僕の名前は、猫将軍眠留

初山七月

文字の大きさ
551 / 934
十五章

どちらかしかない

しおりを挟む
 心を整理整頓して清められるのは、自分しかいない。
 物理的な部屋なら他者や機械に頼めても、心を清められるのは自分しかいない。
 そして心を清める技術は、部屋の掃除と同じく、すればするほど上達してゆく。
 嫌なことや辛い出来事があっても、その技術に長けていれば心は清められ、そしてそれを行うたび、心の清らかさはその人に定着してゆく。
 その、長年の努力によって定着させた心の清らかさを、香雪は物質次元に具現化するのではないか。
 節制しない人に効果を及ぼさないという具現化を香雪が成すように、節制が定着した人の心のありようも、香雪は具現化するのではないか。
 心を清める技術という、日々の努力により獲得した後天的美徳を、清らかな香りで香雪は表現しているのではないか。
 もしそうなら、輝夜さんの真の姿が観えてくる。
 清涼感の精髄たる香りに、人跡未踏の高峰に咲く白い花の香りが、ときどき加わる理由が観えてくる。
 きっとそれは、天上の御使いがこの星に慣れてきた、証なのだろう。

 そんなことを考えながらゆっくり叩いていた背中に、うっすら力が込められた。
 身を起そうとする合図を受け取った僕は背中から手を放し、華奢な肩に手を添え、その手助けをする。
 互いをいつもの距離に戻した輝夜さんは僕の瞳をのぞき込み、納得した声で言った。
「うん、私が決して嫌がっているのではないって、理解してくれたのね」
「輝夜さんは嫌がっているという想いが僕の中にあったら、僕の心はざわついていたはず。その想いが欠片も無いからこそ、僕は今、これほど穏やかな気持ちでいられるんだ。輝夜さん、そういう事だよね」
 他者の心の詳細はわからずとも、他者が解き放った想いの本質を素直に感じることなら、テレパシーなどなくても容易にできる。僕の胸の中で輝夜さんが想いを解き放ち、そしてその想いの本質を僕が素直に感じ取ることなら、僕と輝夜さんは絶対的な自信を持っていた。つまり、僕が今これほど落ち着いているのは、輝夜さんが嫌な気持ちを少しも抱いていなかった証拠。僕はそれを自分の心を見つめることで、理解したのである。
 そんな僕を今度は輝夜さんが素直に感じ取り、それをまた僕が感じ取るといった具合に、共有する素直な気持ちを僕らは増幅して行った。僕と輝夜さんが物理的な違いを無数に持っていようと、心の核の部分で同じ想いを共有できれば、僕らは対等になれる。対等な存在として、共に生きてゆく事ができるのだ。
 と、ここまでは甘酸っぱくとも、健全な夏休みのひと時を過ごせていたと思う。でも、共に生きて行くという概念が結婚に結び付いたとたん、想いを共有していたのが仇となり、僕らは照れ照れになってしまった。ほんの数十秒前まで薄手のシャツ越しに互いの肌を感じ合っていた思春期真っ盛りの男女なのだから、婚姻に伴うアレコレに心を翻弄されて当然なのかもしれないが、それでも僕らは新たな話題を掲げ、この身悶え級の照れ照れ状態を打開しようとした。しかしアレコレから遠ざかって考えているはずの僕の頭が思いつくのは「プールに行こう」や「海に行こう」系の、今よりもっと開放的な姿になった輝夜さんを公然と拝める話題ばかりだったため、「僕はエッチやヘンタイではなくその中間のスケベだったんだ」との真実が僕を襲った。その真実は巨大すぎて抵抗できず、いっそスケベになり切ってしまおうかという案にジワジワ浸食されて行ったが、
「すっ、末吉はどうしているかな!」
 すんでのところで健全な話題を閃くことができた。すると、
「しょ、少々お待ちください!」
 輝夜さんはHAIのセキュリティシステムを立ち上げ望遠カメラで末吉の現在位置と状況を特定するという大掛かりな対応を、大慌てでしてくれた。その慌てぶりから、輝夜さんも一杯一杯だったことが如実に見て取れ、と僕が考えていることに輝夜さんが気づき、それに僕も気づくといった具合に、僕らは歴代一の高温高圧照れ照れに悶えてしまった。のだけど、
「・・・末吉のこんなに心地よさげな寝顔、初めて見るよ」
「・・・きっと、畑で思いっきり遊ぶという夢を、叶えられたのね」
 木陰でスヤスヤ眠る末吉の姿が、僕らの心を通常状態に戻してくれた。
 森と畑の境の涼しげな木陰で横になり、末吉は笑顔を浮かべたまま眠っていたのである。
 そんな末吉の様子を輝夜さんと一緒に眺めていると、我が子の寝姿に頬を緩める夫婦のような気がしてきて、僕らの胸に揺るぎない愛情が芽生えた。
 それはなんとも幸せなひと時で、これ以上の幸せを僕は想像できなかったのだけど、それは違ったらしい。
「なぜ忘れていたのかしら。翔人としての私のパートナーを、眠留くんに紹介するね!」
「うわあ、嬉しいよ輝夜さん!」
 嬉しさを新たに加えれば、人は幸せの上限を容易く更新できるのだと、輝夜さんは僕に教えてくれたのだった。

