僕の名前は、猫将軍眠留

初山七月

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十三章

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 率直に言うと、これはデリケートなんて生易しい話題ではなかった。現代科学をもってすれば、卵子が細胞分裂を始めたニ週間後には、健康に関する大方の要素をシミュレーションできたからだ。然るに、
「俺の両親は、俺が虚弱体質なのを知ってて、俺を産んだんだな」
 この国における僕らの世代で健康に不都合のある子供は、日本に帰化した人達でない限り、それを知りつつも親があえて産んだか、もしくは受精卵検査を親が拒否したからかの、どちらかしかなかった。日本国籍を有する限り世界中どこにいようと、受精卵検査の諾否なしに子供を産むことは、税制や国籍取得等々の関係上、現実的にあり得なかったのである。
「結論を言うと、俺は親を捨てた。俺を産んだ理由を宗教に丸投げする人間を、俺は親として認めなかった。現代の子務こむ放棄権には、感謝しているよ」
 子務放棄権とは、「未成年の子供でも親子関係を放棄できる権利」だ。人権思想の歴史は十三世紀まで遡れても、それが子供の人権となると遡れるのは二十世紀初頭がせいぜいなように、人類は子供の権利に疎かった。宗教上の理由により子供の輸血を親が拒否し、そのせいで生きることを望んでいた子供が亡くなってしまうという悲惨な出来事が、二十一世紀になっても日本で起きていた。人類は親になると、なぜか親としての権利だけに目が行き、我が子の権利へは全く関心がなくなるという数千年を、もしくは数万年を過ごしてきたのである。
「俺を産む理由を宗教に求めず、自分たち自身でとことん考えていたら、結果は違っていただろう。病苦に苛まれているのは親ではなく俺でも、互いに本心を晒し合えれば、俺は親を人間として尊敬できたと思うからだ。だが、あの人達と過ごした十一年間に、そんな時間は一切なかった。『自分で考えなければ責任も生じない』と必死で信じようとしているだけでも、俺はあの人達に敬意を持てなかったのに、あの人達は保身のため、俺にもそれを強要し続けたんだよ。学校で現代の教育理念を教わっていなかったら、俺が放棄したのは、親だけじゃなかっただろうな」
 そうまさにこの「放棄したのは親だけではなかった」こそが、子務放棄権の最大の功績と言われていた。子供の人生を平気で奪う親と、それを親の当然の権利としている社会から子供が逃れる方法は、自分なりの人生を諦めるか、自らの命を絶つかの、どちらかしかなかったからである。
「龍造寺と二階堂に詫びさせてくれ。虚弱体質関連の俺の過去はお前たちの過去と似通う経験だったはずなのに、俺はそれを救命救急の初授業で明かさなかった。すまなかった」
「福井は、救命救急の初授業に臨む仲間達のため、救命救急に直接関係する話を優先したんだろ。責められる要素なんて、全然ないと俺は思うぞ」
「猛の言うように、あんときは虚弱体質関連の話より救命救急を優先して、そんで今は俺ら三人をお前達の輪に入れるため、虚弱体質だった過去を明かした。そんな漢を、俺らは責めたりしないんだよ」
「なんてカッコいいこと言ってるけど、この二人はさっきまで一階の方角を見つめて、楽しそうだなあ話に加わりたいけどやっぱり邪魔だよなあって、ため息をつきっぱなしでさ。だから二人は、告げたいことがあるから話に加わってくれないかっていう福井のメールを、子犬さながらに喜んでいたよ。福井にも、見せてあげたかったね」
「テメエ真山、なんでバラすんだよ!」
「そうだそうだ、真山は子犬じゃなかったからってバラすな!」
「二人とも、それは仕方ないよ。だって真山君は、真山君だから」
「なんてファンクラブ会員まっしぐらの結の発言は置くとして、龍蔵寺君も二階堂君も私達を気遣ってくれてありがとう。私達は、四人でいられる時間をたっぷり楽しみました。よってこれからは、七人でお話ししたいと思います。みんなも、それでいいかな?」
 そう言って僕と智樹と香取さんに顔を向けた那須さんへ、
「「「賛成!!」」」
 三人で声を合わせた。それは社交辞令や空気を読んだ要素のまるでない、新たなメンバーが加わったことを心から喜ぶ声だったので、真山達は破顔一笑した。いや正確には、子犬さながらに喜ぶ猛と京馬に比し、真山は「開けっぴろげでありながらも品の良い笑顔を爽やかに振りまく」系の喜び方をしていたから、やはり香取さんの指摘通り、子犬には諦念が必要なのだと僕は胸中呟いたのだった。
 
 それはさておき話が前後してしまったが、二年二十組の四人で開いていた会合を二時間近く堪能したころ、智樹が急に改まった顔をして「真山と龍蔵寺と二階堂をここに加えてもいいかな」と請うた。猛と京馬が四階から煌々と放つ、俺達も参加させてくれオーラをしっかり感じていた僕にとって、それは請われるまでもないことだった。三人と仲の良い那須さんも賛成の気持ちしか持っていないようだったけど、「私お手洗いに行ってくる!」と叫ぶや一目散にトイレへ消えていった香取さんのファインプレーにより、真山達の参加は決を採るまでもなく受諾された。洗面台まで待てないとばかりに手鏡を取り出し身だしなみを整え始めた香取さんの舞い上がりように、智樹が傷ついたのではないかと若干危惧したが、「真山への気持ち込みで俺は香取さんを好きになったから大丈夫だ」と胸を叩いた智樹へ、僕と那須さんは盛大な拍手を贈ったものだった。
 その後、丁度よい頃合いという事になり休憩を取った。用を足しトイレから出たところで真山達三人と合流し、会合場所に戻ると、当然ながらそこに女の子たちはいなかった。しかしそのお陰でたった数分とはいえ男子特有の馬鹿話に興じることができたのだから、身だしなみを整えるのに時間がかかるという女の子のお約束へ、僕らは素直に感謝することができた。
 ほどなく女の子たちも合流し、おしゃべり会は再開した。おそらく、真山と智樹の間で話はついていたのだろう。歓談の最中に訪れた極自然な話題の隙間を利用し、真山が智樹に問いかけた。「で、告げたかったことは何なんだい?」 真山だけが纏い得る、お気に入りの森のとっておきの場所でピクニックをしているかのような気配に後押しされ、話し手のみならず聞き手にも相当な覚悟を要求する身の上話を、智樹は次々明かしていったのである。
 当初のメンバーだけでも智樹の話を聴き、受け入れ、それを四人の絆へ昇華させることは可能だっただろう。しかし真山達三人の働きぶりを見るにつれ、智樹のためにも皆のためにも新メンバーが加わって良かったと僕は心底思うようになっていった。猛と京馬は、暗くなりがちな場を照らす陽気な明かりに幾度もなってくれたし、また真山は、受精卵摘出の道義的問題等々の重い話題を皆に代わって口にしてくれた。三人がこの二つを担ってくれたお陰で那須さんと香取さんは、心の傷をさらす智樹を女性ならではの優しさと温かさで包むことに専念できたし、そして僕はこの五人のお陰で、打ち明け話の最後に待つ話題への覚悟を形成することができた。それは有史以来人類に初めて訪れた、「宗教からの卒業」という話題だったのである。
 宗教からの卒業は、量子AIが人類社会にもたらした変革の集大成とも、もしくは量子AIが人類へ突きつけた最終課題とも言われていた。その説明として日本で最も引用される文を、以下に記してみよう。
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