僕の名前は、猫将軍眠留

初山七月

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十七章

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「「ぜひお願いします!」」
 一糸乱れず頭を下げた僕ら兄妹へ、「オマケも付けねばな」と北斗はさも楽しげに笑った。インストールしてもらったプログラムを調べると水分感知センサーのほかに、土鍋の温度を映像化するサーモグラフィーも確かに加えられていた。だが、加えられていたのはそれだけではなかった。いや、オマケという語彙自体が、そもそも適切ではなかったのだ。それを指摘すると、北斗は何でもないように言った。
「この家のHAIに頼み、最初から俺のハイ子と連動してお米を炊いてもらっている。研ぎ方の違いによる水分量の変化や温度の適正値等もデータ化して渡してあるから、後でゆっくり見るといい」
 そう、北斗が無料提供したのは、炊飯に関する全ての情報だったのである。これには祖父母も驚き姿勢を正したが、北斗は祖父母に先んじて腰を折った。
「小学三年生の頃からここで過ごさせてもらった、素晴らしい日々のせめてものお礼です。お気になさらないでください」
 貴公子たる完璧な所作でそう述べた北斗が、称賛を一身に集めたのは言うまでも無い。僕は親友としてその全てを記憶したが、
 ――ふむ、まことようできた若者じゃ
 水晶のこのテレパシーほど深く刻まれた記憶は、無かったのだった。
 
