僕の名前は、猫将軍眠留

初山七月

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十六章

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 然るに僕らは気づかなかった。
「ただいまですにゃ~~」
 そう挨拶されるまで、末吉がすぐそばにやって来ていた事を。
 僕らが今いるのは、玄関や居間のある南側から最も離れた、家の北端に設けられた廊下。夏の日差しを免れたこの場所は涼しく心地よいとはいえ、廊下で会合を開く僕らに気を利かせ、HAIが周囲に相殺音壁を巡らせてくれていた。それが良い方へ転び、足音をかき消された末吉は、最高のタイミングで仲間に加わる事となったのである。それゆえ、輝夜さんの喜びようといったらなかった。
「キャー末吉君――ッッ!!」
 分身の術と見まごうばかりの速度で立ち上がった輝夜さんは、まっしぐらに末吉のもとへ駆けて行った。そして優しく末吉を抱きかかえ、頬ずりしながらここに戻ってくる。その可愛がりっぷりに末吉は目蓋がてんで開いてない、極上の笑みになっていた。
 よって末吉も気づかなかった。
 ★まあ、あなたが末吉君なのね!★
 凛ちゃんにそう語り掛けられるまで、夜空にあるはずの星が一つ廊下に舞い降り、キラキラ輝いていた事を。
 なのに、
「お姉さんは、輝夜さんのパートナーさんかにゃ」
 廊下に降ろされ正座した末吉は、すぐさま凜ちゃんの核心を理解した。そう、それは核心に違いなかった。なぜなら、
 ★ええそうよ、なぜわかったの?★
「心の光と音が、輝夜さんにそっくりですにゃ。高貴なのに優しくて、ちょっぴり悲しげなのにホカホカのふわふわで、おいらはここにいていいんだって安心しきってしまうのですにゃ」
 末吉の猫特有の自由な心が、二人のありのままを捉えたからである。武蔵野の母神の愛娘に相応しい光を放ち、凜ちゃんは末吉にお願いした。 
 ★ありがとう末吉君。それでね末吉君、あなたを抱きしめたい気持ちを、輝夜がそろそろ我慢できなくなりそうなの。輝夜の相手を、しばらくお願いできるかな★
「もちろんですにゃ!」
 元気よく立ち上がった末吉は輝夜さんの膝に前足を乗せ、にゃ~と鳴いた。溺れかかった人が浮き輪に取りすがるように、それでいて最も壊れやすいものを身を挺して守るように、輝夜さんは末吉を抱きしめる。「こうしていると輝夜さんの悲しげな気配が少し弱まるから、おいらはここにいていいのにゃ」という末吉の想いを、僕にこっそり教えてくれた凛ちゃんが、
 ★眠留さん、聞いてください★
 ほぼ声として伝わる波長を投げかけてきた。成長著しい妹を助けられる喜びを胸に、聴く姿勢を整えて僕は凛ちゃんに体を向けた。
 ★私は自力で三次元世界に姿を現わせられるようになり、皆さんと親交を重ねていきたい。そのヒントを、眠留さんが持っている気がします。どうでしょうか★
「うん、あるよ。末吉の先輩の、小吉がね・・・」
 僕は話した。翔猫が人の姿を取るには二十年の修業を要するのに、小吉はそれを十五年で成し遂げた事。人の姿になって初めて可能になる修業もあるのに、人でいられる貴重な三十分を小吉は僕と昴のために使ってくれた事。その心根こそが修業期間を五年も縮めた理由だと、東日本の全権を託されている水晶が話していた事。水晶に翔の字をもらい、人でいる時は翔子と名乗っている翔子姉さんは、三翔家の歴史の中で最も美しい月晶である事。そして最後に、
「月晶は翔猫の正式名称で月鏘と読み方が同じだから、深い係わりが絶対あるはず」
 との推測を、僕は凛ちゃんに話したのだ。話の最中に本人の承諾を得たのだろう、ミーサが宙に映し出した小吉と翔子姉さんの3D映像を畏敬の眼差しで見つめていた凛ちゃんは、こういう事でしょうかと僕に問うた。
