僕の名前は、猫将軍眠留

初山七月

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十二章

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 もっとも当人たちにとっては、印象が違うらしい。水晶の言いつけを休憩するよう促された輝夜さんと、明日まで我慢してねと頼まれた昴は、一昨日の夕方からそうしてきたように、こぞって異を唱えたのだ。
「ちょっと眠留くん、もっと本気で昴の味方になってあげてよ!」
「あのね眠留、私達はお師匠様のことになると、どうしても冷静でいられなくなるの。輝夜だけが悪いように、言わないであげて!」
 さっきまでの言い争いはどこへやら。二人はとたんに一致団結し、互いの擁護を始めたのである。そうこれが、当人たちは違う印象を持っているのだろうと僕に思わせる所以。たとえば輝夜さんではなく僕が「罰の内容を教えてよ」と昴に詰問していたら、輝夜さんは陰で昴の味方になり、昴は陰で僕の正当性を主張して、二人は手を取り合いこの難局を凌いだだろう。だが「教えてもらえるまでそれを知りたがらない」という翔家の鉄則を骨の髄まで染み込ませている僕らは、昴の受けた罰の内容を知りたいという欲求を、そもそも持っていなかった。よっていかに水晶の頼みであろうと、それを履行するには多大な演技をせねばならず、それが「水晶の真意は何なのだろう」との疑問を生み、祖父母たちを困惑させた。そんな祖父母たちの胸中を、輝夜さんと昴は家族の心で察したからこそ、水晶の言いつけを少し無理して行っている。僕は、そう感じていたのだ。
 それを裏付けるが如く、二人は僕の仲裁を耳にするや異を唱え、いつも必ず水晶の言いつけを中断する。それは僕にとって、嬉しくも申し訳ない光景だった。なぜなら二人が僕にだけ甘えるのは僕を家族と感じているからだろうし、なのに僕は水晶の本当の姿を知っていることを、二人に秘していたからである。その「水晶の本当の姿を知っている」という事実を秘すことへの負い目が、互いをかばい合う二人の姿を見るにつけ、とうとう限界を超えたらしい。僕は頭を掻きつつ、二人にそれを明かした。
「今まで黙ってたけど僕は去年の十二月に、水晶の本当の姿を見せてもらったんだよ」
「ッッ!!」
「ッッ!!」
「ッッ!!」
 僕は、馬鹿だった。
 僕は、完全に忘れていた。
 僕の優柔不断さが同学年男子への対応を誤らせ、それが引き金となり昴は魔物専用捕獲術を一般人に向けたのだから、昴とともに罰を受けるつもりでいたことを、僕は忘れてしまっていた。
 そのせいで三日間の半分をただの傍観者として過ごしたこの大馬鹿者は、その分の罰を、まとめて受けることに成ったのである。 
「眠留くん酷い、どうして黙ってたの!」
「一昨日の夕食時にそれを教えてくれていたら三人で肩を寄せ合い三日間を乗り切れたのに、なぜ黙ってたのよ!」
「お兄ちゃんごめん、さすがに擁護できない。というか、お兄ちゃん最低」
 輝夜さん、昴、美鈴という、命を投げ出してもなんの悔いもないこの世で最も大切にしている三人娘から、それからたっぷり十分間、僕はお叱りを受けたのだった。

