僕の名前は、猫将軍眠留

初山七月

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十三章

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 走り幅跳びは、速く走ることと高く跳躍することの、二つの要素で成り立つ競技と言える。よって速く走る要素を抜き取ったら好記録は望めなくなるのだけど、足腰の決して強くない芹沢さんが運動を楽しみつつ体を鍛えるには、それが最良と僕らは判断した。踏切板までリズミカルに真っすぐ走り、高さより真っすぐさを重視した跳躍をして、砂地に両足で「ふにゃ」っと着地する。全力疾走をしないことで関節を酷使せず、跳躍脚のみに頼らないことでアキレス腱への負担を減らし、ふにゃっと着地することで衝撃を全身で吸収する。こんな方法を、僕らは導き出したのだ。第一グラウンドの走り幅跳び場を使い、スピードより高さより「ふわり」と空へ舞い上がる様子を強調して手本を見せると、芹沢さんは「私もそれがしたい!」と目の色を変えた。大和撫子の鑑たるこの少女はダイナミックなジャンプより、空を舞う天女のような跳躍に興味を持つだろうという予想が的中したのである。数度の練習を経て、体に引き付ける脚と両腕を振り子にすれば「ふわり」になると気づいた芹沢さんは、その感覚をもっと味わいたいのか選択授業に陸上競技を加える希望を述べた。しかし猛は、芹沢さんの今の足腰では賛同できないと首を横に振った。適切な意見であっても、言った方も言われた方も暗く沈んだ表情をしているのを見かね、「体操の選択授業でここまで跳べるようになったんだから、引き続き体操で全身くまなく鍛えてみたらどうかな」と提案したところ、二人は仲良く笑顔を見せてくれた。その五週間後、芹沢さんは体育祭の走り幅跳びで観客を魅了した。特に決勝は凄まじかった。この競技に自信のある運動系部員達が全力疾走と全力ジャンプを繰り返すなか、唯一の文化系部員の芹沢さんは、全く異なる走り幅跳びをしていた。体を動かす事とイメージトレーニングを等しく重視する練習のお陰で疲労をまるでしていない筋肉群が、しなやかな足運びと伸びやかな跳躍を芹沢さんにプレゼントしたのだ。しかも、ふわりと跳べる喜びがありありと伝わってくる笑顔を芹沢さんは浮かべていて、それが去年の、ぐるぐるバットリレーの運動音痴を皆に思い出させたと来れば、グラウンドの状態も想像つくというもの。運動音痴でも一生懸命だった去年も感動したが、一年間の努力が実りそれを克服した今年はもっと感動したとばかりに、皆が芹沢さんに大声援を贈ったのである。それだけでも感極まったのに、かつて運動音痴だった自分が芹沢さんに重なった事もあり、僕は涙と鼻水まみれになりながら芹沢さんを応援したのだった。
 とまあこんな感じに、今年の体育祭は去年以上に喉を酷使する体育祭だった。しかしその一方、去年と同じく喉をほとんど使わない夕食会メンバーもいった。銀河の妖精に出場した輝夜さんと、女子100メートル走に出場した昴の二人へ、声に出す応援をほぼしなかったのだ。それは僕にとって、至極当然のことと言えた。輝夜さんは今年も満点だったが完成度は去年を上回っていたのでそれを点数表示するなら何点が妥当なのかを考えずにはいられなかったし、僕もこの一年間で高速ストライド走法を向上させたはずなのに昴は今年も僕をあっさり超えて行ったのでその仕組みを考察せずにはいられなかったのである。というか単なる思い過ごしかもしれないけど、喉を酷使する僕を気遣いせめて自分達は喉を使わせまいと二人がしてくれたようにも、心の片隅で感じられた。さすがにそれは無いだろうと思う反面、そんな思いが頭にあるだけで「アンタそんな事もわからないの?」「眠留くんは私達を見くびっているのかな?」と呆れられる気がしきりとしたため、僕は努めてそれを考えないことにしていた。
 この二人ほどではないにせよ、那須さんへも喉を酷使しなかった。去年と同じく女子1000メートルで優勝した那須さんは、去年と同じとは到底言えない進化した走りを見せてくれて、僕は応援に終始励んでいた。しかしプログラムナンバー四番の予選では喉に充分余裕があったし、また午後の決勝では既に喉を使い果たしていて声を出すことが不可能だったから、酷使しようにもできなかったのである。声が出ないせいで謝罪の言葉も伝えられない状況に落ち込む僕を那須さんは静かに見つめたのち、「たぶんそれは」と呟くも、それ以上の説明はしなかった。内分泌腺の専門家を目指す那須さんの、それはまさに慧眼だったのだけど、真の原因を見抜いた際のその瞳を思い出すたび「慧眼って高原の空のような瞳って意味じゃないよな」と、僕はおバカなことをついつい考えてしまうのだった。
 午後四番目に行われた女子1000メートル決勝で既にそんな状態だった僕は、最後から二番目の「ぐるぐるバットリレー」に出場した香取さんへも、声援を送ることができなかった。体育祭の五週間前、速く走らない走り幅跳びの練習初日、香取さんは猛と僕に、芹沢さんの練習を遠くから見学させて欲しいと頼んだ。そのとき明かされたところによると、最終学年でまた同じクラスになることへの自分なりの働きかけとして、香取さんは旧十組メンバーの湖校生活を今でも文書化していると言う。「芹沢さんに垂直跳びの能力が開花したことと、それを活かす方法として特殊な走り幅跳びが考案されたことは絶対外せないエピソードなので、目立たない場所からその様子を見学させてもらえないでしょうか」と、香取さんは猛と僕に請うたのである。香取さんの人柄と文才にただでさえ絶対的信頼を寄せているのに、「緊張させないためとはいえ事後承諾になってしまう芹沢さんへは後できちんと謝罪します」と直角以上に腰を折られた猛と僕は、反対理由を微塵も思いつかなかった。そして速く走らない幅跳びの練習後、かくいう次第で秘密にしていましたと頭を下げた僕と猛と香取さんへ、「私が緊張しないことを第一に考えてくれた元クラスメイトはこれで二桁になったよ」と、芹沢さんは涙ぐんでいた。香取さんはそれにもらい泣きし、そんな香取さんを芹沢さんは慰め、そうこうしているうち二人は女子だけが成しうる超高速おしゃべりを開始して僕と猛はただ呆然とするしかなかったのだけど、二人の最後のやり取りだけは耳に残すことができた。「閃いた、わたし今年ぐるぐるバットリレーに出るよ!」「とてもいいアイデアだと思う。あのとき大笑いしてもらえたお陰で、私は自分の運動音痴に、笑いかけられるようになれたの」「わあ、私もそうなれるかな!」「うん、きっとなれるよ!」 文化系部員と体育会系部員のノリの差を埋めるべく選択授業を体操に替えた芹沢さん同様、香取さんもそのころ、同じ理由で選択授業を運動系へ替えようとしていた。その引き金となった出来事に直接関わっただけでなく、ぐるぐるバットリレー出場を決意した出来事にも直接関わることになった僕は、大笑いという名の声援を力の限りする決意をしていた。にもかかわらず、皆を抱腹絶倒の渦に巻き込んだ香取さんへ、僕は声一つ掛けることができなかったのである。一生かけて鍛えてゆくべき自分の弱点を書き連ねたページの最後に、「半日足らずの体育祭すら耐えられない喉の弱さ」という一文を、僕は胸中書き加えたのだった。
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