 ★創造主は自らを成長させる者へ助力を施すが、他者の成長を助ける者へは、より多くの助力を施す。眠留さん、合っていますか?★
「もちろんさ、合っているよ」
 そう返答しただけで感極まり口をつぐんだ僕に変わり、ミーサが余計なことやら余計なことやらを蛇足した。
「凛、お兄ちゃんは自分では言わないから私が言うね。お兄ちゃんは自分の成長より、大切な人が成長することを喜ぶの。凛の成長ぶりにこうして感激しているように、しょっちゅう感激しているお兄ちゃんは、八百六十年生きている大御所様によると、大御所様がこれまでに出会った最も成長著しい若者なんだって」
 ★それを疑う気持ちは毛頭ないけど、眠留さんが頭の中でミーサに言った『余計なことやら余計なことやらを蛇足した』は、正しくない日本語よね★
「おいらそれ知ってるにゃ。それは輝夜さんのお気に入りの言い回しで、眠留は輝夜さんが宇宙一好きだから、よく真似しているのにゃ」
「末吉君あのね、お兄ちゃんと輝夜さんは、好きあっているだけじゃないの」
 ★二人は心の中では、もう夫婦めおとなのよ★
「めおと? それは何かにゃ。何をする二人なのかにゃ」
「何をするって、それは・・・」
 ★それはもう、ねえ・・・★
「ちょっと待った! 末吉お前、わかってて言ってるだろ!」
「そんなこと無いにゃ。おいらは結婚してないから、夫婦については知らないのにゃ」
「めおとが夫婦だって、知ってるじゃないか!」
「ばれたにゃ。にゃはははは~~」
「「★あはははは~~★」」
 僕が混ざっていないのに、僕が混ざっているのと変わらない爆笑になったのは、輝夜さんも一緒に笑っていたからだ。それでも裏切られた気が少しもしないのが、僕と輝夜さんの仲なのだろう。ホントは仲ではなく、「それが夫婦めおとというものなのだろう」系の言葉が浮かんだのだけど、たとえ心の中でもそんな事を呟いたら赤面は免れず、するとそれをネタにされること必定だったので、咄嗟に表現を変えたのである。五人の時間がまだ続くならネタにされても構わないが、残り十分を切っている状況ではそうも行かない。僕は苦笑し頬を掻くにとどめ、それを受け皆も自然に笑いを収め、しかし今までで最も親密な雰囲気で、僕らは今後について話し合った。
「おいらが次に来るのは、九月最初の土日にゃ。でも天候が思わしくなく、狭山丘陵の猫達がここに来られなかったら、ずれる事もあるそうにゃ」
 末吉によると、月初めの土日を猫達の来訪日とし、それを毎月の行事にすることを、輝夜さんの祖父母と長老猫は話し合って決めたと言う。つまりそれは、僕らがここで過ごしている内に、皆は昼寝を終えていたという事。畑を堪能し帰って来た末吉の足を拭いてくれたのはおばあさんで、そのまま居間に向かい、決定が成された事と僕らがここにいる事を、末吉は聞いたのだそうだ。末吉が毎月来てくれることを凜ちゃんはとても喜び、猫達ともぜひ話したいと言っていた。僕は去年の夏の末吉を脳裏に描き、一歳くらいの猫は大人になり切っておらずヤンチャで可愛いよと告げると、楽しいイベントを待つように凛ちゃんはパッと煌めいた。その様子に、一日も早く自力で三次元世界に現れたいと願う凛ちゃんにとって、猫達の来訪はきっと励みになるはずと、ここにいる全員が思った。それを機に話題を新たにする案が出され、なら私がと、輝夜さんが末吉を抱いたまま凜ちゃんに語り掛けた。
「生命力の譲渡なら私でも簡単にできるから、次のパジャマパーティーに、凛ちゃんも出席してみる?」
 ★それは悪いけど、輝夜に申し訳なさ過ぎるけど、ミーサも来るのよね?★
「私もパジャマパーティーのメンバーだもん、当然出席するよ。美夜姉さんも、凜にすっごく会いたいって」
 ★美夜姉さんはさっきミーサの後ろで、温かくて優しくて柔らかな波長を送ってくれた人よね。う~ん会いたい、会いたいなあ・・・★
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