僕の名前は、猫将軍眠留

初山七月

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九章

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 大笑いで肩のりきみが取れたのだろう、それから議論は一気に活性化した。六つの机を円を描いて配置したことにも助けられ、六人全員が自分の意見を自由に発言してゆく時間が続いたのだ。その結果、代表候補は猛、芹沢さん、青木さんの三人に絞られた。ただ絞られたと言っても、三人とも立候補者ではなく、自分以外の他者を推薦する立場だったので、推薦理由演説という少し特殊な論戦が繰り広げられたんだけどね。
 ちなみに青木さんは、おしどり夫婦の喧嘩騒動を見事収めた手腕が評価され、候補に名を連ねる事となった。その先鋒を務めたのが、喧嘩騒動の当事者の猛だったことは、研究学校ならではの出来事として議事録に記載されている。
 そうこうする内、
「私が猛を推薦する理由をもう一度述べます」
 推薦者による最終演説の時間が訪れた。一番手は、猛を推す芹沢さん。芹沢さんの陣営に所属する者として、僕は背筋を伸ばし演説を傾聴した。
「この学校に入学してから、猛は怠けています。小学校の六年間を、猛は頭の切れるリーダーとして過ごしたのに、湖校ではその自分を一度も表に出していないのです」
 そうだそうだ、というヤジの代わりに僕は大きく頷いた。猛が明晰な頭脳を有する優れたリーダーであることを、高速ストライド走法の共同研究者の僕は、身をもって知っていたのである。
「猛が脚に怪我を負い、選手活動を一年近く休んでいたのは、皆さんもご存じかと思います。そして人はそのような状況下では、内向的になりがちなもの。それは仕方ないことだと私も思います。ですが怪我を克服し、中距離走者として復活したのですから、内向的な学校生活も改めて欲しい。プレゼン委員の代表になることは、その絶好の機会になるでしょう。皆さんお願いです。どうか猛を、助けてあげてください」
 そう言って芹沢さんは立ち上がり、皆へ深々と腰を折った。芹沢さんの話は感情的かつ主観的だったため、人によっては前時代的演説として低評価を下したかもしれない。だが湖校入学以来、苦楽を共にして来た皆の胸に、その演説は突き刺さった。真心をまっすぐ述べる芹沢さんの姿に、僕らは心を射抜かれてしまったのである。故にもし、競争相手が猛と青木さんでなかったなら、芹沢さんの願いは間違いなく叶っただろう。しかし運命は、芹沢さんに味方しなかった。二番手を務めた猛自身によって、芹沢さんの演説に修正が入ったからだ。
「まずは、誰にも話したことのない俺の野心を明かそう。それは」
 猛はここで一旦、思わせぶりに溜めを入れた。身を乗り出す皆の気配が会議室に満ちてゆく。それもそのはず、誰にも話してない野心なんて言葉が出てきたら、興味をそそられて当然なのである。仮議長として抑揚を遠ざけてきた漢が、ここぞとばかりに抑揚をたっぷり付けて述べた。
「それは、天下人の友になることだ。俺の先祖の龍蔵寺氏みたいな地方の戦国大名ではない、織田や豊臣や徳川のような天下人の友として、覇業の一翼を担う事。めちゃくちゃ恥ずかしいが、それが小学校入学前からの、俺の野心なんだ」
 野心を暴露し急に恥ずかしくなったのだろう、猛は頬をポリポリ掻いて照れた。それを受け、僕ら五人も負けず劣らず照れてしまった。あらぬ方角へ目をやったりモジモジしたりと仕草はそれぞれでも、本音を明かした方も明かされた方もこうして等しく照れるのは、皆の仲が良い証拠。理屈じゃなくただ純粋に、僕らはそういう年頃なのだ。
「俺が小学校時代に、クラス委員や生徒会役員を全力でこなしたのは、その準備のためだ。その六年間が、十組と寮で活きた。十組には北斗がいたし、寮には真山がいたからな」
