会議室1の、計十三の会議室が設けられている。よって二十クラスの委員が集結し同時に会議を開くと、一つの会議室を複数のクラスで使うという措置がどうしても必要になってくる。僕ら十組は六人という委員数の比較的少ない組だった事もあり、同じく委員数の少ない十七組とペアになってこの中会議室を使っていた。といっても3D壁と相殺音壁のお蔭でペアの組の会議に煩わされることは無いのだけど、教育AIは十七組の気配をあえて漏れさせることで、「お隣さんも暫定議長をはやし立てているんだな」という一体感を演出したのだろう。咲耶さんらしいなあと、僕は心の中でクスクス笑った。
「それでは早速、議事2の『代表委員選出』へ移ります。立候補、もしくは推薦はありませんか」
 抑揚がさして無いにもかかわらず、いや作為的な抑揚を省いているからこそ、心地よいリズムで鼓膜を震わせる猛の声が会議室に響いた。ちなみに議事1は暫定議長挨拶、議事3は代表委員挨拶だ。暫定議長は会合前に話し合って、代表は会合中に話し合って決めるのが原則だが、この二つは一年時のみ、くじ引き等で決めても良いことになっている。実際僕らも嫌がる猛を説き伏せ、暫定議長をじゃんけんで決めた。猛がなぜ渋ったかと言うと実はこの漢、じゃんけんにしこたま弱いのである。その猛の促しを受け、
「はい、私はこのまま猛が代表になれば良いと思います」
 芹沢さんが真っ先に挙手し発言した。その様子に、僕は胸中首を傾げた。桃源郷の天女様を彷彿とさせるいつもの芹沢さんとは異なる、頑なな気配をいささか感じたのである。それは事実そうだったらしく、芹沢さんは推薦理由を尋ねられる前に、それを熱心に説いて行った。推薦された方の猛も、泰然自若な古武士というより、困難な戦況に臨む戦国武将の面持ちでそれに耳を傾けていた。そんな、記憶にある限り見たことのない二人に、二人を除くメンバー全員がピンと閃いた。へ~、珍しい事もあるもんだなあ、と。
「へ~、珍しい。あなた達みたいなおしどり夫婦でも、喧嘩するのね」
 青木さんが二人へ、さも貴重なものを見たかのように茶々を入れた。ちなみに青木さんは、出席を取るさい二番目に呼ばれる、あの女の子だね。
 それはさて置き青木さんが茶々を入れるや、
「「違う、喧嘩じゃない!!」」
 おしどり夫婦は、完璧にハモって否定の言葉を放った。その完璧振りに僕らは吹き出しかけるも、この時は会議が始まったばかりという事もあり、みんな必至で笑いを堪えていた。
 が、きっとそれも含めて青木さんの計画どおりだったのだろう。喧嘩については異を唱えても、夫婦については一向に否定しようとしない二人へ再度青木さんが、
「おしどり夫婦は認めるのね」
 と絶妙なタイミングで突っ込みを入れたものだから、全員が臨界点を突破してしまったのだ。顔を真っ赤に染める猛と芹沢さんをよそに、僕ら四人は腹を抱えて笑い転げたのだった。
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