僕の名前は、猫将軍眠留

初山七月

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十七章

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 帰りのHRで、選出責任者の那須さんが八人の髪飾り制作者を発表した。続いて実行委員長の智樹が挙手し、明後日の金曜四限に文化祭のHRを開く旨を告げる。髪飾り制作者発表の余波でクラスメイトは陽気な返答をしていたが、HRの準備不足を自覚している僕ら実行委員は、重々しい首肯を智樹に返した。
 
 それから約五時間後の、午後八時。
 香取さんが電話を掛けてきたのでハイ子を耳に当てるや、
「夏菜だけを悪者にできないから私も電話する!」
 との言葉を突然もらった。その直後、
「結ちょっと落ち着いて。猫将軍君いきなりゴメンね」
 通話切り替えの手順を踏まず、那須さんの声が耳朶を震わせた。おそらく香取さんは那須さんの承諾を得ず僕に電話するも、香取さんのハイ子に那須さんが慌てて顔を寄せたため、香取さんはハイ子を那須さんの口元に添えてあげたのだろう。そんな二人の様子に頬をほころばせていたのだけど、香取さんの悲痛な声が僕の横面をひっぱたいた。
「猫将軍君、女は計算高い生き物なの。私が現実を話すから!」
 脳の処理が追い付かずフリーズした僕の眼前に、グループ通話の2Dが表示される。無意識にOKをタップするなり、
「結、お願いだから落ち着いて。猫将軍君、少し話せる?」
 那須さんが穏やかな口調でそう尋ねてきた。それなのに、穏やかならぬ口調で「うん話せるよ」と返した自分に腹が立ち、僕はベッドの上に正座した。すると、
「う~ん、正座しちゃった?」
「そう言う結だって正座してるじゃない」
「そうね、私も楽にするから、猫将軍君も楽にしてね」
 優しい気遣いを二人は示してくれた。その声に計算が含まれていないことを確信できた自分に救われ、僕はあぐらをかいた。ハイ子を介し、二人の朗らかな気配が伝わって来る。そしてその気配のまま、今日のパワーランチで従業員の制服に女子がこだわった本当の理由を、香取さんは教えてくれた。
「お姫様になって彼氏とイチャイチャ写真を撮る子たちに丁寧語を使うのは嫌だなっていう気持ちが、私達にはあったの」と。

