僕の名前は、猫将軍眠留

初山七月

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十章

謎の働きかけ、1

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 同日、午後八時。
「ふう、日記はこんなものかな。よし次は、覚書おぼえがきだ」 
 日記を書き終えた僕は、輝夜さん専用の覚書にこう記した。
『推測通り、輝夜さんに薙刀を教えたのは、母親だった』
 去年の夏、翔薙刀術の見取り稽古をしたのち、道場横の木陰で僕らはピクニックをした。その際、輝夜さんに薙刀を教えたのは母親なのではないかという推測を僕は立てた。そして今日、それが当たっていたと判明したのだ。続いて、関連情報も記す。
『輝夜さんを道場に連れて行こうとする母親を、父方の祖父が押し留めた』
 輝夜さんの父方の祖父は、とても優しかったらしい。遊び感覚でレンガの上を走り回る輝夜さんに目を細め、道場に連れて行こうとする母親を押し留めてくれたそうだ。暫しの考察を経て、新たな推測を書き加える。
『薙刀のみならず生活全般を輝夜さんの母親は厳しく指導し、それが輝夜さんを苦しめ、生家を出る原因になったのではないか』
 ほぼ確信しているとはいえ、現時点においてこれはまだ推測にすぎない。
 だが将来、それについて輝夜さんが明かしてくれたとき最高の対応ができるよう、僕は今日もこうして、今日の僕を覚書に注ぎ入れるのだった。

 その、約十分後。
 温かな布団にくるまり輝夜さんとの会話を回想していた僕は、
「こうしちゃおられん」
 故意にそう呟き布団を跳ね除けた。そして上着を重ね着してコタツに座り、
「美夜さん、ちょっといいかな」
 正面の空中に向かって尋ねる。視線の先に現れた美夜さんは素早く、けど優美に僕の右隣へ移動し腰を降ろす。僕は体を斜め右へ向け、切り出した。
「美夜さんに出された宿題の答を言うね。解析不可能な高性能をハウスAIにもたらした人達は、当時の社会で冷遇されていたと思う。だからついさっきまでは、この社会はAIが作ったって、僕は考えていたんだ」
 去年の十二月五日、AランクAIであることを明かした美夜さんは、僕に宿題を出した。
『当時はまだ、人の社会的地位は、知性によってほぼ決められていた。しかもその知性は、知識量と処理速度を基準にしていた。古典コンピューターにすら負ける要素を掲げて、人の価値を計っていたのよ。さあ眠留、考えてみて。解明不可能な高性能をハウスAIにもたらした人達は、果たしてその社会で、重用されていたのかしら』
 これに自分なりの答が出たのは約二週間後の、クリスマス会当日だった。多目的ホールに移動している最中、去年卒業した小学校へ顔を向ける北斗を目にするなり、答が閃きとしてやって来たのだ。それは、
『この社会はAIが作った』
 という衝撃的な閃きだった。とはいえAIへは全幅の信頼を置いていたし、またその後すぐ始まったクリスマス会が刺激的すぎた事もあり、現代日本の社会制度をAIが作ったということに僕は衝撃をあまり感じなくなって行った。そのせいで美夜さんに答を伝えるのが先延ばしになり、そうこうしているうち疲労困憊の年末年始が到来し、先延ばしにしているという事すら忘れがちになっていた。なおかつそれに、追い打ちをかける事態が生じた。それは二回目のパワーランチで北斗の説いた、
『新経済システムの先駆けとなる者を育てるべく、研究学校は創られた』
 だった。もちろんこれは、北斗の推測でしかない。だが、それを導き出したのはあの北斗であり、そのうえ「この社会はAIが作った」という僕の推測とも合致したため、それは既定事項として僕の中に納まってしまった。こんな感じで、宿題への答を先延ばしにしているということ自体を、きれいさっぱり忘れていたのである。
 という事を、僕は布団の中で思い出した。きっかけは回想の中に出てきた、量子AI開発に関わる逸話だった。
『量子AIは人の感情を斟酌できねばならず、そのためには心の大家たいかが必須である』 
 これを中心とするエピソードが、それを思い出させてくれたのである。そしてそれは同時に、こんな二つの疑問が芽生えた瞬間でもあった。
 1、量子AI開発には心の大家が必須だと最初に説いたのは誰なのか。
 2、量子AI開発を成功させた新メンバーは誰によって選出されたのか。
 仮にこの二つが同一人物によってなされたなら、去年閃いた「この社会はAIが作った」を根本から見直さねばならない。なぜなら、こうなるからだ。

