僕の名前は、猫将軍眠留

初山七月

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十四章

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「俺達も混ぜてくれるか」 
 僕らだけに見える指向性2Dが竹中さんから送られてきた。互いの意思を確認すべく目配せするも、僕らの目に飛び込んで来たのは、三者三様に頭を抱えている自分達の姿だった。気持ちを表に出さぬよう注意していたつもりが、僕らは知らず知らずのうちに頭を抱えていたのである。そのとたん、コミュ王と呼ばれる竹中さんが指向性2Dを送って来たのだから、ここは素直に兜を脱ぎ指示を仰ぐべきだろう。そう即決した僕らは竹中さんと菊池さんを二年生トリオのチャットルームに招き、これまでの会話を全て読んでもらった。僕らのやり取りをお二人にさらすのは心の負担に少しもならなかったが、現状維持の指示を菊池さんに出されているとはいえ、寝転んだままというのは正直心臓に悪かった。
竹「なるほど、理解した」
菊「勘違いをまず正そう。お前たちは、決して遅くない」
竹「全国大会本選以前に自力で気づいたのは、さすがお前達なんだよ」
 それからお二人は、僕らの知らなかった湖校史を教えてくれた。
 湖校創設時、研究学校への風当たりが今とは比較にならぬほど強かった時代、一期生を始めとする先輩方は、他校との試合で湖校生に向けられる侮蔑への対処法を数年かけて作り上げた。それは部に代々受け継がれてきたが、研究学校への評価が改まるにつれ必要度は低下してゆき、湖校創設十周年を迎えるころには、具体的な対策を伴わない心構え、もしくは概念と呼ぶべきものに変化していた。必要度の低下と対処法の概念化はその後も進行しつづけ、今ではそれは、最上級生が下級生へ身をもって伝える「教育」として位置づけられているのだそうだ。
竹「加藤は一年夏の忍術部のインハイ予選で、部は異なるが緑川と森口も一年夏の大会で、最上級生にそれを教わった」
菊「だがお前達三人は去年の夏、それを教わらなかった。十八歳以下の新忍道大会は、今年のインハイが初めてだからな」
竹「にもかかわらず自力でそれに気づけたのだから、さすがお前達なんだよ」
 いつもはこうも褒められたら照れてしまうのだけど、今回は二つの事が気にかかりそうはならなかった。そのうち一つを、北斗が代表して先輩方へ尋ねてくれた。
北「ここ十数分の俺達の振る舞いは、一年生達に悪影響を及ぼさなかったでしょうか」
 竹中さんと菊池さんの、さも楽しげな笑い声が聞こえてきた。部屋に丁度帰ってきた荒海さんはその声だけで、粗方を察したのだろう。「ったく、ドッキリが効かなくなっちまったか」とブサクサ呟き、不機嫌を露わにして横になった。態度と胸中が逆の時ほど荒海さんの演技があからさまになるのは、新忍道部のお約束と言える。三つ続きの和室を親密な空気が満たし、一年の松竹梅は特にその空気を喜んでいたので、「答えるまでもなさそうだな」「そのようですね」という合意に、僕らは至ったのだった。
 それからお二人は指示とヒントと自分達の思い出と、そして今後のネタを一つずつ書き込み、チャットルームを去って行った。
竹「お前たちのことだから、普通に振る舞えば問題ないだろう」
菊「お前たちのことだから『他者への配慮』というヒントを出せば、正解をすぐ得られるだろう」
竹「白状すると俺達は、丸々二か月かかってな」
菊「加藤が半年かかったのは、武士の情けでナイショにしておいてくれ」
 了解しましたと三人で書き込み、僕らもチャットルームを後にした。
 それ以降は先輩方の指示に従い、普通にバカ話をして休憩時間を過ごした。ただ、「緑川さんと森口さんが最初の部を辞めたのと今回の件は、関係あるのかな」というもう一方の気にかかりだけは、喉に刺さった小骨のように、かすかな痛みを主張しつづけたのだった。

