僕の名前は、猫将軍眠留

初山七月

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十四章

栄誉ある第一歩、1

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 サタンの心臓が暗黒の穴となり、上半身を吸いこんでゆく。
 離れた場所にあった下半身も引き寄せられ、心臓の穴に吸いこまれてゆく。
 心臓の次元門をとおり、サタンは魔界へ帰って行った。
 サタンの魔力を失い異次元を固定できなくなった砦が、漆黒の粒子となり四散する。その直後、
 YOU WIN!
 燦然と煌めく文字が空中に出現した。
 だが、声をあげる者は一人もいなかった。
 誰もが口をつぐみ、起き上がろうとする真田さんと荒海さんを見つめていた。
 二人は必至でもがくも、どうしても身を起こす事ができないようだった。
 その二人のそばに、足を引きずりつつ歩いてきた黛さんが片膝を付いた。
 差し伸べられた黛さんの手を掴み、真田さんと荒海さんも膝立ちになった。
 三人は顔を上げ頷き合い、息を揃えて立ち上がった。
 僕は観た。いや、誰もが心の眼で観ていたのだと思う。
 息を揃えた三人は、比喩ではなく心を一つにしていた。
 融合し三倍の精神力を使えるようになった心でもって、立ち上がれないはずの体を立ち上がらせていたのだ。
 整列した三戦士が観客席へ敬礼し、空を見上げる。
 観客席の三千余人も、まったく同じ空中の一点を見上げる。その一点が門となり、
 
  愛し子らよ
  幸いなれ
 
 創造主の声が、この次元へ降ろされたのだった。

 それから新忍道本部のメインAIは、初めての措置を講じた。上空にサタン戦の名場面を映し、人々の目を釘付けにしてから、真田さんと荒海さんと黛さんを蜃気楼壁で隠し、回復を手伝ったのである。
 蜃気楼壁に包まれた真田さん達は3D表示に従い、芝生に身を横たえた。すると三秒と経たず、三台の医療ロボットが真田さん達の傍らに駆けつけた。観客を驚かさぬよう蜃気楼壁に身を隠し、すぐそばに控えていたのである。三台のロボットは三人の上にシートの屋根を広げ、氷水のタオルを額に乗せ、冷風で体を冷やした。心地よさを身にまとった三人へ、後輩十二人が一斉に安堵の息をつく。公式AIが気を利かせ、三人の様子を控室に映してくれていたのだ。
 その映像は控室のみならず、湖校の関係者応援席にも届けられていた。真田さんと荒海さんと黛さんの御両親の前にエイミィが現れ、大切な息子さんを極限まで疲労させてしまったことを謝罪し、回復の手伝いをしていることを伝え、その映像を映し出した。親御さん達は悲痛な表情を浮かべていたが、怪我等は一切ないことを知るや、六人そろってエイミィに頭を下げていた。涙ぐむエイミィに親御さん達は語り掛け、その会話の最中に湖校の校章が空中に現れ、エイミィが湖校新忍道部の公式AIであることを明かした。そのとたん感謝の言葉の集中砲火を浴びたエイミィは、感極まり本格的に泣きだしてしまった。「良かったねエイミィ」 胸の中で告げ、僕は関係者応援席へ向けていた翔化視力をといた。
 丁度その時、上空から水晶が戻ってきた。真田さんと荒海さんと黛さん、そして観客席の三千余の人々が見上げた空中の一点にいたのは、水晶だったのである。
「四カ月前の予言のとおり、水晶の気配を感じた人は大勢いたみたいだね」
「あの方に門となるよう請われての。儂は目立つ経験に乏しいゆえ、少々難儀だったわい」
「とかなんとか言いつつ、いつもよりキラキラ輝いてて、上機嫌にしか見えないんだけど」
「それは仕方なき事。天性のスターの資質は、隠そうにも隠しきれぬものじゃからの。ふおぅ、ふぉっ、ふぉっ!」
 なんて高らかに笑う水晶に釣られ、僕も大いに笑った。
 水晶はその後、鳳空路守さんに話があるらしく観客席へ降りて行った。障壁は双葉が引き継いでくれたから不安はなかったが、視線を感じ目をやると、千家さんがこちらを見上げてにこやかに手を振っていた。目を丸くした双葉は水晶とテレパシーで会話したのち、「私も話してくる、障壁は眠留が維持しなさい」と言い、千家さんの元へ行ってしまった。僕の技術では三千人の意識を遮れるか甚だ疑問でも、とにかくやるしかない。僕は腹をくくり、障壁の維持に努めた。
 幸いフィールド上空の名場面ダイジェストがサタンの説明に切り替わり、人々の意識がそちらに向いたため、しがない隠形おんぎょう術でも知覚されることはなかった。僕は心置きなく、説明に耳を傾けた。 
「魔界では敵なしだったサタンも、人類の銃には敗北することが多かった。よってサタンは銃に負けた経験を魔界へ持ち帰り、種族全体で銃について研究し、銃の威力と銃弾の残数を魔力で計測する技を確立した。それは脅威ではあるが、銃に負けたことは認められても人類に負けたことは認められない稚拙なプライドを保持している限り、サタンは人類の真の敵にはならない。3DG世界の人々は自戒を込め、そう語り継いでいる」
 インハイ二日目にサタンと戦う可能性を示唆された湖校新忍道部員はサタンの研究をし、研究成果を定期的に発表していた。その初回の冒頭で北斗がこの説明文を引用し、サタン特有の魔力技術よりも、
 ――3DG世界の人々の自戒
 について論じたため、僕はこれを強烈に覚えていた。それは皆も同じらしく、控室の北斗は先輩方に肩を叩かれ後輩達に目で感謝され、そして僕と京馬からヘッドロックをかまされていた。その親密さに胸を打たれ、心の二分割を止め控室に帰りかけるも、観客席のある光景がそれを押しとどめた。それは二日前の公式練習で見かけた、理不尽な監督のいる学校の新忍道部員達が、3DG世界の人々の自戒について話し合っている光景だった。その部員達を不思議そうに見つめる監督のような人が、教育の場から一日も早くいなくなることを僕は祈った。
 観客席には、今日二日目に駒を進められなかった数多くの学校が見学に来ており、湖校のサタン戦について活発な議論を交わしていた。皆がそこで「連携は基礎中の基礎であると共に奥義でもある」を度々取り上げることが、僕は嬉しくてならなかった。
 サタンについて説明がなされたのち、それを知っておいた方が楽しめる名場面が幾つか上映された。その頃には医療ロボットはその役目を終えていて、質疑応答程度なら難なくこなせる状態まで回復した真田さん達は立ち上がり、体を伸ばしたり関節を回したりしていた。実を言うとサタンを真っ二つにしたさい、真田さんと荒海さんの膝は限界を超え、本来なら十字靭帯を断裂していたはずだった。だが、一つの体に一つの意識が宿る制約を超える実例を大勢の人々に示したことが評価され、水晶が創造主の代理として二人の膝に生命力をそそぎ入れ、怪我を回避していたのである。それに気づいたからこそ真田さん達は空を見上げたのだけど、ふとある可能性が脳裏をかすめた。
 ――気づいていないだけで人は遥か昔から、似た事をしてもらっているんじゃないかな――
 輝夜さんの座右の銘、「当たり前のことほど奥が深く、そして当たり前のことほど、その奥深さに気づかない」を、僕は噛みしめるように呟いたのだった。
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