 それから僕は、盛夏の日中に初めてお会いするのだから失礼の無いよう服装を一新したいという希望を輝夜さんに述べた。こういう事もあろうかと、靴下やパンツを含む着替え一式を、AICAの荷台に2セット積んでいたのである。もちろん輝夜さんは快諾し、僕は喜び勇んで客間を後にし外へ出て、駐車場に停めてあるAICAに飛び乗った。
 そして車窓の不透明化と冷房の指示を出すや力尽き、両手で顔を覆って泣いた。
 笑顔で輝夜さんの前に立つため僅かな時間を利用し、涙を流してうめいた。
 先ほど、三人の輝夜さんに覚悟を伝えたとき、僕は思い出した。
 前回の輝夜さんも前々回の輝夜さんも、どちらも十代でこの星を去っている事。
 そして僕の未来は、二千年の修業が実り今度こそ輝夜さんと共にこの星を去るか、二千年の修業が無駄になり今回もこの星に一人残されるかの、
 ――どちらかしかない事。
 この二つを僕はあのとき、はっきり思い出したのだ。
 修業が実るか無駄になるかの節目に生まれてきたことに、恐れはない。
 残された日々を二千年の願いを叶えるべく使うことにも、未練はない。
 だが、この人生で縁を結んだ大勢の人々とあと数年で別れることへ、動揺を微塵も感じないというのも、決して無かったのである。
 それゆえ僕は泣いた。
 動揺を昇華するため涙を流しうめいた。
 そして一分後、快適な涼しさが車内に満ち、体を拭くための濡れタオルをまず目元に使いまくってから、僕は着替えを開始したのだった。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか? そのほかに外伝も綴りました。

オッサン齢50過ぎにしてダンジョンデビューする【なろう100万PV、カクヨム20万PV突破】

山親爺大将
ファンタジー
剣崎鉄也、4年前にダンジョンが現れた現代日本で暮らす53歳のおっさんだ。 失われた20年世代で職を転々とし今は介護職に就いている。 そんな彼が交通事故にあった。 ファンタジーの世界ならここで転生出来るのだろうが、現実はそんなに甘く無い。 「どうしたものかな」 入院先の個室のベッドの上で、俺は途方に暮れていた。 今回の事故で腕に怪我をしてしまい、元の仕事には戻れなかった。 たまたま保険で個室代も出るというので個室にしてもらったけど、たいして蓄えもなく、退院したらすぐにでも働かないとならない。 そんな俺は交通事故で死を覚悟した時にひとつ強烈に後悔をした事があった。 『こんな事ならダンジョンに潜っておけばよかった』 である。 50過ぎのオッサンが何を言ってると思うかもしれないが、その年代はちょうど中学生くらいにファンタジーが流行り、高校生くらいにRPGやライトノベルが流行った世代である。 ファンタジー系ヲタクの先駆者のような年代だ。 俺もそちら側の人間だった。 年齢で完全に諦めていたが、今回のことで自分がどれくらい未練があったか理解した。 「冒険者、いや、探索者っていうんだっけ、やってみるか」 これは体力も衰え、知力も怪しくなってきて、ついでに運にも見放されたオッサンが無い知恵絞ってなんとか探索者としてやっていく物語である。 注意事項 50過ぎのオッサンが子供ほどに歳の離れた女の子に惚れたり、悶々としたりするシーンが出てきます。 あらかじめご了承の上読み進めてください。 注意事項2 作者はメンタル豆腐なので、耐えられないと思った感想の場合はブロック、削除等をして見ないという行動を起こします。お気を悪くする方もおるかと思います。予め謝罪しておきます。 注意事項3 お話と表紙はなんの関係もありません。

