僕の名前は、猫将軍眠留

初山七月

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十五章

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 歴代最大級の顔面噴火は、予想していなかった副産物を生んだ。輝夜さんの私室を訪れるのは時期尚早と告げる、契機になってくれたのである。それは僕が大噴火を鎮静させるため、太腿を思いっきりつねった事から始まった。
「眠留くん、そんなに強く太腿をつねっちゃだめだよ!」
 輝夜さんに見つからぬようテーブルの下でつねっていたのだけど、腕の筋肉の様子からバレてしまったみたいだ。理由は定かでないが僕が太腿をつねると、輝夜さんはなぜか懸命にそれを止めさせようとする。もちろんすぐ止めたが、今日の輝夜さんはそれだけでは気が済まなかったらしく、テーブルの向こうから飛んできて僕の隣に座り、太腿をつねらないでと懇願した。愛おしい気持ちが胸に溢れてきて、その溢れた気持ちが後押ししてくれたのだろう。かけがえのないこの女性にこの懇願を再びさせてなるものかと奮い立った僕は、三日前に発覚した「輝夜さんの部屋での気絶」を阻止すべく、行動を開始した。
「そうそう輝夜さん、まだ誰にも話してないけど、僕は先日ある決心をしたんだ。それは、もう二度と気絶しない事。きっかけは、インハイ最終日の昼食会で気絶して、旅館に迷惑をかけてしまった事でさ・・・」
 そう僕は、今後一切気絶しない決意をした。そして三日前、その決意を貫くためには、輝夜さんの部屋で太腿をつねり続けなければならぬ事が判明した。なぜなら輝夜さんのAICAでさえ芳しすぎて幾度も意識が遠のいたのに、AランクAIの美夜さんは輝夜さんの私室を、少なくともその十倍芳しいと試算したからだ。したがって十倍に対抗するには画鋲を多数用意し、それを刺し続けるほどの痛みが必要なのだけど、さすがにそれは無理。輝夜さんにこの懇願を再びさせてなるものかと奮い立った今なら、なおさらだろう。つまり輝夜さんの部屋に招かれるのは時期尚早と判断せざるを得ず、然るにこの場所でこのまま会話を続けようと、僕は提案したのである。
 そんな僕に、まこと心の清らかな輝夜さんは、自分も正直になる事で報いようとした。美夜さんの試算に顔を赤く染めるも、
「聞いておきたいことがあるのって、私が最初に尋ねたのはそれなんです」
 輝夜さんは恥ずかしさを乗り越え、そう打ち明けてくれたのだ。
 ここで終わっていれば、輝夜さんは僕の決意を助ける最高のパートナーになったと思う。
 けど、そうはならなかった。
 輝夜さんは、誓ったばかりの決意をぶちのめそうとする、最大最強の敵となった。
 頑張り屋の輝夜さんは恥ずかしさを乗り越えすぎるあまり、過剰な赤裸々発言を僕に叩きつけたのである。
「眠留くんは私を自室に招いてくれたから、私も眠留くんを自室に招待したかったけど、五月のあのヘンタイ騒動を思うと、肌を見せるみたいで恥ずかしかったの!」
 僕は五月のヘンタイ騒動を思い出し、それは違うんだと胸中叫び続けることで、途切れようとする意識を必死で繋ぎとめていた。

