僕の名前は、猫将軍眠留

初山七月

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十二章

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「し、失礼しました!」
 僕は心に潜り、自分の姿をそこに出現させ、額を床にこすり付けた。「ふおう、ふぉっ、ふぉっ」という哄笑が心に再度響く。その温かな声音に促され顔を上げると、1メートルほど先の胸の高さに、まんまる顔の水晶が香箱座りでふわふわ浮いていた。僕はどうやら、心の内側への翔化を、独力で成功させたようだ。
「まだ眠留は、物の世の姿をまとった方が会話しやすいようじゃ。さしずめ、翔人のごうかのう」
 水晶は、僕の向こう側を見据える眼差しでそう言った。眼差しの方角は、翔人の業について質問しても良いという意思表示だったが、僕を素通りして眼差しの焦点が結ばれているのは、それが今現在の僕に直接係わらない事柄であることを示していた。よって僕は質問せず、話を聴く姿勢を整えた。なぜなら水晶がここに来たのは三人娘の偉業を説明するためであり、そして僕にとって三人娘は、この命以上に大切な存在だったからである。「業の説明は能わずとも、眼差しから儂の意図を正しく酌んだそなたを、今は寿ぐとするかの」 嬉しげにそう呟き、水晶は眼差しの焦点を僕の眉間に合わせた。
「先に申したとおり、男女の心の差異は大きい。体が劇的に変化する第二次成長期にあるそなたらは、心の性差も加速度的に広がっており、それを超ゆるは至難と言える。じゃがそれは、決して悲しみではない。体の変化が成長の証である如く、心の変化も、成長の証ゆえじゃからの」
「人の成長を何より喜ぶ宇宙の創造主は、きちんとした理由に基づき、人を男女に分けたのだと僕は考えています」
 そのとおりじゃと水晶は相好を崩す。それ以上は何も言わなかったが、にこにこの加算された真ん丸顔が横長の楕円形に変わっただけで、僕は満足した。
「創造主は人を絶えず助け、眠留の言う『きちんとした理由』へ辿り着かせようとしておる。無限の種類に別れ、かつ膨大すぎるせいで、創造主の助力を知覚できる者はほんの一握りしかおらぬがの」
 プレゼン委員の会合で北斗の説いた、「この世界は全体として調和している」という概念が脳裏を駆け抜けた。後で必ずメモし、それについてじっくり考えるんだぞと、僕は強い口調で自分に命じた。だが、
「連係プレーもその一つじゃ。連携によって加算要素を『創造できる』のは、創造主が人へ授けた助力の現れなのじゃよ」
 と水晶が語るなり、メモ云々は空前の灯火となってしまった。それを憐れんだ水晶に「メモの件は安心しなさい」と言ってもらえたお蔭で事なきを得たが、それがなかったら僕は北斗の概念を完璧に忘れていただろう。それほどの衝撃を、水晶の教えは僕にもたらしたのである。
「僕は考え足らずでした。改めて振り返ると、加算要素が創造されていたことを実感できました」
 創造とは無から有を生みだす作業と決めつけていたせいで、僕は創造の本質を取り違えていた。たとえそれが「死角からの不意打ち」のような、新忍道における最も基本的な技術であったとしても、仲間と協力して具現化しない限り、それが世界に影響を及ぼすことはない。戦友達と心を一つにし、連携を成功させ、不意打ちを創造したからこそ、勝利という現実をこの手に掴むことができる。約一年間のサークル活動を通じて僕はそれを、骨の髄から実感できたのだ。
「儂の見てきた八百六十余年の中で、創造力に最も正当な評価を下している時代は、今じゃ。そなたらは、良い時代に生まれたと儂は思うの」
