僕の名前は、猫将軍眠留

初山七月

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十一章

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 着席するなりポケットのハイ子が振動した。取り出すと湖校騎士会からメールが来ており、「騎士会HPへアクセスし見習い希望者用紙に必要事項を記入すること」と書かれていた。指示どおり2D画面を立ち上げ騎士会HPにアクセスし、該当用紙の空欄を埋めて行った。最初こそ氏名や生年月日や血液型等のごく短い情報を記入するだけだったが、中盤以降は時間がかかった。体育の成績と身体能力の傾向、身に付けた護身術の概要、部やサークルの活動内容、そして志望動機等々の、それなりの時間を要する質問に次々答えなければならなかったのだ。当然それは皆も同様であり、誰一人無駄口を叩くことのない時間が過ぎて行った。それは騎士会の指示に従ったが故の必然的な静寂だったが、同時にそれは、僕らを精神的に追い詰める静寂でもあった。上質な回答のためには好都合な静けさでも、面接に不可欠な平常心を保つには、それは不適切な沈黙だったのである。僕らは回答の見直しをしつつ、もしくはその演技をしながら、勇気ある誰かがこの沈黙を破ってくれることを切実に願っていた。ヘタレの僕はそれがことのほか強く、頼むから誰かお願い~~と胸中叫び続けていた。だが幸い、脳裏をかすめたある光景が、僕らは既に入会テストの真っただ中にいるという事実を気づかせてくれた。それは幼い頃、両親にせがみ会いに行っていた、憧れのヒーロー達の光景だったのである。
 湖校生の安全を守るべく、風の日も雨の日も通学路に立ち続けるお兄さんとお姉さんは、憧れを抱かずにいられない僕のヒーローだった。僕は親に頼み月に一度の割合で騎士達へ合いに行き、そのどの記憶を思い出しても、騎士達は無言で警備に当たっていた。足を肩幅に開き、手を腰で組み胸を張り、二人揃って前方をキリリと見つめていたのだ。後に知ったがあの姿勢は相当きつく、巡回という名目で二十分毎に通学路を歩き、担当場所を次々変えていかなければ、三時間の警備は続けられないと言う。よって僕のような子供と挨拶を交わすのは、心身共に楽な姿勢を取れる有り難い時間であり、なればこそ騎士は子供達のため、姿勢を崩さず任務に就いていた。無駄口を叩くだらしない姿を子供にさらさぬよう、騎士達は己を厳しく律していたのである。その光景が、教えてくれたのだ。
 僕ら八十人は今、沈黙に耐える能力の有無を試験されている、と。
 2D画面を消し、ハイ子をポケットにしまい、姿勢を正して静かに前方を見つめる。
 沈黙に耐えかね小声で話す同級生が現れ始めても、目に焼き付いた憧れのヒーロー達を思い出し、僕は寡黙に前方を見つめ続けたのだった。

 正確な時間はわからないが、椅子に座って三十分が経過した頃だったと思う。
 コツン、コツン、コツン
 地下に続く階段へ向かう二人の足音を、僕の耳が捉えた。これまでも階段手前のトイレを使う生徒の足音は何度も耳にしていたが、男子トイレの前を通過する足音はこれが初めてだった。一階から地下へ下りる階段も二階へ上る階段も東から西へ伸びているため、二人が二階へ向かう可能性も、階段を素通りし男子備品室へ向かう可能性も残されているが、それはほぼ無いと感じられた。理由は二人がさほど大柄ではなく五年生以上に思えなかったことと、二人は男女のペアだったからだ。二人が付き合っており、建物内を散歩している可能性もゼロではないが、事務的な足取りからそれは無いと判断できた。また女子は男子に遅れぬよう若干大股で歩き、男子は女子への気遣いから小股で歩いているが、足音を小さくしようとする意志をどちらも有していた。脚をあまり開かない方が足音を消しやすく、そして女子の歩く速度から、女子は150センチ台半ばの身長であることが窺えた。その女子と歩調を合わせることをさほど苦にしていないことから、男子の身長が170センチを超えることは無いように思えた。よって二人が円卓騎士以上の階級を持つ六年生である可能性は低く、それに「入会希望者の試験官は三年生が務める」という昴の情報を加えると、この男女が試験官であると僕には思えたのである。それを皆へ伝えるべく、僕は少し大げさに身繕いをした。閑な時間が長すぎ弛緩していた右隣の男子にそれは伝わらなかったが、メル友の内田さんは僕の意図を察したらしく、身繕いをする気配が女子側から伝わって来た。内田さんの両隣の女の子も何かを察したのか彼女に倣い、ほどなくそれは女子全員に伝播したけど、男子側に変化が訪れることはなかった。聴覚と意思疎通で男性は女性に勝てないから仕方ないとはいえ、それでも僕は心の中で、大きなため息をついたのだった。
 男子トイレの前を通過した男女のペアは予想どおり、地下へと続く階段を下りてきた。その足音を聞き、僕の右側にずらりと並ぶ男子達が慌てて身繕いを始めた。そんなマヌケ男子達へ、嘲りのない柔らかな気配を女の子たちが纏ったのは、僕にとってちょっとした驚きだった。人には気質というものがあり、この場面で「男子って子供よねえ」という態度を取る女子に、僕はこれまで幾百人も会ってきた。程度の差はあれその気質に分類される女子は小学校高学年時が一番多く過半数を超え、湖校入学以降はめっきり減ったがそれは一年十組が特別だっただけで、他の組にはそういう子が二割前後の割合で必ずいるようだった。つまり五十人の女子がいれば十人はその気質の持ち主という計算になるのだけど、ここに集まった五十数人の女子の中に、その気質の子は一人もいなかったのである。僕にはそれが、偶然とは思えなかった。「お兄さんお姉さんこんにちは」と挨拶した幼い僕の頭を優しく撫でてくれた女性騎士達の面影が、この子たちにピッタリ重なったからである。耳に、昴の言葉が蘇った。
「見習い騎士の合格者は一年時は男子が多く、二年時は女子が多いの。眠留は大丈夫でしょうけど、油断しないでね」
 騎士になるよう勧めてくれた芹沢さんと青木さん、そして部活を休んでまで僕に付き合ってくれた昴には申し訳ないが、この女の子たちに負けて不合格になるなら悔いはないなあと、僕は思ったのだった。
 ともあれ、
「起立!」
 見習い希望者の中から抽選で選ばれた女子の号令で全員一斉に立ち上がる。そして、
「礼!」
 皆とタイミングを合わせつつも、翔刀術で鍛えた身体能力に新忍道で学んだ礼儀作法を上乗せして、試験官の先輩方へ僕は頭を下げた。自分で言うのもなんだけど、会心の出来だったんじゃないかな。
 その頭を元に戻し、先輩方の目の位置を結ぶ線の中央に視線を固定するなり、お二人は口を開いた。
「男子の試験官を務める、准士三年長の藤堂だ」
「女子の試験官を務める、准士三年副長の美ヶ原です」
 腰を折る両先輩に続き僕らも腰を折る。ただ今回は先程の号令のように、皆で意識してタイミングを合わせることは無かった。理由は二つ。一つは、有名人の両先輩のお辞儀が見とれるほどカッコ良かったため、実際に見とれてしまった同級生が複数いたから。そしてもう一つは、目上の方々と交わす挨拶に慣れていない同級生達が、タイミングを逸してしまったからだ。「騎士に部やサークルの所属義務はなくとも、それらに所属し素晴らしい先輩方と過ごした経験を持っている方が、やはり有利なんじゃないかな」 床のタイルを見つめつつ、僕は心の中でそう呟いた。
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