 約三ヵ月前の、五月五日。
 僕のサプライズ誕生会が終了した日の、午後七時半。
 輝夜さんは今年も、僕に誕生日プレゼントを贈ってくれた。包みをほどいて現れた、去年と同じその高額パジャマに、僕は危惧していた事をそのまま尋ねた。
「輝夜さん、このパジャマを、僕に毎年くれようとしている?」
 着用者を極上の眠りに誘うこの極上の手触りは、毎日洗濯してもゆうに一年持つが、品質を保つには一年ごとの買い替えが望ましいと、このパジャマのHPに書かれていた。通常の五十倍の値段がするこのパジャマを毎年購入するなんて僕には不可能でも、大富豪の令嬢には可能なので、ひょっとしてこのお姫様はそれを実行するつもりではないかと、僕は危惧していたのである。それは的中し、「そのつもりだよ?」と輝夜さんは首を傾げたのち、「本当は気に入らなかった?」などと的外れにも程があることを宣い始めてしまった。よって僕は首を横に振り、毎年もらうには高額過ぎて忍びないと説いた。けど輝夜さんは命を救われたのだから当然と主張し、あれは僕が原因で起こった事だ、ううん私が悪いの、といつまで経っても平行線が続いたため、僕はとうとう本心を晒してしまった。
「このパジャマを着て一番嬉しかったのは、世界一好きな人の残り香に包まれて眠れることだったんだ。輝夜さん、新しく買い替えるより、二つのパジャマを輝夜さんの部屋に交互に置いて、僕をその香りで包んでくれないかな」
 これこそは魂の叫びと呼ぶべき本心だったから、僕は今でも、それを明かしたことを間違いだったと考えていない。
 だが、僕らのやり取りを見つめる瞳がすぐそばに二対あったことを失念したのは、間違いだったと深く反省している。
 僕の告白に輝夜さんは絶句し、それによって生じた静寂極まる台所に、昴と美鈴の呆れ声が轟いた。
「知らなかったわ。あんたヘ! ン! タ! イ! だったのね」
「お兄ちゃんのヘンタイ、ヘンタイ―――ッッ!!」
 輝夜さんがいるのだから昴もいて、そして三人娘の最後にプレゼントをくれる手筈の美鈴もこの場にいて当然だったことを完全に失念していた僕は、パニックが頂点に達し、歴代最大の墓穴を掘った。
「違うんだ、もうあんなヘンタイじみた事はしませんって、僕は洗濯機に誓ったんだ!」
 僕は二人に説明した。去年の誕生日プレゼントのパジャマを初めて着た日の翌朝、洗濯したら輝夜さんの残り香が消えてしまうことに気づき、洗濯機の前で苦悩した事。このまま着続けるのは不可能と理解していても、あの耽美なひと時を過ごせないかと思うと、巨大な喪失感に襲われた事。けど最後は輝夜さんの言いつけを守り、パジャマの入った洗濯ネットを洗濯機に入れ、もうこんなヘンタイじみた事はしませんと誓った事。僕はそれらを、包み隠さず話したのである。昴と美鈴は僕がありのままを明かしたと認め、その上で、僕が超巨大墓穴を掘ったことを教えてくれた。
「事情は解ったわ。だから私も最終決定を心のままに下す。あんたはヘンタイじみているのではなく、ただのヘンタイよ!」
「お兄ちゃんのヘンタイ、ヘンタイ、ヘンタイ―――ッッッ!!!」
 視界がグラリと揺れるも何とか踏みとどまり、最後の望みを託して輝夜さんに目を向けた。昴と美鈴にヘンタイ認定されようと、輝夜さんさえ違うと思ってくれていれば、それで充分だったからである。しかし僕が墓穴を掘っている最中に座り込んでしまっていた輝夜さんは、まるで服を着ていないかのように両腕で体を隠して言った。
「狭山湖の駐車場で、パジャマに顔をうずめようとする眠留くんを見たときチラッと思ったけど、眠留くんの、眠留くんのっ、エッチ!」
 神社のHAIとして僕をずっと見守ってきた美夜さんと、ハイ子としていつも一緒にいたミーサによると、僕はその直後、人生最長の気絶をしたらしい。量子AIを含む全員が、輝夜さんをなだめることを優先し僕を放置した等が重なり、最長になったそうなのだ。といっても僕を良く知る量子AIと、三人の翔人による放置だったので健康上の心配はなかったに違いないが、目覚めたとき周囲に誰もいなかったのは初めてだったから僕はいささか落ち込んだ。けどそれは自業自得だし、何より輝夜さんを始めとする女性全員が僕を許してくれたため、僕はその出来事を真剣に考えなかったのである。

 だが、今日。 
 ヘンタイ騒動から三ヵ月経った、今この瞬間。
 あの出来事を真剣に考えなかったことを、僕は激しく後悔していた。
 その最大の理由はあの時も、そして今も、輝夜さんが服を着ていないかのように肌を隠そうとしている事にあった。
 ただ幸い、僕はそれについて思い当たる節が一つあった。それは、芳香剤を含むシャンプーや洗剤を翔人は避ける、ということだった。五感の鋭敏な翔人にとって合成芳香剤は「苦い針に刺されたような刺激」を鼻腔にもたらすし、天然由来の芳香剤も加熱濃縮しているからか、「味付けの濃すぎるスープを苦労して飲む」に似た感覚を眉間に生じさせる。よって翔人は、芳香剤を含まない石鹸やシャンプーをとても好むのである。ということは女性翔人の香りはその人の肌の香りに他ならず、然るにそれを男性からあからさまに指摘されると、
 ――肌を晒しているかのような羞恥
 を覚えてしまうのではないか? この仮説に基づくなら昴と美鈴によるヘンタイ認定は正しく、それより数段軽い「エッチ」に留めてくれた輝夜さんは、むしろ寛大という事になる。輝夜さんが寛大なのは事実なので、正誤はさておき僕はこの仮説を、現時点における行動規範とする決定をした。
 という判断のもと、
「輝夜さん、香りの話題はもう口にしないし、なるべく意識しない努力もするから、どうか恥ずかしがらないでくれないかな」
 僕はそうお願いした。
 しかし輝夜さんがまとった気配から察するに、それは勘違いを幾分含むお願いだったみたいだ。輝夜さんは「嫌では決してないって信じて下さい」と目を伏せて呟いたのち、引き続き両腕で体を隠したまま、僕に尋ねた。
「去年五月の狭山湖の堤防で中断した会話を、していいですか?」
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