僕の名前は、猫将軍眠留

初山七月

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十二章

新しい友達、1

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 翌日の、月曜。
 お昼休みのチャイムが鳴った直後の、教室。
 四つの机をくっ付けてテーブルを作っている最中、那須さんが僕と智樹に請うた。
「私とゆいは、西日を背にしてお弁当を食べていいかな?」
 湖校は全面UVカットガラスでも、年頃女子としてはやはり気になるのだろう。僕と智樹はすぐさま快諾し、四人それぞれテーブルを半周して、西日に向かって窓側を僕、その右を智樹として新しい席に腰を下ろした。そのとたん、
「眠留お前、午前中ずっと元気なかったよな」
 今度は智樹がブレザーを脱ぎつつそう尋ねてきた。午前中の僕を案じながらもそれをにじませぬよう配慮したその声音に、心がいつもの状態へ浮上してゆく。ああやっぱ、友達って良いものだなあ・・・
 みたいな感じに、同じくブレザーを脱ぎつつ感慨に浸っていると、
「でも一時間前に食欲を訊いたら、むしろ空腹だって猫将軍君は答えたよね」
 正面の那須さんが智樹の話を淀みなく引き継いだ。ここに至りようやく僕は、新しいこの席順の意図を悟った。椅子に腰を下ろすや元気のなさを指摘した智樹と、示し合わせたように那須さんが話を引き継いだことから、お日様が燦々と降り注ぐ窓辺に疲れ気味の僕を座らせる計画を皆が立ててくれたことを、僕はやっと気づけたのである。
 という一連の思考が、きっと顔に出ていたのだと思う。皆が計画を立ててくれたのだから次に行動を起こすのはこの人だよな、と首を巡らすなり、
「じゃじゃ~ん、元気はなくとも食欲旺盛な猫将軍君のため、お弁当を追加注文しておきました~~」
 待ってましたとばかりに、香取さんが二つ目のお弁当を机の上に乗せた。明るく陽気な香取さんは一年十組に続き二年二十組でもクラスのムードメーカーになっていて、今の仕草も教室のあちこちに笑いを引き起こしていた。右へ左へ体を向け「ど~もど~も」とフレンドリーに応える香取さんに釣られ、僕も右へ左へ顔を向けクラスメイトと笑顔を交わしていたら、昨夕から抱えていた心労がいつの間にか消し飛んでいた。
 そんな、軽やかさを取り戻した心に、
「良かった」
 正面から声が届く。出会った頃の、木枯らしを連想させる抑揚のない声とはまるで異なる、夏の高原を思い描かずにはいられないその声へ、僕は感謝を述べた。
「ありがとう那須さん」
 きょとんと首を傾げる雪姫の一人に、続いて推測を伝える。
「追加したお弁当に太巻きと稲荷のセットを選んだのは、那須さんだよね」
 去年の夏休み最終日、偶然出席した第八寮のパーティーで、那須さんは僕に様々な料理を取り分けてくれた。栄養バランスと疲労回復を考慮し料理を取り分けてくれた那須さんが最後に選んだのが、この太巻きだった。「日本人にとって酢飯は疲労回復薬のようなものだからこれも食べて」と早口に解説して太巻きをてんこ盛りにしてくれた、あの日の那須さんと今の那須さんが、胸の内側で重なる。その重なった那須さんに、僕は胸中語り掛けた。  
 ――木枯らし少女だった頃も陸上選手としては白い肌をしていたけど、最近富に肌が白くなってきたね。那須さんは活発な松果体を持っているはずだから肌の白さは順当でも、去年の秋以降の変化には、それ以外の要素が加わっている気がするよ。僕の紹介した昭和時代と平成時代の漫画が心を活性化させ、その影響で松果体が一層活発になっているなら、嬉しいんだけどな――
 なんてあれこれを、正面に座る那須さんをぼんやり見つめながら、正確には頬を染めるバラ色の鮮やかさに見とれながら考えていた僕に、災厄が突然襲いかかってきた。かつての兜将子さんを彷彿とさせる声で、
「福井君、猫将軍君をお仕置きして!」
 香取さんが意味不明のお仕置きを促し、しかし意味不明であろうと、
「合点承知の助!」
 調子づいた智樹によって、僕の脇腹くすぐりが開始されたのである。それだけなら日常茶飯事なので対処は簡単だったけど、僕が攻勢に出ようとするや、
「食事の場で大笑いするなら口を塞ぐのがマナーでしょ!」
 香取さんが蓋を開けた太巻き稲荷セットを僕の手元に置いたため、僕は反射的に口を両手で塞いでしまう。ゴール前のセットプレーに定評のある智樹が、これを見逃すワケがない。
「シュ―――ト!!」
 などとほざき、智樹はワイシャツ越しに僕の脇腹をくすぐりまくりやがった。さっきテーブルを半周した時、「今日は暑いからブレザー脱ごうぜ」と智樹に提案された事をやっと思い出した僕は、この三人の中に北斗級の陽動作戦を立案できる知恵者がいる事を、くすぐったくても大笑いできない状況に身もだえしつつ悟ったのだった。

