僕の名前は、猫将軍眠留

初山七月

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十六章

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 前期後期制を採用している研究学校は、学期の入れ替わる九月から十月にかけて五日間の休みを設ける。今年は九月末日が金曜日なので、二十八日から三十日までの水木金と、続く土日の計五日間を学期間休暇としていた。水木金の三日のうち全休を一日、半休を一日取る予定の僕にとって、新忍道部と撫子部の交流を夏休み中に行う決定が成されたのは、正直ありがたかったのである。
 しかしこの話し合いは、次の発言によって予想だにしなかった様相を帯びる事となった。杠葉さんが、こう打ち明けたのだ。
「今回の件ではっきりしました。私は、天狗になっていたのだと思います」と。

 当人の弁によると杠葉さんはついさっきまで、新忍道部を撫子部的にもてなせば、お礼になると考えていたらしい。抹茶を振る舞い、一緒に生け花をして、合奏を聴いてもらえば、謝意になると思っていたのだそうだ。けどそれは、とんだ上から目線だったと杠葉さんは苦しげに明かした。特権階級の撫子部員が特別扱いをすれば誰もが手放しで喜ぶという、慢心したお礼にすぎなかったと杠葉さんは気づいたそうなのである。それへ真っ先に意見を述べたのは、荒海さんだった。
「感謝会に引きずられたのもあるだろうから、厳しく考えすぎじゃないか」
 これは、さすが荒海さんと言うほかない。新忍道部のトップと撫子部のトップは、婚約関係にある。よって客観性を第一にするなら、真田さんは発言を控えた方が良いだろう。なら最初に口を開くべきは誰なのかを瞬時に見極め、かつ感謝会に引きずられたという情状酌量まで提示し、荒海さんは杠葉さんをまもったのである。感謝会は最高の情状酌量要素であると共に、話の道筋を修正する最高の話題でもあったから、荒海さんに続く人もきっと発言しやすかったはず。その役を担った千家さんが、実際そうだったみたいだしね。
「撫子部で自分がどれほど成長したかを親に見てもらうのが、感謝会の主旨。その感謝会に、部長の最後の務めとして臨んだのは、今日のことなの。引きずられて当然だと、私も思うよ」
「そうなのかな・・・」
 杠葉さんのその呟きを好機と捉えた美鈴と僕と荒海さんの三人で、畳みかけた。
「部長、琴の合奏を終えた時の講堂の様子を思い出して下さい。立派に成長した娘の姿に涙を流していなかった親御さんは、一人もいませんでした。あの感動を味わった直後に新忍道部へのお礼を考えて、全く別の方法を思いつく人は、そういないはずです。荒海さんと千家さんの仰るとおりだと、私は思います」
「杠葉さん、僕は去年の感謝会で、涙と鼻水がどうしても止まらず大変な苦労をしました。それは真田さんも同じだったと、荒海さんは仰っていました。そうですよね荒海さん」
「ああそうだった。おい真田、テメエは新忍道で全国優勝した時も涙ぐむ程度だったのに、今回も前回も涙と鼻水まみれになりやがって。まあ真田のあの顔は、一生もののネタになるから、あれを二度も拝めただけで新忍道部へのお礼は充分だって個人的には思うな」
「ずるいです荒海さん、僕も見たかったです!」「お兄ちゃんごめん、わたし見ちゃった」「ええっ、いいなあ」「あ~、教育AIに頼めば、見せてくれるんじゃないか?」「そうか、そうですよね、みんなも見たいよね!」「うん見たい!」「私も!」「という訳だ真田、本人の承諾があれば大丈夫だろうから、教育AIに今から連絡するぞ」「頼む、頼みます、どうかそのへんで勘弁してください~!」