むっつり金持ち高校生、巨乳美少女たちに囲まれて学園ハーレム

ピコサイクス
青春
顔は普通、性格も地味。 けれど実は金持ちな高校一年生――俺、朝倉健斗。 学校では埋もれキャラのはずなのに、なぜか周りは巨乳美女ばかり!? 大学生の家庭教師、年上メイド、同級生ギャルに清楚系美少女……。 真面目な御曹司を演じつつ、内心はむっつりスケベ。

【悲報】現代ダンジョン時代、俺の職業がLv.1チンピラ【詰み】

道雪ちゃん
ファンタジー
2024年の年末、世界中に突如ダンジョンが出現した。 大学生・三上ひよりも探索者になることを決意するが、与えられた職業は――世界で一人しかいないユニーク職「Lv.1チンピラ」。 周囲からは笑われ、初期スキルもほとんど役に立たない。 それでも、生き残るためにはダンジョンに挑むしかない。 これは、ネット住民と世界におもちゃにされながらも、真面目に生き抜く青年の物語。 ※基本的にスレッド形式がメインです

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

私の守護霊さん

Masa&G
キャラ文芸
大学生活を送る彩音には、誰にも言えない秘密がある。 彼女のそばには、他人には姿の見えない“守護霊さん”がずっと寄り添っていた。 これは——二人で過ごした最後の一年を描く、かけがえのない物語。

異世界帰りの俺、現代日本にダンジョンが出現したので異世界経験を売ったり配信してみます

内田ヨシキ
ファンタジー
「あの魔物の倒し方なら、30万円で売るよ!」  ――これは、現代日本にダンジョンが出現して間もない頃の物語。  カクヨムにて先行連載中です! (https://kakuyomu.jp/works/16818023211703153243)  異世界で名を馳せた英雄「一条 拓斗(いちじょう たくと)」は、現代日本に帰還したはいいが、異世界で鍛えた魔力も身体能力も失われていた。  残ったのは魔物退治の経験や、魔法に関する知識、異世界言語能力など現代日本で役に立たないものばかり。  一般人として生活するようになった拓斗だったが、持てる能力を一切活かせない日々は苦痛だった。  そんな折、現代日本に迷宮と魔物が出現。それらは拓斗が異世界で散々見てきたものだった。  そして3年後、ついに迷宮で活動する国家資格を手にした拓斗は、安定も平穏も捨てて、自分のすべてを活かせるはずの迷宮へ赴く。  異世界人「フィリア」との出会いをきっかけに、拓斗は自分の異世界経験が、他の初心者同然の冒険者にとって非常に有益なものであると気づく。  やがて拓斗はフィリアと共に、魔物の倒し方や、迷宮探索のコツ、魔法の使い方などを、時に直接売り、時に動画配信してお金に変えていく。  さらには迷宮探索に有用なアイテムや、冒険者の能力を可視化する「ステータスカード」を発明する。  そんな彼らの活動は、ダンジョン黎明期の日本において重要なものとなっていき、公的機関に発展していく――。

軽トラの荷台にダンジョンができました★車ごと【非破壊オブジェクト化】して移動要塞になったので快適探索者生活を始めたいと思います

こげ丸
ファンタジー
===運べるプライベートダンジョンで自由気ままな快適最強探索者生活!=== ダンジョンが出来て三〇年。平凡なエンジニアとして過ごしていた主人公だが、ある日突然軽トラの荷台にダンジョンゲートが発生したことをきっかけに、遅咲きながら探索者デビューすることを決意する。 でも別に最強なんて目指さない。 それなりに強くなって、それなりに稼げるようになれれば十分と思っていたのだが……。 フィールドボス化した愛犬(パグ)に非破壊オブジェクト化して移動要塞と化した軽トラ。ユニークスキル「ダンジョンアドミニストレーター」を得てダンジョンの管理者となった主人公が「それなり」ですむわけがなかった。 これは、プライベートダンジョンを利用した快適生活を送りつつ、最強探索者へと駆け上がっていく一人と一匹……とその他大勢の配下たちの物語。

処理中です...