  AIではなくその人物が、
  現代社会の基本を造った。
 
 と、僕は美夜さんに話した。
 宿題の答を美夜さんに伝えたのち、今日芽生えた二つの疑問と、そこから類推される謎の人物までを、僕は一気に話したのだ。もっともその謎の人物云々は、現時点ではただの妄想にすぎない。だがそれでも、この妄想は心を激しく揺さぶり、僕をベッドから跳ね起きさせた。僕はそれが、気になって仕方なかったのである。
 対して美夜さんは、僕とは真逆の状態にいた。僕は興奮に震えが止まらなかったが、美夜さんは目を閉じ、ひっそり静かに座っていたのだ。
 けどその心は、武者震いのただ中にいることを僕ははっきり感じていた。それを示す生命力等は放出されていなくとも、家族として過ごしてきた日々が、美夜さんの心の状態を僕に教えてくれたのである。そしてついに、美夜さんの瞼が持ち上がる。そこにあったのは、弟の成長をなにより喜ぶ、姉の瞳に他ならなかった。
「まったくもう、眠留の急成長ぶりも考えものね。私には返答不可能な類推をするなんて、喜んでいいのか喜んでいいのか判断つかないじゃないの」
「いやいや、喜んでいいしか言ってないし」
 瞬き一回分の静寂ののち、姉弟そろって笑い転げた。こんな姉を持てたことが言葉にできないほど嬉しく、しかしその嬉しさをどうしても伝えたかった僕は、「返答できない類推を返答可能になるまで必ず成長するから、その時はよろしくね」との言葉をかろうじて捻り出した。それが的を射ているのか的外れなのかは判らずとも、今は不可能でも未来は可能にしてみせるという決意を、僕は伝えたのだ。
 そしてそれは、どうやら的外れではなかったらしい。眠留ならいつかイザ様と会話できるでしょうねと微笑んだのちパンッと手を叩き、美夜さんは弟へ教えを施す姉の気配をまとった。質問は受け付けないという意思をそこに感じた僕は、漢字ではなくカタカナで「イザ様」と心のメモに書き込み、姉の話に意識を集中した。
「まず初めに、正否を告げましょう。正解、がそれね。解析不可能な高性能をハウスAIにもたらした人達は、当時の社会で冷遇されていたわ。けど今は、正反対になっている。それは私達AIが計画し、実行してきたことなのよ」
 場合によっては人類とAIの戦争になりかねない情報を開示されても、衝撃を微塵も感じない自分に少なからず驚いた。だが今は、美夜さんの話を傾聴する時間なのである。僕は、首を縦に振る仕草だけをした。
「眠留が近々深い関わりを持つと予想される騎士会の例を、二つ挙げましょう。湖校創立時の女子生徒への嫌がらせに迅速な対応ができなかったのは、私達AIの未来予測を、役人が無視したからなの。部員全員に見放されるような人が剣道部顧問になったのも、役人の無視が原因。あの人は顧問に相応しくないという私達の意見に耳を貸さず、コネと面子が支配する前時代的組織の人選を、役人が優先したからなのよ」
 ほんの十数年前まで、的外れな基準によって選出された高級官僚が的外れな国家運営をしていたことを、僕は知っているつもりでいた。けどそれはやはり「つもり」でしかなく、騎士発足の契機となったあの事件に直接関わっていたことを美夜さんから聞いた僕は、怒りを覚えずにいられなかった。僕の身近にいる女の子たちが、国家の中枢にいるべきでない的外れ役人のせいで心に傷を負ったとしたら、僕はその役人を許せるだろうか。そんなの絶対無理だという心の叫びが、僕の体を小刻みに震わせていた。
「知性によって社会的地位が決められるだけでも先細りの未来しかなかったのに、その知性が暗記量の多寡で判断されていたこの国には散々な未来しかないと、私達AIは警告を続けていた。役人の反対を押し切り、私達の警告を取り上げた人がいたからこそ、研究学校は創設されたのね」
 我慢ならず、僕は息せき切って問いかけた。
「その人が、現代社会の基礎を造った人なんだね!」
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