 と言うや真田さんは、僕にまあまあ似た土下座をした。そう真田さんは、僕を真似て土下座したのである。だがそれは、しょせん付け焼刃でしかない。僕は真田さんの隣に移動し、土下座の講義をした。
「真田さん、おしいです。こんなふうにすると、もっと情けなくなりますよ」
「むっ、そうか。これでどうだ」
「おお、さすがの上達速度ですね。それでは一緒にやってみましょう」
「望むところだ、行くぞ眠留!」
「はい、真田さん!」
 てな具合に、二人並んでシンクロ土下座を始めた僕と真田さんに爆笑が沸き起こった。杠葉さんは最初こそキョトンとしていたが、体を張ってボケをかます真田さんの真意に気づいたのだろう。今は皆と一緒に、お腹を抱えて笑い転げていた。真田さんは満足げに頷き、豊かなバリトンボイスを台所に響かせた。
「琴乃、眠留はとことん素直なヤツでな。コイツには、周囲の奴らを素直にする力があるんだよ。琴乃も眠留に影響され、新忍道部のお礼に新たな見解を持ったのだと俺は思うぞ」
 真田さんはそう言って、僕の髪をクシャクシャにした。それは客観的には、まだまだ子供の自分を認識せざるを得ない光景なのだろうが、僕の心は誇りに満ちていた。懸命に育ててきた素直さを真田さんに褒められ、しかも僕の素直さが皆の役に立っていると認められたからだ。よって僕は胸をそびやかし、そんな僕に真田さんは破顔したのち、どことなく遠い目をした。
「琴乃は感謝会に引きずられたとする皆の意見に、俺も同意だ。しかし同時に、こうも思う。眠留が新忍道部にいなかったら、3DGプレイヤーとして慢心している自分を、俺は直視できなかったのではないかと」
 湖校チームは、銃に頼らずサタンを倒した史上初のチームとして、世界中の3DG関係者の注目を集めた。特に米国では、軍の特殊部隊がサタン戦を訓練の一環として取り入れている事もあり、3Dゲーム愛好家の枠を超えて称賛されていた。動画の再生回数も、それに伴う「イイネ寄付」も凄まじい事になっている現状に、真田さんは今はっきり、慢心している自分を認めたのである。ただ僕は、確信していた。それを認めた真田さんの心は今、誇りに満ち溢れているのだと。
「琴乃、人の心は、当人の制御を往々にして跳ね除ける。慢心すまいと念じても、心が勝手に慢心を生み、それに浮かれる自分を作ってしまうんだ。インターハイ後の俺の中には、そんな自分がい続けている。だから琴乃の中にそんな琴乃がいても、俺と同じだとしか、俺は思わないからな」
 それから暫く、言葉の紡がれない時間が続いた。けど真田さんの胸から顔を離した杠葉さんがパッと微笑むや、あっという間に結論へ至った。
「猫将軍君、男の人はどんなお礼を喜ぶのかな?」
「はい、育ち盛りの体育会系腹ペコ男子は、食べ物が一番嬉しいですね」
「なら、撫子部の六年生部員がお弁当を作って、新忍道部の練習場横の観覧席で、みんなでお昼ご飯を食べると言うのはどうかしら」
「杠葉さん、それ最高です!」
「うむ、それ以上は無いな」
「ああ、今から楽しみだぜ」
「良かった、じゃあそれで決まりね」
 その後、二年生校舎の調理実習室を明日から三日間使う許可を、教育AIが出してくれた。撫子部の六年生には料理上手な部員がいないので二日間を練習に充てたいと言う杠葉さんの願いを、教育AIが叶えてくれたのである。
 そんなやり取りが一段落着いたころ、千家さんと三人娘が会話にようやく加われるようになった。まだ目元を赤くしている四人を交え、杠葉さんがお弁当の献立候補を楽しげに挙げてゆく。
 それを見届けた僕ら男子三人組は、普段どおりの顔を作る義務からやっと解放されたとばかりに、ふにゃふにゃのゆるみきった顔に再びなったのだった。
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