僕の名前は、猫将軍眠留

初山七月

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十五章

白銀姉妹、1

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 着替えを済ませAICAを降り、駐車場横の水道で口をすすぎ、顔をじゃぶじゃぶ洗う。
 演技なしの笑顔を浮かべられるよう、楽しい湖校生活を思い出しながら百面相を暫しする。
 準備万端整えた僕は、安心して居間に戻って行った。
 けど居間に足を踏み入れ、僕と同じく準備万端整えたつもりの輝夜さんに出迎えられた途端、少し困ってしまった。
 輝夜さんを一瞥するや数分前まで泣いていた事がありありと判り、そしてそれは、僕を一瞥した輝夜さんにも当てはまる事だったからだ。
 しかしこういう時こそ、対等な存在か否かが問われるというもの。
 演技なしの笑顔になり、僕は言った。
「お待たせしました。輝夜さんのパートナーを紹介してください」
 阿吽の呼吸で、輝夜さんも僕と同じ笑顔になる。
「もちろんです。さあ眠留くん、道場に行きましょう」
 力を合わせて状況を打開した僕らは、対等な二人である喜びを胸に、新たな場所で新たな時間を過ごすべく居間を後にしたのだった。
 
 日本家屋は非常に豪華な様相をしていても、廊下の幅は三尺、つまり91センチであることが多い。この家もそれに準拠するようだが、基幹部分を成す玄関正面の廊下と、縁側を兼ねる南側の廊下には、二倍に相当する六尺の幅が与えられていた。輝夜さんと並んで歩ける一間いっけん幅の廊下を設けてくれた白銀家の財力に、僕は心の中で謝意を示した。
 財力はさておき、横に並んで歩けることを輝夜さんも嬉しく感じているようだった。輝夜さんは案内役なのに居間から縁側に出ても先へゆかず、僕も縁側に出るのを待ち、
「こちらです」
 と微笑み右手を玄関側へサッと向けたので、肩を並べて歩く状態が自然と出来上がったからだ。またこの経路にも、輝夜さんの気持ちが現れている気がした。僕らが向かっている道場はこの家の裏、北西の方角に建てられている。よって玄関正面の廊下の先に連絡通路があるのは容易に想像でき、そしてその正面廊下へは、居間から直接出ることができた。なのにこうして縁側をわざわざ経由したのは、ほんの少しでも長く並んでいたいという輝夜さんの願いの現れに思えたのである。ならば、ここで機転を利かせねば男が廃る。縁側から正面廊下へ左折する数歩手前、僕は右手で輝夜さんの左手を取り、ダンス特有の姿勢をやや誇張して見せた。顔をパッと輝かせた輝夜さんも同じ姿勢になり、つないだ手を頭の高さに挙げてタイミングを合わせ、
 クルッ
 ダンス場へ入場する際の左ターンを僕らは決めた。輝夜さんの全身から生命力の輝きが煌々と放たれ、このままダンスのステップに移り正面廊下を縦断したいという願いが湧き起こるも、それは今はお預け。名残惜しさを欠片も隠さず顔いっぱいで表現したのち、僕らは手を放し、廊下を粛々と進んでいった。
 玄関から続くこの廊下は、家を東西に二分していた。気配から察するに、廊下の東側は居住者の私室と考えて間違いないのだろう。それとは反対の西側に道場への連絡通路が設けられているのは、白銀家の意向に思えた。この家が建てられたのは、輝夜さんに翔人の才能が認められた以降のこと。よっておじいさんとおばあさんの私室から最も離れた西側の隅に道場への連絡通路を設けることで、道場は翔家に属するという意思表示を白銀家がしたと、僕には感じられたのである。真偽は定かでなくとも廊下の突き当りに差しかかり、おじいさんとおばあさんの私室に背を向けて左折する際、お二人への謝罪の気持ちが竜巻となって胸に生じた。
 そんな僕の手を、輝夜さんが優しく握ってくれた。繋がれたその手から流れてくる輝夜さんの感謝の気持ちに、竜巻がゆっくり鎮められてゆく。それはゆっくりでも、道場に付くころには竜巻を消滅させていると判断した僕は、そのまま手を繋いで歩を進めていた。のだけど、
「あれ?」
 僕は立ち止まり首を傾げた。輝夜さんが本気を出せば、僕の罪悪感をたちどころに吹き飛ばせたはずなのに、あえてそうしなかったとようやく気づいたのである。すると阿吽の呼吸で、本人の説明が耳に届いた。
「良く言えば娘と孫娘に翔人の運命を背負わせた事への詫び、悪く言えば翔家翔人の口止め料。祖父は眠留くんに、初対面の挨拶でそう言ったよね。すると眠留くんは祖父母に、二連続の謝罪をしてくれた。その二度目の、座布団を降りて腰を折った眠留くんが現れた気がしたから、私は咄嗟に眠留くんの手を取ったの」
 おじいさんにそう言われたとき、僕は座布団の上で通常の詫びをし、続いて白銀家と同じ翔家の人間として、座布団を降り土下座した。あの土下座の感覚を再度抱くなり輝夜さんは僕の手を取り、そしてその手の優しさが、胸に渦巻く罪悪感を鎮めてくれた。それは確かに事実で、言葉にせずとも輝夜さんが僕の気持ちを察したことは嬉しかったけど、あえて本気を出さなかった理由は解らずじまいだった。まあでもそれは些事にすぎず、正確に察してくれたことと手を繋げたことの方が段違いに嬉しかったから、僕は輝夜さんの顔を見つめ、ただただニコニコしていた。すると輝夜さんはそのおもてに、初めて見る拗ねた表情を浮かべて本命の言葉を放った。
「一瞬で吹き飛ばしたら、手を繋ぐのも一瞬で終わってしまうじゃない。だって眠留くん、ダンスを踊った今年一月以来、一度も手を繋いでくれていないんだもん。私は眠留くんといつでも、そしていつまでも、こうして手を繋いでいたいの」
 その瞬間、僕は二者択一を迫られた。
 