 知恵者が誰なのかはすぐ割れた。というのもその人自身が、自分が知恵者であることをてんで意識していなかったので、探りを入れるまでもなく全貌をスラスラ明かしたのである。
「HRの最中、猫将軍君が元気なさげにしているけどどうしようって、夏菜から泣きつきのメールが届いてさ~」
「泣きつきは大げさよ!」
「はは~ん夏菜ったら、あの時の目の潤み具合とオロオロ度合いを、私に再現させようって魂胆ね。任せて夏菜、猫将軍君見て見て、あの時の夏菜はね!」
「結、止めて――!」
「あはははは~~!」
 春の日差しを背に女の子が仲良さげにしているだけで大抵の男子は頬を緩めるものなのに、その女の子が雪姫の一人に列する那須さんとムードメーカーの香取さんだったものだから、僕と智樹は目尻を下げまくって太巻きと稲荷寿司を頬張っていた。三人が注文した巻き寿司セットには太巻きと稲荷が八つずつ入っており、僕一人では到底食べきれなかった。よって皆に助力を請い、僕と智樹が三つずつの那須さんと香取さんが一つずつ、という配分になったのである。奢ってもらう僕はもちろん智樹も恐縮し、代金を立て替えてくれた那須さんに「女の子の三倍額を払うから」と申し出たのだけど、
「福井君、計算を間違ってるよ。猫将軍君の六つを三人で均等に分担するから、福井君が八つで私達が四つずつ。つまり福井君は三倍ではなく、二倍になるのね。夏菜もそれでいい?」
 という香取さんの計算の正確さと勢いに押され、智樹は黙って頷くことしか出来ないみたいだった。それは置くとして話を元に戻すと、那須さんのメールを機にお昼休みの段取りが計画されたことを、知恵者は引き続き明かして行った。
「猫将軍君が普段より一日多い金土日を新忍道に費やしたのは、私も知っていたの。だから可能性の高い順に肉体疲労、怪我や病気、心労で調査したら、心労が濃厚だった。なら好物を用意して大笑いさせれば良いんじゃないかって話になって、夏菜案を採ってお弁当を追加し、福井案を採って『ブレザー無しくすぐり』を実行したって寸法ね」
 本当は一人で計画可能なのに智樹と那須さんの案を採用し、三人で協力した体裁を整えた辺りも、北斗に比肩する知恵者ゆえの選択なのだろう。脳裏にふと、北斗の言葉が蘇った。
『量子AIの登場以前、人は暗記量の多さと処理速度の速さで脳の性能を計っていた。よって当時は脳への情報入力こそが脳の性能を高めるとされていたが、今はそれを一歩進め、入力と出力の両方が大切だと考えられている。たった十三年しか生きていない俺も、実体験からそれに合意できる。昔の俺は知識を蓄えるのみだったが、今は蓄えた知識をどう表現するかに能力の大半を割き、そしてそれこそが俺の能力を高めていると、強く感じるんだよ。人類全体の成長は個人の成長をなぞるという学問を俺が生涯の研究テーマに据えた主理由は、これだな』
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