僕の名前は、猫将軍眠留

初山七月

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十一章

四千年、1

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 キーンコーンカーンコーン
 帰りのHR終了を告げるチャイムが校舎に響いた。といってもこのチャイムが鳴り始める頃には、HRは既に終わっているのが湖校の常と言えた。一日の始まりにその日の予定を確認し合うのは非常に重要なので日直はそれに全力を注ぐが、一日の終わりに最も重要なのは、別れの挨拶を気持ちよく交わすことだ。よって日直の「連絡事項はありませんか?」との問いかけに「「「ないで~す」」」と全員で応え、
「起立」「礼」「「「さようなら~」」」
 なんて感じに、十秒ちょっとで帰りのHRを終えるのを僕らは日常にしていた。文化祭などの期間を除けばこのノリでやっても不都合は一度も起こらなかったし、そんな噂を耳にしたことも無いから、これで充分なのだろう。という次第で挨拶を終えるなり身軽に机を離れるのが習慣だったのだけど、
「気が滅入るなあ・・・」
 今日は例外的に、チャイムが鳴り終わるまで僕は重い体を椅子に沈めていた。待ち合わせをしている人に限りない愛情を抱いていても、その人にあきれ顔をさせてしまうのが分かっている状況では、そうせざるを得なかったのである。でも、
 パンパンッ♪
 僕は小気味よく頬を叩いた。
 そして話しかけられない小道具として起動していた2D画面を消し、教室を後にしたのだった。
 
 昇降口で靴を履き替え、外に出る。一年生のころは昇降口を出ると、狭山丘陵へ続くなだらかな芝生が目に映り解放感を覚えたものだが、二年生におけるこの場所は、鉄筋コンクリートの建物が眼前に立ちはだかる閉塞感ただよう場所になっていた。しかも始末の悪いことに、閉塞感の元凶と言えるその建物は、かけがえのない想い出が無数に詰まった一年生校舎なのである。滅入る気分が再度芽生えるも首を横に降り、僕は歩き出した。
 神社のある東を背に、西へ向かって歩を進める。一年生校舎が形作る日陰から一秒でも早く抜け出すべく、大股でズンズン歩いてゆく。するといつの間にか、浮き立つ心を僕は覚えていた。それはおそらく、歩幅の大きいこの歩調が、待ち合わせをしている人と過ごした幼稚園時代を思い出させるからなのだろう。背が高く活発なその人と一緒に歩くとき、僕はいつもリズミカルな大股で歩いていた。たったそれだけの事が楽しくてならず、かつ大好きな人と一緒に歩く嬉しさがそこに加わったから、幼稚園児の僕はその人とそうして歩くだけで最高の時間を過ごすことができた。それが相手に伝わり、それが再び僕に帰って来て、またそれが相手に伝わるという、一対いっついの幸福増幅装置のような関係を僕らは出会ってすぐ構築した。あれから九年経った今もその関係はいささかも揺るがないが、それでもその人という言葉をあえて使うことで「その女性」という本心を偽る自分を、歩を進めるにつれ僕は強く感じて行った。そしてそれは待ち合わせ場所の、体育館西側に立つ銀杏の木に背を預ける美少女を目にするや、針の先端となって僕の胸を刺した。だがその傷から溢れたのは血ではなく、愛情だった。なぜなら僕は、覚悟を決めていたからである。堂々巡りに終止符を打つまで僕はこの女性を、世界で一番愛するのだと。
「ごめん昴、待たせちゃったね」
「ううん、今きたばかり。待ってないよ、眠留」
 昇降口とこの銀杏の木は、100メートル以上離れている。その距離を歩いている最中、昴の姿を見かけなかったのだから、今きたばかりという言葉は文法的には正しくないのだろう。しかし言葉は人が使うものであり、そして人には心があるため、時の経過を心が感じなかったという現象は決して珍しくない。第一僕自身が、ここでこうして昴を待っていたら、時間が経つのをきっと忘れていたはずだからね。
「良かった。じゃあ、行こうか」
「ええ、そうしましょう」
 昴の意を察し先に歩き始めた僕は、歩く速度を落とし進路を右へ寄せる。それに合わせ昴は小走りになり、僕の左に回り横に並んだ。僕の右側にいるのを好んだ小学校時代の昴なら、待ち合わせ場所からそのまま歩を進め、僕の右側にい続けたはず。それが変化した約一年前から、僕はこうして折をみて、昴の望みを叶えるようになったのである。
「ありがとう眠留。あなたはいろいろ変わったけど、ううん、これからあなたは駆け足で変わってゆくでしょうけど、二人でいる時だけは、この場所にいさせてもらえるかな」
 僕がそうするって昴は知ってるじゃんか、と答える代わりにこんな言葉が口を突いたのだから、やはり僕は変わったのだろう。
「今まで守ってきてもらったぶん、これからは僕が守るから」
 立ち止まった昴の顔が、みるみる真っ赤になってゆく。そんな幼馴染を守るべく、「幼稚園のころは同じ組にいても昴を年長組のお姉さんって思ってたんだ」や「白状するとちょっと前まで昴は僕の同い年のお姉さんだったんだよ」との恥ずかしい暴露話を、僕はし続けたのだった。

 一年生から三年生までが使う第一グラウンドは、四方を土手で囲まれている。土手は東側と北側だけが上に舗装道路を設けられており、その東側道路から北側道路に差し掛かったところで、昴が話しかけてきた。
「眠留、大丈夫よ。体育祭実行委員になれなかったことを、これ以上理由にしなくていいわ。守ってくれて、ありがとう」
 数秒前まであった姉の気配が、今の昴にはない。この場所でそれを口にし、かつ姉の気配を脱ぎ捨てた事から、生半可な覚悟では不可能な幾つかの事柄を昴は明かしてくれた。
 僕はまだ、体育祭実行委員になれなかったことを昴に伝えていない。にもかかわらず昴がそれを既成事実として扱ったのは、星辰の巫女である彼女にとって、それは確固たる未来でしかなかったからだ。ならそれを役立てよう、と昴は考えた。あれほど念押しした委員就任を叶えられなかった僕にあきれ顔を浮かべ、姉として僕を教え諭しつつ、新忍道サークルの練習場横を通過する計画を昴は立てた。なぜなら昴は、北斗に見られたくなかったのである。普通の女の子になって僕の隣を歩く、自分の姿を。
 そしてそれは、僕も同じだった。待ち合わせ場所で昴が纏った、守ろうと思わずにいられない一人の少女の気配を、北斗に気付かせる訳にはいかなかった。昴にそれを纏わせたのが北斗だったら、それは新忍道への無限の活力になったはずだが、そうでないならそれは、北斗の気力を削ぐ事柄にしかならない。然るに僕は昴を姉と慕っていた頃の暴露話を連発し、そうすることで僕と昴を、当時の二人に立ち戻らせようとした。北斗の良く知っている、出来の悪い弟を諭す姉としての昴に戻ってもらうことを、僕は望んだのだ。それは昴の望みと一致したため、「守ってくれてありがとう」と、昴は言ったのである。
 だが、これだけではない。これだけでも、僕と昴がややこしい問題を抱えている証明になるが、僕らの間に横たわる闇は、これだけでは決してなかった。それは、
 ――たとえそうであったとしても昴は僕の隣で普通の女の子に戻ることを願わずにいられず、そしてそれは同時に、僕の願いでもあった――
 という、恐るべき事実だった。
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