 というのが、旅館を出発する少し前の話。
 そして今、場所は明日の本選会場となる、運動場。
「どうだった?」と訊く北斗と京馬へ、可能な限り小声で僕は答えた。
「負の感情を送ってくる人はフィールドに五人の観覧席に二人、フィールドの五人は北斗の推測どおり監督だったから、ため息を呑み込むのに苦労したよ」
 北斗と京馬は背負っていた荷物を芝生の上に置く動作に合わせ「ふう」と息を吐き、そのまま深呼吸へ移った。二人に倣い僕も同じ動作をすると、呑み込んだやるせなさを浄化できた気がした。
 芝生に腰を下ろしストレッチをしている最中、三枝木さんが部員一人一人の眼前に、湖校に割り振られた練習スペースを表示してくれた。明日の本選は午前と午後に分かれており、午前にモンスターと戦う学校は今日も午前に運動場使用の優先権が与えられていて、午後に戦う学校は今日も午後に優先権を与えられていた。湖校は埼玉予選と同じ午前最後だったから、午後の学校を四倍する練習スペースが割り振られていた。優先権を持たないだけで禁止されてはいないため、午後の学校も午前の時間に参加可能だったのである。しかし正直言うと、嫌な気がしないでもなかった。なぜなら午後組で今ここにいるのは、研究学校以外の学校だったからだ。
 明日ここで本選を戦う十一校のうち、六校は研究学校だった。六校は午前と午後に三校ずつ分かれており、午後の三校はここにやって来ていなかった。湖校もそれは同じで、確認した訳ではないが湖校以外の二校も、午後は運動場を使わないと考えて間違いなかった。自分達がいなければ他校のスペースが増えるから控えようと思うのは、研究学校生にとって至極普通のことだったのである。
 しかしそれは研究学校にのみ該当することだと、僕は身をもって教えられた気がした。僕は歯を食いしばり、状況によっては午前十一時二十分前後に、翔化視力を使う覚悟をした。「最後の一時間は優先校のみ練習可能とする」という規則に何らかの妨害工作があった場合、翔化視力を用いれば、それが監督の指示なのか否かを判断できるからだ。そう僕は最近、他者の感情の表層を、その人の放つ色として認識できるようになっていたのである。
 だがそれは、必要に迫られない限り決して用いないことにしていた。理由は、フェアじゃないから。相手もそれができるならフェアだけど、そうでないならフェアじゃない。しかも僕はそれを秘密にしているのだから、アンフェア以外の何物でもないのである。
 もっとも、可視光が光の極一部でしかないように、僕の翔化視力も、感情の表層部分を捉えられるに過ぎなかった。とはいえ盗み見ることに変わりはないから、異性へは絶対使わなかった。同性なら良いのかと問われたら返答に窮するが、それでも親友達に内緒で使ってみたところ、こんなもの使うまでもなくアイツらの心内こころうちなど手に取るように解ることが判明したから、まあいいかなと考えている。
 ただ、真山にだけは打ち明けた。女子の顔が案山子に見えるという現象に苦しめられてきた真山は、他者の意識と生命力を視覚化できることを僕に明かし、そのとき僕も、生命力なら観えると告白していた。よってそれに表層感情が加わったことを、打ち明けたのである。そのさい真山の放った、プラチナに真珠を混ぜたような色に僕はなぜかとても照れてしまい、すると真山も僕と同じ照れた色に包まれたので、僕らは肩を組みひとしきり笑い合ったものだ。後に調べてみたところ、ファンシーヴィヴィッドに分類されるピンクダイヤが、照れ照れ状態の僕らに最も似ている色だった。すると不意に、美鈴の左手の薬指に同色のダイヤが輝いている光景を幻視し、その美鈴がえも言われぬ幸せな気配をまとっていたので、暗色系の感情を一掃したい時は、あのときの幻視を思い出すことにしていた。
 その美鈴が今、僕の心の中にいた。そのお陰でたちこめた黒煙を排気できたけど、一年の松竹梅にそれは困難だったらしく、三人は竹中さんに願い出て通常訓練から離れ、短距離ダッシュの特別訓練に励んでいた。その三人の姿に、今回のインハイで施される事となる「教育」の一端を観た気がした僕は、計画を前倒しし、フィールドを侵食する黒煙の大元へ翔化視力を向けた。その大元たる他校の監督へ、僕は心の中で語り掛けた。
「割り振られた練習スペースが狭すぎるというあなたの抗議は、選手の運動量の少なさを嘆いたからではなく、自分の面子が傷ついた腹いせのために、なされているのですね」と。
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