 輝夜さんを抱き上げてクルクル回り、その足元に跪きプロポーズする。
 そんなのもどかしいとばかりに輝夜さんの両手を握り、プロポーズする。
 
 この二つが、選択すべき未来として僕の眼前に出現したのだ。
 本来なら、こんな大それた状況に突然放り込まれたことを驚くべきなのだろう。
 だが僕は、今この瞬間プロポーズすることを、当然の帰結と感じていた。
 輝夜さんは僕の家族に挨拶を済ませていて、残っていたのは輝夜さんの家族に僕が挨拶する事のみであり、そしておじいさんとおばあさんにお会いすることでそれを満たしたのだから、互いが互いを生涯の伴侶と認めた瞬間、僕の主導で輝夜さんにプロポーズする。
 僕はそんなふうに、まったく迷うことなく考えていたのである。
 そんな僕の気持ちを、輝夜さんは十全に理解した。
 輝夜さんがさっき浮かべた拗ねた表情はこれを意図して作られたのではなかったが、それが契機となってこの帰結を迎えられたことを、輝夜さんはとても幸せに感じていた。
 その想いを、輝夜さんの瞳を通じて理解した僕は、二者択一の二つ目をどうやら選択するつもりだったらしい。
 輝夜さんの両手を握る方を、選ぶつもりだったらしい。
 そう、それはつもりのまま、具現化せず消え去ってしまった。
 なぜなら、
 
  リンッ ンン… ンン…
 
 忘れもしないお日様の音がすぐそばから聞こえてきて、二つしかなかったはずの未来を、両方とも吹き飛ばしたからである。
 新たに出現した未来へ否を告げる間もなく、僕は音の方へ顔を向けた。
 その後、おそらく十秒以上、僕は呼吸を止めていたはずだ。
 改めてふり返っても、それは仕方のない事だったと思う。
 手を伸ばせば届くすぐそこに、
 リンッ ン… ン…
 夜空から降りたった星が一つ、白銀はくぎんの光を放ちながら、清らかな鈴の音を奏でていたのだから。
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