 幸い、夕食時間が遅れることは無かった。
 といってもそれは、三人娘が矛を収め僕を料理チームに加えてくれたからではない。
「ねえ昴、そろそろ中断しないと、夕食が遅れてしまうんじゃない?」
「ええそうね、ここらが限界ね。よし、気持ちを切り替えて、三人で団結して料理に臨みましょう」
「うん、そうしよう。あっ、お兄ちゃんはいいからね」
 てな感じに、それは僕を加えなかったからこその、偉業だったんだけどね。
 そう、それはまさしく偉業と言えた。三人娘は本来の時間の半分足らずで、いつも以上に豪華な夕食を作りあげたのである。それは僕が生まれて初めて目にした、可算法を超える連携プレーだった。
 集団というものは、個々がバラバラに動くと足の引っ張り合いが発生し、人数分を下回る作業しかできなくなる。反対に、各々が自分の役目をまっとうし連携して動くと、人数分を上回る作業をこなせるようになる。これは僕自身、新忍道を介して幾度も経験してきたことだった。僕一人では敗北必至のモンスターも、仲間達と連携し多方向から挑めば容易く勝てた。一人一人の攻撃力に「死角からの不意打ち」等が加わるため、人数を合計した以上の攻撃力になるのだ。体育祭のリレーや文化祭の喫茶店、クリスマス会の余興や七分プレゼンもそれは同じで、「仲間達と協力し合う高揚」等々が次々加算されてゆく経験を、僕は去年の一年間、己が心身をもって直接味わってきたのである。
 しかし今、僕の目の前で繰り広げられているのは、それを超える連携プレーだった。三人は加算要素を、自分の外に作っているのではなかった。死角からの不意打ちや仲間達と協力し合う高揚を、連携プレーによって作り出した外的要素とするなら、彼女達はそれとは異種の、要素を作り出していた。各々の心を完璧に同調させた結果、一つの体に一つの心が宿るという制限を撤廃した彼女達は、新たに創造した一つの有機体として、料理に臨んでいたのである。
「ショックのようじゃな、眠留」
 三人娘が夕食を粗方作り終え、後片づけの割合が作業工程の過半数に差し掛かったころ、水晶がテレパシーで語りかけてきた。
「そりゃショックだけど、始めに感じた嫉妬は、少なくなってくれたかな」
「ほうほう、そうかそうか。ふおう、ふぉっ、ふぉっ、ふぉっ」
 テレパシーで応じた僕の心に、好々爺まる出しの水晶の笑い声が響く。釣られて笑っているうち嫉妬はみるみる縮み、跡形もなく消えて行った。水晶が再び、テレパシーで語り掛けてくる。
「人はそれぞれ、異なる心を持っておる。異なる体で異なる人生を歩むのじゃから、心も異なって当然じゃな」
 同一の遺伝子を持つ一卵性双生児も、成長するにつれ心の差異は大きくなって行くと言う。僕は、コクリと頷いた。
「男と女は、異なる体をもっておる。そこから生まれる心の違いは、莫大での。夫婦となり、それなりの期間を同じ屋根の下で過ごし、互いに少しずつ歩み寄って初めて男女は、性別による心の違いを克服できるのじゃよ」
 十三歳の僕に水晶の話は遠すぎたが、それでも幾ばくかの疑問が湧いたのも事実だった。恋人同士が心を一つにすることは無いのかな、と。
「恋人が心を一つにする仕組みは、可算法の連携プレーに似ておっての。恋愛感情という『外部に形成した想い』を懸け橋にして、恋人は心を一つにしておるのじゃ。最高の恋人が必ずしも最高の伴侶にならぬのも、恋愛感情が外部に生じた想いである証拠じゃの。もちろん外部の度合いは人によって異なり、盲目的な恋愛ほど外部の度合いは大きいゆえ、生活を共にし現実を目の当たりにすると、想いは一気に失せてゆく。盲目的ではない、ありのままの相手を素直な心で好きになった者同士は、外部の度合いが少なく、懸け橋なしに比較的早く心を一つにできるようじゃの」
 女心の相談相手として真山以上の人間はいないと僕はずっと考えていたが、どうやらそれは半ば外れ、そして半ば当たっていたらしい。だって水晶は人間じゃなく、猫だからさ。
「う~む、儂が人間か否かは、眠留が地球人の頸木くびきを逃れてから告げるとして、今は三人娘の成した偉業について話したいのじゃが、どうかの」
「し、失礼しました!」
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