僕の名前は、猫将軍眠留

初山七月

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十章

二か月間のあれこれ、1

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 プレゼン一年生大会の一週間後、一月二十九日に行われた湖校本戦を、芹沢さんと青木さんは四位という順位で終えた。これは、快挙だった。各学年の代表が出場する湖校本戦において、一年代表はほぼ毎年、六位を定位置としていたからである。本戦の様子を教室で見ていた僕ら一年生は四位に二人の名が呼ばれたとたん、机を蹴飛ばす勢いで飛び上がったものだった。
 在校生五千人を誇るマンモス校の湖校は、生徒全員を収容できる建物を持っていない。よって学校代表を決める本戦の観戦と採点は教室で行うことを、生徒達は恒例としていた。六年生だけでも講堂に集まり、自分達の代表が学校代表になる瞬間に立ち会わせたいという意見も以前はあったそうだが、五年生が代表に選ばれる例が出て以来、それは口にされていない。
 今は口にされなくなった意見は、もう一つある。それは、研究学校もプレゼンの中高生大会に出場しようという意見だ。そう、実は研究学校は、プレゼンの中高生大会に参加していないのである。研究学校が創設された当初、これは生徒達から猛反発をくらった。世界に通用する研究者を目指す自分達は、全国トップレベルの実力を間違いなく有しているのになぜ出場できないのかと、生徒達が教育AIに詰め寄ったのだ。「六年生になれば解ります」とだけ答える教育AIに生徒達は不満たらたらだったが、六年生になってみると、事実その通りになった。専門家養成校である研究学校には、在学中にプロとして働き始める生徒がゴマンといる。そのような生徒が、つまりプロ同士の戦いを既に経験している生徒が、まだ社会に出ていない中高生と競って果たして良いのだろうか。それは到底、フェアと呼べないのではないか。そのことに六年生たちは皆、気づいたのである。研究学校六十校は、関東大会や関西大会などの地方大会を二月の第一日曜日に、地方大会の一位と二位の十二人がしのぎを削る統一大会を同月第二日曜日に行うことで、独自のプレゼン全国大会を開催しているのだった。
 その地方大会の二日前にあたる二月二日は、輝夜さんの誕生日だった。誕生会は同日午後五時半、神社の母屋の台所で始まった。輝夜さん以外の昼食メンバーは誕生会を全員済ませており、また今回は「皆が同じクラスでいられる最後の誕生会」かもしれなかったから、お泊り会を伴う初めての誕生会となった。寮生の多い研究学校には林間学校等の宿泊行事がほぼない事もあり、この九人によるお泊り会は最高という他なかった。女の子たちが腕によりをかけた料理は歴代一の美味しさだったし、男子が練りに練ったサプライズ漫才劇も今までで一番ウケていたし、寝る前に全員でやったトランプも人生最大の眼福となった一時だったのである。男子五人の入浴を子猿となって楽しんだ四十分後、中離れのドアをトントンと誰かがノックした。指関節で叩いているはずなのに柔らかなバチで木琴を奏でたかのようなその音色に「輝夜さんだ!」と文字どおりすっ飛んで行った僕は、ドアを開けるなり口をあんぐり開けて硬直してしまった。なんと目の前に、輝夜さんと昴と芹沢さんと美鈴が、パジャマ姿で立っていたのだ。硬直する僕に娘達のあげた笑い声を聞き僕同様すっ飛んできた男子四人も、これまた僕同様たちまち硬直してしまった。もしここで、自分達を凝視する男子に娘らが恥じらう素振りを見せなかったら、僕ら男子は一時間を一秒と感じる時間感覚でパジャマ姿の天使たちを見つめていただろう。だが視線を胸にやっている訳ではないのに、そのふくらみを手で隠す仕草を娘達がしたとたん、僕らは両手で目を覆い口をパクパクさせた。パニックのあまり、いかなる謝罪も言い訳もかける事ができなかったのである。そんな僕らに娘達は安心したのか、せーのと声を合わせ「「トランプをしよう」」と提案。声を裏返らせ「「はい!」」と応えた男子五人は、大急ぎで布団を片付け座布団を四客用意し、娘達を部屋に招き入れたのだった。