 現代日本において、プロの接客係はとても厚遇されている。その人達の技術を土台にしているからこそ、日本製の接客AIが世界市場を席巻していることを、この国の人達はきちんと理解しているのだ。よって高度な技術を有する接客係は敬意と高給を約束されていて、それが「彼氏とイチャイチャするお姫様」へのストレスを軽減してくれるが、文化祭に臨む二十組の女子に給料は発生しない。敬意はあっても給料のない環境で、「イチャイチャお姫様」を接客せねばならないのだ。しかし文化祭を頑張りたいという気持ちも、自分達は間違いなく持っている。その気持ちを活かして宝飾店のやり手従業員になり切れば、ストレスを軽減できるかもしれない。したがって短いタイトスカートが適切な気がするも、ビジネスライク過ぎる服装では、ティアラとドレスで着飾った同性に敗北感をどうしても覚えてしまう。だから、
「従業員の制服がドレスに負けないくらい素敵なら、お客様とフレンドリーな会話を交わせて、嫌な思いをあまりしないんじゃないかなって、言葉にも表情にも出さず私達は考えていたの」
 香取さんはそう、赤裸々に明かしてくれたのである。想定外すぎる内容に、僕はいかなる言葉も掛けられないでいた。すると、
「猫将軍君に、他の意見も聞かせてって私達が頼んだ時のこと、覚えてる?」
 那須さんが問いかけてきた。僕は大急ぎで記憶をさらった。
「最高級樹脂の話題が出る直前の、出来事だよね」
「うん、それ。猫将軍君にそう頼んだ私達、変じゃなかった?」
「ん~、妙に冷静な口調だなって、感じはしたかな」
 そうなのだ、女子の実行委員は基本的に姦しいのに、もとい基本的にいつも元気なのに、あの時だけは四人そろって妙に冷静だったのである。その冷静さを、エッチ認定の執行猶予とあの時は思ったが、香取さんの打ち明け話を知った今は、別の解釈が浮かび上がってくる。そんな僕の思考を、きっと察したのだろう。那須さんと香取さんは同時に深呼吸し、そして交互に話した。
「親しげな接客口調になれるのはロングスカートという秋吉さんの意見に、猫将軍君は何度も頷いていたから、私達の心内こころうちを見透かされているんじゃないかって、私は怖かったの」
「夏菜だけじゃなく、私も怖かった。しかもあのあと猫将軍君は、何と言うか・・・」
「半眼になった猫将軍君の周囲だけ、時間の流れが加速したような気が、私はした」
「私は、巨大な情報倉庫に猫将軍君がアクセスしたような感じかな」
「うん、結と同じ感じを私も抱いた。だから、ああ全部バレちゃった軽蔑されるだろうなって思ったんだけど」
「目を開けた猫将軍君は晴れ晴れした顔をしていて」
「最高級樹脂の話をアイといきなり始めて」
「とびきり素敵なラップスカートが映し出されて」
「そのうえスカーフ二十一枚とか言いだして」
「しかもスカーフを自分で作った方が女の子は楽しいんじゃないかとか言って」
「ああもうこの人はどうしてこう優しいのかって思ったら」
「慎みのタガが外れちゃって」
「アイが男子を相殺音壁で守らなければならないほど、はしゃいじゃったの」
 二人によるとパワーランチ後、教育AIは女の子たちにメールを送り、相殺音壁の件を伝えたと言う。よって秋吉さんと水谷さんを加えた女子四人は話し合い、男子六人にお詫びの電話をする決定をしたのだそうだ。それは大騒ぎしてしまったことへの謝罪だったが、香取さんがピンと来て那須さんを問い詰めたところ、イチャ付くカップル云々うんぬんもすべて僕に話すつもりだと那須さんは明かした。そのとたん香取さんはハイ子を取り出し僕に電話をかけ、驚いた那須さんは香取さんのハイ子に顔を寄せ・・・・と、二人の話は僕の知っている個所までやっと辿り着いたのである。僕は晴れやかどころか快晴の心意気で、切り込んだ。
「二人の話を聴いて僕が最初に伝えたいのは、軽蔑の気持ちなんて一切ないって事。二人なら信じてくれると思うけど、どうかな」
「アハハハ、電話越しでも判るよ。猫将軍君は今、すっごくニコニコしているよね。アハハハ」
「ちょっと結、そんなに笑ったら失礼よ。けど私も同じ。猫将軍君のにこにこ顔って、ほっとするよね」
「うんするする。夏菜覚えてるかな、一年のプレゼン委員で猫将軍君に駅まで送ってもらった、芹沢さんと青木さんの話」
「覚えてるよ。安全な空間にほっこり包まれて、嬉しいやら恥ずかしいやらだったって話よね」
「そうそれ。あれを聞いたときは想像つかなかったけど、今は少しわかるかな」
「私もわかる。でも猫将軍君心配しないで、芹沢さんや青木さん同様、私と結も詳細は訊かないから」
 音声のみ電話だろうと関係ないとばかりに、僕はバツの悪い顔で頭を掻いた。
「えっと、お昼のアレは新忍道で習得した技術だから、話せるよ」
「えっ!」「なっ!」「教えて!」「聴きたい!」
 僕は二人に、松果体の振動数と意識速度は比例する事、及び松果体の青色光は記憶を呼び覚ます助けになる事を説明した。一般的にはオカルトに属する話だが、極めて活発な松果体を持つ那須さんと、小説家の卵として霊験を日々鍛えている香取さんは、直感的に「正しい!」と理解したらしい。二人は大変な興味を示し、那須さんが映した脳の3D映像を基に、僕らは三十分ほど議論に没頭した。しかし楽しい時間ほど、速く過ぎるのがこの宇宙の法則。
「もっともっと話していたいけど、猫将軍君を寝不足にはできない」
「ねえ猫将軍君、この話を夏菜ともう少し掘り下げてみたいの。録音を聴いて、猫将軍君の言ってたことを文書にまとめてもいいかな?」
「もちろんいいけど、寝不足は美容の大敵だから、それだけは注意してね」
「わかった、掘り下げるのは止めにして寝る」
「ちょっと夏菜! う~んでも、美容を持ち出されたら諦めるしかないか」
「結は最近、駆け足で綺麗になっているから、寝不足はもったいないよ」
「すぐ寝ようほら寝よう直ちに寝よう!」
「「「アハハハ!」」」
 三人で笑い合い、就寝の挨拶をして電話を切る。
 僕は言葉にできない心地よさを胸に、眠りの世界へ旅立ったのだった。
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