 猛を含む六人全員が同時に息を吸い、そしてそれを吐きつつ皆で一斉に首肯した。北斗は今更何も言うことのない我ら十組のリーダーだし、真山が第八寮の一年長として成し遂げた「男女仲の良さ」は僕が知らなかっただけで、一年全体の共通認識だったのである。
清良きよらは、俺が内向的になったと評した。それはあながち間違いではない。北斗や真山の友としてあいつらを助けたいという『心の内側から湧き上がってくる声』に、俺はこの一年間従って来たからだ。内向的であっても、野心を満たせるヤツに二人も出会えて、俺は嬉しかったんだよ」
 猛がこっちをチラっと見たので、任せておけいと僕は挙手した。
「確かに猛は活き活きしていた。それは僕が保証するよ。芹沢さんと一緒に猛を推薦している僕が言うのも、ナンだけどね」
 挙手をもとの位置に戻さず、その手で頭を掻きながら僕はそう言った。すると猛も阿吽の呼吸でそれを真似て、一糸乱れぬシンクロを二人で披露したものだから、会議室がどっと沸いた。その勢いに乗り、猛は締めに入る。
「とまあ、俺についてはこんな感じだ。そして俺は、代表委員に青木さんを推薦する。青木さんは、優れたリーダーだ。なんてったって、北斗と真山という巨人たちと一緒に仕事をしてきた俺を、ついさっき、ああも見事にあしらっちまったんだからな」
 笑い声と拍手を全身に浴びて猛は演説を終えた。右手をゴメンの形にして謝る猛へ、芹沢さんは何もかも理解した柔らかな笑みで首を横に振っている。そんな二人に僕は思った。猛は天下人の友になりたいと言ったが、風格漂う漢の面と陽気なひょうきん者の面を併せ持つ猛に、芹沢さんの内助の功が加わるのだから、猛も充分、天下を狙える器なのだと。
 しかし当然ながら、天下とはそうそう手に入らぬものらしい。なぜならこんなちっぽけないくさすら、狙いどおりにいかないからである。それは青木さんが、ヤレヤレと肩を竦めて見せたことから始まった。
「はあ、難しい戦いになるのは予想していたけど、まさかこれほど苦戦を強いられるとはね。私も、とっておきのカードを切るしかなくなっちゃったわ」
 息を一つ吐き、青木さんは瞑目した。それは表面だけ見れば、同意と注目を集めるプレゼン技術の基礎の一つに過ぎないと言える。だが、ありふれた技術のはずのそれに、凄まじい完成度を感じた僕は、呼吸を忘れて青木さんを凝視していた。それは皆も同じだったらしく、全員が息を詰めて青木さんへ注意をそそいでいた。そしてそれが息苦しさや目の渇きなどの物理現象として顕現する直前、青木さんは瞼を上げ、諦念をにじませた笑顔で言った。
「去年の、西東京の代表を決めるプレゼン大会で、私は芹沢さんにあっけなく負けているのよ」と。

 会社等の組織に所属せず、個人事業主として収入を得る人が増え続けているこの時代、自分の専門分野を分かりやすく他者へ伝える能力は、子供が磨くべき最重要技能の一つとなっている。日本も国を挙げてそれを後援しているため、プレゼン全国大会は、スポーツの全国大会を遥かに凌ぐ戦いの場になっていた。
 例えば芹沢さんの住む国分寺市と青木さんの住む国立市を含む西東京の代表になるには、クラス、学年、学校、学区、小地区、大地区の六つの予選をことごとく制し、そして西東京大会で優勝しなければならなかった。これだけでも気が遠くなるのに全国大会へ進むためには、西東京を含む八つの地域を勝ち抜いてきた八人の強者つわものと関東大会で戦い、一位を勝ち取らなければならないのだ。専門家とAIが協力して行う審査も信頼性が非常に高く、プレゼン大会の成績と個人事業主になってからの収入および活躍度に、差はほとんど無いことが長期間の追跡調査によって判明していた。
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