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十一章
昴への罰、1
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北斗の助言に従い、僕は昼休み中に三通のメールを送っていた。新忍道サークルの先輩と騎士会の先輩と、そして神社の祖父母がそれだ。その祖父母の返信を、練習後の部室で腰を据え精読する。北斗の予想した三つ目の未来が、微笑ましいレベルで終息したことを確認した僕は、それを先輩方へ報告した。
「一年生達が詰めかける三つ目の場所と予想されていた神社でも、混乱は発生しなかったようです。美鈴の同級生と思われる三十人ほどの男女は、始めこそ少々はしゃいでいたそうですが、参道を歩くにつれ静かになり、手水舎で手を洗い、社務所の祖父母へお辞儀し、参拝を済ませて帰って行ったそうです」
先輩方は制服に着替えながら、それは良かったと安堵の息を吐いた。そして神社と祖父母の想い出話を、心底楽しげに交わしてゆく。その様子を見つめていた僕は、自問を静かに再開した。この素晴らしい先輩方に、一体何ができるのだろう、と。
それへの基本的な答は得られても具体的な答をどうしても見つけられなかった僕は、帰宅の道すがら北斗にそれを尋ねてみた。その問いかけは、一年前まで待ち合わせ場所として毎朝使っていたベンチに差し掛かったとき成されたので、北斗は「十秒くれ」と呟きそこに腰を下ろした。僕も北斗の左隣に腰掛け、耳を澄ませる。森へ帰るカラスの鳴き声に混ざり、冬には感じなかった虫たちの命の気配を、耳が微かに捉えた気がした。
「なあ眠留」
その耳が、今度は明瞭に捉えた。北斗はこれから、打ち明け話をするのだと。
「どうした、北斗」
ベンチの背もたれに背中を預け、見るとはなしに空を見上げる。北斗も同じ姿勢になり、続いて右手を持ち上げ、人差し指で空を指さした。
「昴は遠すぎる。俺はあと五年で、あいつに追いつけるのだろうか」
僕はようやく、重大な見落としに気づいた。上位視力を持たない北斗に、剣山と化した昴の生命力を視覚化することは不可能だったはずだ。しかしだからと言って、何も感じなかったとは考えられない。いや、北斗が何を感じたかを知っているのはこの宇宙で北斗だけなのだから、尋ねてみない限りそれは未知のままなのである。にもかかわらず、僕はそれを知っているつもりでいた。心の中で北斗に詫び、僕はそれを尋ねた。
「お昼休みの昴に、何を感じた?」
その問いに、北斗は遥か彼方を見定めるが如く目を細める。だが瞬きと共に緊張の気配を捨て、溜息をもらし腕を下ろした。それはまるで、指さすことのできない別次元の存在を指さしていた己の愚かさを、悟ったかのような仕草だった。
「3DGの世界に、モンスターの敵対勢力があったとする。人を凌駕している点はモンスターと同じでも、モンスターを悪の執行者とするなら、善の執行者と呼ぶべき存在がいたとする。その存在が3DGの世界から飛び出し、眼前に降り立ち、増長する男子生徒達をたしなめた。俺には、そう感じられたよ」
上位視力や魔想に関する知識を持たない代わりに、上位知力とも呼ぶべき能力を北斗は有しているのだと僕はつくづく思った。ふと、ある仮定が脳裏をよぎる。こいつが翔人になったら、一体全体どんな翔人になるのかな?