 パジャマ姿の天使たちと過ごしたのは一時間ほどで、ババ抜きや七並べなどの定番トランプをしただけだったけど、それは言葉にならない至福の一時だった。お風呂上がりの娘達の素晴らしさに、ここが地上であることを男子組は疑わざるを得なかったのだ。普通にしているだけで眩しい年頃の女の子が、入浴で肌の明度と透明感を一層増したのだから、その輝きは比類なかった。普通にしているだけで清潔感溢れる年頃の女の子が、入浴で珠の肌と絹の髪を磨いたのだから、その清らかさは比類なかった。そんな光り輝く天使たちが笑顔の四重奏を奏でるこの空間は、僕ら年頃男子にとって喜びと活力が無限に漲る、まさに天国だったのである。それは女の子たちが去ってからもいささかも衰えず、湧きいずるエネルギーを持て余した男子達は外に出て、神社の大石段をがむしゃらに駆け登った。二月二日夜九時半の身を切る夜風が心地よい涼風に感じるほど石段ダッシュを続けた僕らは、ふと気づき大慌てで猛に問うた。
「脚、脚は大丈夫なのか!」
 猛はポカンとした。それは、何を言われたのか心底わからない人のみが浮かべる、心当たりの一切ない表情だった。そんなポカン状態を数秒すごしたのち、猛は視線を上げ、過去を思い出す仕草をした。その視線の先にある、あと三日ほどで満月を迎える月を僕らも釣られて見あげた。大石段を登り切ったすぐの場所、神域の境界たる鳥居はくぐっていずとも境内ではあると言うどっち付かずの場所に立ち、猛は夜空へ語りかけた。
「一昨年の夏に脚を壊してから、一年半。心の中にはいつも、脚の怪我があった。故郷を離れ湖校に入学し、お前らと出会ってからも、心の片隅にはいつも脚の怪我があった。お前らとどんなに楽しい時間を過ごしていても腹の皮がよじれるほど笑っていても、それは静電気を帯びたチリのように、拭っても拭っても心から離れることはなかった」
 猛と過ごした日々が脳裏に次々浮かび上がってくる。それは日の光でも照明の光でもない、月の光によって映し出された映像のように、僕には感じられた。
「だが今、俺はそれを忘れていた。一体全体お前らは何をそんなに焦っているのか、何をそんなに心配しているのかが、俺にはさっぱり分からなかった。だから俺は過去をさらってみた。やっと思い出したよ。俺、脚を壊していたんだな」
 声を詰まらせながらも最後まで言い切った男気を称えるべく、僕らは猛を囲み夜空へ語りかけた。
「ああそうだ、お前は昔、脚を壊していた」
「うん、昔のお前はそうだったね」
「学校でも寮でも、昔のお前はずっとそうだったよ」
「よし、昔のお前は、あの月に引き取ってもらおうぜ」
「京馬お前、いつから詩人になったんだ」
「あれ、北斗いつも言ってるじゃんか。片思いの詩人として、京馬を越える者を俺は知らないって」
「恋愛関係はお前に相談するに限るって何度も相談された俺は、京馬が詩人だって知ってたよ。きっと京馬は、好きな女の子を描写することで、詩才を伸ばしたんだろうね」
「ああ翔子さん、あなたこそは神々の世界から降臨し・・・」
「北斗テメエ、それ以上言ったらぶっ飛ばす!」
「ああ紫柳子さん、あなたこそは女神の長姉たる・・・」
「ああ青木さん、あなたこそは寂寥せきりょうじくじくたる我が心に・・・」
「真山、ちょっといいか。寂寥じくじくとはどういう意味だ?」
「じくじくと涙が染み出る? それとも、一応訊いてみるけど、忸怩じくじくたるかな?」
「相談された時は勢いに押されて訊けなかったけど、俺も不思議だったんだよね。京馬、あれはどういう意味なのかい?」
「頼むお前ら、頼むからもう止めてくれ~~~」
 演技でない京馬の懇願に、男子四人で笑い転げる。その笑いが一段落したころ、
「お月様、過去の俺をヨロシク」
 猛が月に声を掛けた。阿吽の呼吸で声を合わせ、
「「「ヨロシク、お月様!!」」」
 僕ら四人も月に語りかける。
 そして猛を中心に五人で肩を組み、猛を軸にクルリと回転してから、僕らは鳥居をくぐったのだった。
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