 封建社会にとって創造力は、最大の敵と言える。権力者が既得権を世襲していくのが封建社会であるのに対し、新しい思想や商品を次々生み出してゆく創造力は、既得権の永続を許さないからだ。古い社会を武力で倒さずとも、権力者の既得権を無効にすることで、新しい社会を築いてゆく力。創造力とは、そういう力なのである。
「じゃが、まだぬるい。封建的権力者が長期間にわたり人の創造力を虐げてきたため、人は創造力へ、未だ稚拙な解釈しか持っておらぬのじゃよ。眠留、試しに考えてみなさい。藤堂伊織の観た、人の足元から伸びる道と、創造力の関係を」
 正直、予感があった。新忍道で創造力を発揮してきたことを実感した際、藤堂さんの話も脳裏を駆け抜けていたのだ。僕は心の赴くまま述べた。
「藤堂さんの話を聴いた時は、選んだ道を歩いてゆく自分を思い描くことしかできませんでした。無数に枝分かれする道の中から一つを選択し、その未来に向かって人は歩くのだと僕は考えたのです。でも水晶の言葉どおり、僕はぬるかった。僕は、人の創造力をあなどっていた。人はただ、未来に続く道を歩くのではない。一歩一歩道を踏みしめることで、人は己の未来を、創造しているんですね」
 人の眼前には無限の未来が、可能性として既に存在している。しかしそれは可能性にすぎないため、そのままでは人に影響を及ぼす事はない。無限の可能性の中から一つを選択し、それに創造力を注ぎ入れるからこそ、それは確固たる現実としてこの世に出現するのだ。
 と、ここで僕は首を捻った。道を一歩一歩踏みしめることと創造力の関係に、理解できない箇所を見つけたのである。心の内側への翔化時は、生命力圧縮をせずとも時間を幾らでも引き延ばせるが、それでも無限にある訳ではないからか、水晶がヒントを出してくれた。
「眠留、足元から伸びる道を二次元ではなく、三次元にしてみなさい」
 そのとたん、正解がシュバッとやって来た。僕は喜び勇んでそれを口にした。
「道を踏みしめる力を創造力とした場合、停滞を上手く説明できませんでした。母が亡くなった時、僕は何も選択せず、ベッドの中で丸くなるだけの日々を過ごしていました。足を一歩も踏み出さなかった僕は、道に停滞していたはずです。けど停滞していても時間はおかまいなしに流れてゆきますから、僕の体は日に日に衰弱していきました。停滞しているはずなのに、衰弱という未来が訪れる。その矛盾を、説明できなかったのです」
 翔化中は息継ぎをしなくても良いのだけど、僕はなぜかそのとき息継ぎの時間を設けた。水晶の言ってた翔人の業はこれなのかなと思うも、息継ぎに合わせて水晶がニコニコ頷いてくれたので、僕は豆柴と化して話を進めた。
「でも水晶のヒントのお蔭で、解明できました。足を一歩も踏み出さなかった僕は、言うなれば地面にずぶずぶ埋没し、下方へ続く道を転がり落ちていた。停滞しても未来が訪れるのは、そういう仕組みなのですね」
「うむ、正解じゃ。足元から伸びる道は大地の表面だけにあるのではなく、地下へも、そして空へも続いておる。そして厄介なことに、下り坂は転がり落ちることが可能ゆえ、停滞は地下へ埋没してゆくことと同義なのじゃよ」
「でも上り坂は、自分の意志で一歩一歩踏みしめなければならないんですよね。衰弱した体を健康体へ戻すことを可能にするのは、己の努力だけですから」
 よくできた、と水晶は僕の頭を撫でてくれた。そこまではただ純粋に嬉しいだけだったが、
「そしてよくぞあの時、再び地上に戻って来てくれた。そなたの母も、それはそれは喜んでおったぞ」
 そう明かされたとたん、涙が溢れて仕方なくなってしまった。時間を幾らでも引き延ばせるため好きなだけ泣いていたかったが、それは後回しにして、僕は今すべき問いを発した。
「慢心だったら叱ってください。僕はさっき、こう思ったんです。地上に戻って来た僕はその勢いのまま、空を駆け上がって行ったのではないかと」
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