その刹那、時間と距離と次元によって隔てられた場所にいる僕自身の声が、虚空から降り注いだ気がした。
――大切な一人娘を失う悲しみを、おじさんとおばさんに・・・
僕は首を傾げ空を見上げた。しかしそんな仕草をしたところで声の謎を解明できるはずもなく、というか今となってはその声自体がただの錯覚のように感じられたため、僕は口をポカンと開けて夕焼け空を見つめていた。けどそれは傍から見たら、恥ずかしさに身もだえせずにはいられない仕草だったらしい。
「眠留たのむ、頼むから、荒唐無稽な話に拍子抜けした顔を、俺に見せないでくれ!」
などと勘違いも甚だしい懇願を、北斗は垂れ流し始めたのだ。コイツがこうも的外れな見解を連発するのは初めてだなあ、なんて暢気に考えながら、僕は笑って訂正した。
「違う違う、北斗の話を荒唐無稽だなんて思ってないよ。それとは完全に別口の荒唐無稽な連想を僕はしちゃって、そんな自分に呆れていただけなんだ。北斗なら幾らでも思い出せるはずだから、思い出して比べてみてよ。僕が自分に呆れている時と、空を見上げてポカンとしていた時の、二つの僕を」
という訂正の言葉を伝え終るより早く、二つの僕の比較を済ませた北斗は、腑に落ちた表情を浮かべた。その頭の回転の速さが憎らしく、そしてそれ以上に何とも可愛く感じられた僕は、ついついいらぬことを口走ってしまう。まったくお前は昴が絡むと、ホント平常心を失うよなあ、と。
「#$%&!!」
なんて具合に、まさしく今度こそ平常心を失った北斗に暫し笑い転げたのち、僕は真情を明かした。
「素晴らしい仲間達と、素晴らしい先輩方に、明日からは素晴らしい後輩達も加わるのだから、北斗はどこまでも成長してゆくだろう。だから北斗、昴を追いかけるな。常識外の天分を複数与えられた昴と、同じ道を走ろうとするな。そうではなく、北斗は自分の道を突き進め。己の足元から続く道を一心に駆けて行った先にのみ、昴と肩を並べる未来があると、僕は思うよ」
七か月前の去年の夏休み明け、北斗は僕に、昴に追いつくという目標を打ち明けてくれた。あの時は、北斗なら湖校在学中にそれを叶えられると感じただけだったが、今の僕は、あの頃とは異なる考えを持つようになっていた。足元から続く人生の道を藤堂さんが教えてくれたお蔭で、七か月前より一歩進んだ自分に、僕はなれたのである。
そしてそれは、北斗も同じだったらしい。七か月前とは明白に異なる気配を纏い、北斗は僕の問いかけに答えてくれた。
「ありがとう眠留。俺も今こそ、さっきの問いに答えよう。先天的なものなのか後天的なものなのか分からんが、眠留は感謝の気持ちと、感謝を相手に伝える行動力を持っている。それらを持っていないなら偉そうなことを二つ三つ言わねばならなかったが、それらを持つ眠留へは、今もらった言葉をそっくり返すだけでいい。眠留、自分を成長させるんだ。成長すればするほど、お前はより深く細やかな感謝を抱けるようになる。成長すればするほど、お前はより適切な行動でもって感謝を示せるようになる。先輩方の恩に報いたいと願う今の自分を超えることによって、より深い感謝を、より適切に示せるようになるんだ。お前は、そういうヤツなんだよ」
一年前の今日、湖校の入学式を迎えた僕らは、このベンチで待ち合わせて一緒に学校へ向かった。北斗が前期委員一年代表になり、僕がHR前研究をするようになった事もあり、それは実質五日ほどで終わってしまったが、それでもあの頃の僕らを、僕は今でも鮮明に呼び覚ませる。
だから思えた。
北斗も、そして僕も、一年前のあの頃より格段に成長することができたのだと。
とはいえ、
「ありがとう北斗。でもなんだか、照れくさいね」
「一年生達が詰めかける三つ目の場所と予想されていた神社でも、混乱は発生しなかったようです。美鈴の同級生と思われる三十人ほどの男女は、始めこそ少々はしゃいでいたそうですが、参道を歩くにつれ静かになり、手水舎で手を洗い、社務所の祖父母へお辞儀し、参拝を済ませて帰って行ったそうです」
先輩方は制服に着替えながら、それは良かったと安堵の息を吐いた。そして神社と祖父母の想い出話を、心底楽しげに交わしてゆく。その様子を見つめていた僕は、自問を静かに再開した。この素晴らしい先輩方に、一体何ができるのだろう、と。
それへの基本的な答は得られても具体的な答をどうしても見つけられなかった僕は、帰宅の道すがら北斗にそれを尋ねてみた。その問いかけは、一年前まで待ち合わせ場所として毎朝使っていたベンチに差し掛かったとき成されたので、北斗は「十秒くれ」と呟きそこに腰を下ろした。僕も北斗の左隣に腰掛け、耳を澄ませる。森へ帰るカラスの鳴き声に混ざり、冬には感じなかった虫たちの命の気配を、耳が微かに捉えた気がした。
「なあ眠留」
その耳が、今度は明瞭に捉えた。北斗はこれから、打ち明け話をするのだと。
「どうした、北斗」
ベンチの背もたれに背中を預け、見るとはなしに空を見上げる。北斗も同じ姿勢になり、続いて右手を持ち上げ、人差し指で空を指さした。
「昴は遠すぎる。俺はあと五年で、あいつに追いつけるのだろうか」
僕はようやく、重大な見落としに気づいた。上位視力を持たない北斗に、剣山と化した昴の生命力を視覚化することは不可能だったはずだ。しかしだからと言って、何も感じなかったとは考えられない。いや、北斗が何を感じたかを知っているのはこの宇宙で北斗だけなのだから、尋ねてみない限りそれは未知のままなのである。にもかかわらず、僕はそれを知っているつもりでいた。心の中で北斗に詫び、僕はそれを尋ねた。
「お昼休みの昴に、何を感じた?」
その問いに、北斗は遥か彼方を見定めるが如く目を細める。だが瞬きと共に緊張の気配を捨て、溜息をもらし腕を下ろした。それはまるで、指さすことのできない別次元の存在を指さしていた己の愚かさを、悟ったかのような仕草だった。
「3DGの世界に、モンスターの敵対勢力があったとする。人を凌駕している点はモンスターと同じでも、モンスターを悪の執行者とするなら、善の執行者と呼ぶべき存在がいたとする。その存在が3DGの世界から飛び出し、眼前に降り立ち、増長する男子生徒達をたしなめた。俺には、そう感じられたよ」
上位視力や魔想に関する知識を持たない代わりに、上位知力とも呼ぶべき能力を北斗は有しているのだと僕はつくづく思った。ふと、ある仮定が脳裏をよぎる。こいつが翔人になったら、一体全体どんな翔人になるのかな?
その刹那、時間と距離と次元によって隔てられた場所にいる僕自身の声が、虚空から降り注いだ気がした。
――大切な一人娘を失う悲しみを、おじさんとおばさんに・・・
僕は首を傾げ空を見上げた。しかしそんな仕草をしたところで声の謎を解明できるはずもなく、というか今となってはその声自体がただの錯覚のように感じられたため、僕は口をポカンと開けて夕焼け空を見つめていた。けどそれは傍から見たら、恥ずかしさに身もだえせずにはいられない仕草だったらしい。
「眠留たのむ、頼むから、荒唐無稽な話に拍子抜けした顔を、俺に見せないでくれ!」
などと勘違いも甚だしい懇願を、北斗は垂れ流し始めたのだ。コイツがこうも的外れな見解を連発するのは初めてだなあ、なんて暢気に考えながら、僕は笑って訂正した。
「違う違う、北斗の話を荒唐無稽だなんて思ってないよ。それとは完全に別口の荒唐無稽な連想を僕はしちゃって、そんな自分に呆れていただけなんだ。北斗なら幾らでも思い出せるはずだから、思い出して比べてみてよ。僕が自分に呆れている時と、空を見上げてポカンとしていた時の、二つの僕を」
という訂正の言葉を伝え終るより早く、二つの僕の比較を済ませた北斗は、腑に落ちた表情を浮かべた。その頭の回転の速さが憎らしく、そしてそれ以上に何とも可愛く感じられた僕は、ついついいらぬことを口走ってしまう。まったくお前は昴が絡むと、ホント平常心を失うよなあ、と。
「#$%&!!」
なんて具合に、まさしく今度こそ平常心を失った北斗に暫し笑い転げたのち、僕は真情を明かした。
「素晴らしい仲間達と、素晴らしい先輩方に、明日からは素晴らしい後輩達も加わるのだから、北斗はどこまでも成長してゆくだろう。だから北斗、昴を追いかけるな。常識外の天分を複数与えられた昴と、同じ道を走ろうとするな。そうではなく、北斗は自分の道を突き進め。己の足元から続く道を一心に駆けて行った先にのみ、昴と肩を並べる未来があると、僕は思うよ」
七か月前の去年の夏休み明け、北斗は僕に、昴に追いつくという目標を打ち明けてくれた。あの時は、北斗なら湖校在学中にそれを叶えられると感じただけだったが、今の僕は、あの頃とは異なる考えを持つようになっていた。足元から続く人生の道を藤堂さんが教えてくれたお蔭で、七か月前より一歩進んだ自分に、僕はなれたのである。
そしてそれは、北斗も同じだったらしい。七か月前とは明白に異なる気配を纏い、北斗は僕の問いかけに答えてくれた。
「ありがとう眠留。俺も今こそ、さっきの問いに答えよう。先天的なものなのか後天的なものなのか分からんが、眠留は感謝の気持ちと、感謝を相手に伝える行動力を持っている。それらを持っていないなら偉そうなことを二つ三つ言わねばならなかったが、それらを持つ眠留へは、今もらった言葉をそっくり返すだけでいい。眠留、自分を成長させるんだ。成長すればするほど、お前はより深く細やかな感謝を抱けるようになる。成長すればするほど、お前はより適切な行動でもって感謝を示せるようになる。先輩方の恩に報いたいと願う今の自分を超えることによって、より深い感謝を、より適切に示せるようになるんだ。お前は、そういうヤツなんだよ」
一年前の今日、湖校の入学式を迎えた僕らは、このベンチで待ち合わせて一緒に学校へ向かった。北斗が前期委員一年代表になり、僕がHR前研究をするようになった事もあり、それは実質五日ほどで終わってしまったが、それでもあの頃の僕らを、僕は今でも鮮明に呼び覚ませる。
だから思えた。
北斗も、そして僕も、一年前のあの頃より格段に成長することができたのだと。
とはいえ、
「ありがとう北斗。でもなんだか、照れくさいね」
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