 夕飯を食べ終わるのとほぼ時を同じくして、土鍋のお米が炊きあがった。片づけを簡単に済ませ、寿司桶や団扇うちわやしゃもじ等々をテーブルの上に並べたところで、蒸らし時間も終了した。僕と美鈴は北斗の指導のもと、おにぎり道教室に臨んだ。
 今は家庭でも手袋をしておにぎりを作るのが一般的だが、寿司職人並みのクオリティーで手を洗浄し、かつ北斗は家族同然だったから、勉強も兼ね素手でお米に触れる事となった。北斗によって桶に移された三合のご飯が、湯気をもうもうと立ち昇らせている。鍋の形に盛り上がった炊きたてご飯を、しゃもじで斬るように北斗がほぐしてゆく。天然塩を振りかけ、斬り、また振りかけ、再度斬ったところで、ご飯の冷ましに入った。美鈴が感嘆の吐息を漏らす。眼で問いかけると、
「北斗さんと同レベルでお米の一粒一粒に塩をまんべんなく振りかけるには、私は少なくとも倍の四回が必要なの」
 2Dキーボードに十指を走らせ、美鈴は空中にそう書き出した。僕はもちろん祖父母と貴子さんも「お」の発音をすべく口の形を変えるも、声が発せられる事はなかった。大型の団扇の奏でる風切り音が、鼓膜を小気味よく震わせたからだ。北斗は桶を左回転させつつ団扇で風を送り、そして団扇を置き桶を両手で掴みフライパンのように動かして、ご飯を綺麗にひっくり返した。感嘆の声が、今度ばかりは台所に響いた。
 シンクに行き手を水洗いしてきた北斗は左の掌にご飯を乗せ、明太子をご飯で包み、おにぎりを作り始めた。それは譬えるなら、すぐ破れる水風船を両手の中でフワリフワリと遊ばせているような、そんな印象を抱かずにはいられない握り方だった。ご飯が丸い形状を取るにつれ指に込める力を徐々に増してゆき、角のない丸い形のおにぎりが完成した。そう、この道を究めんとする北斗が現時点での正解としているのは、三角形ではない、丸い形のおにぎりだったのである。
 お手本の二回目として、北斗は二つ目を作り始めた。すると自動的に、音声ガイダンスとCG映像がそれに加わった。北斗に頼まれたのだろう、美夜さんがガイダンスを引き受けてくれていたので、台所に和やかな気配が降りた。すかさず、
「この和やかな心を織り込んだからこそ、丸い形になったのです」
 との説明に合わせ、求道者の顔を終始保っていた北斗がお笑い芸人ヨロシクおどけてニッコリ笑ったものだから、台所は笑いの噴火状態になった。北斗が文化祭で、鮪の解体ショーならぬ「おにぎり活造いけづくりショー」的なものを開催し大ウケしている様子が脳裏をかすめた。
 お手本の二回目を、目を皿にして注視していた僕と美鈴は、おにぎり作りに移った。両手の中で水風船をフワリフワリと遊ばせる感触をイメージしつつ、見よう見まねでおにぎりを結んでゆく。和やかな心を織り込み丸い形に仕上げることを選んだ北斗の気持ちが、何となくわかった気がした。
 そうこうする内、少し大きめの計六個のおにぎりが完成した。内訳は北斗さくが四個、僕と美鈴作が一個ずつだ。夕飯を食べ終えていても、育ち盛りの僕と美鈴にとって、絶品おにぎり一個など無に等しい量でしかない。北斗のおにぎりを僕と美鈴は一個ずつ、祖父母と貴子さんは半分ずつ、そして残った半分を更に半分にして、水晶と小吉が食べた。小吉は最近、料理に関心を示していたのである。
「北斗さん、昴お姉ちゃんのおにぎりより美味しいおにぎりを、私は今日初めて食べました。それと、少し硬めに炊いたお米と明太子の粒々は、相性がこうも良いんですね!」
 もう待てませんと言ったていで口を抑えつつ感想を述べた美鈴に北斗は頬をほころばせるも、昴より美味しいという個所は否定した。しかし祖父が、
 ――雨垂れ石を穿つ
 との言葉を贈るや北斗は姿勢を正し、雨垂れの志を生涯持ち続けることを誓った。本来ならそんな北斗にメチャクチャ感動したはずだが、中吉に化けた水晶と大吉がテレパシーで熱心に話し合っていたのが気になり、親友に感動するという宝物のような時間を僕は逸してしまった。まあ僕の代わりに美鈴がいたく心を動かされていたようだから、全然いいんだけどね。
 その後、僕と美鈴のおにぎりをそれぞれ六つに分けて皆で食べ比べたところ、美味しさの差以外に男女の差のようなものがあるとの意見が複数上がった。週一で開かれる夕食会には、女の子たちが拵えてくれたおにぎりが頻繁に出される。今日の美鈴のおにぎりもそれと同系統だったが、北斗と僕のおにぎりは、系統がほんの僅か異なる気がしたのである。だがその差を言語化しようとすると皆一様に眉間に皺をよせ考え込み、そしてそれは北斗も同様だったらしく、というか今日こそは謎が解けるかもしれないと秘かに期待していたという事を、おにぎり道の創始者は包み隠さず明かした。
「たとえば同じバイオリンでも、プロのバイオリニストが弾いた時と素人が弾いた時では、まったく異なる音になります。しかしそれとは別に、性別によって音色が異なることも昔から広く知られていました。AIによる厳密な測定でも、女性バイオリニストの方が柔らかな音色になるのは、証明されていますね」
 ただこれは、男女の肉体的差異の反映であることが実験により判明していた。バイオリニストの体は、バイオリンの最も近くに置かれた音を反響させる物体、つまり反響板と言える。よってその反響板の柔らかさの違いが、音色の柔らかさの差を生み出していると、科学的に解明されているのだ。北斗は当初、おにぎりの風味の違いもこれに類すると推測していた。一般的に男性の掌は女性より硬く、また筋肉量も男性の方が多いため、それがご飯に加えられる圧力の違いになっていると推測していたのだ。しかし昴に協力してもらい様々なデータを取り解析したところ、それは誤りであるとの結論に至った。圧力以外の未知の要素によって風味の差が生じていると、データがはっきり物語っていたそうなのである。それら一連の事を、北斗は潔く明かした。だから僕は恥ずかしさをかなぐり捨て、北斗にこう問いかけた。
「オカルトじみているけど、最高峰ピアニストの中には演奏中にピアノの周波数を変えてしまう人がいるって話、聞いたことあるかな?」
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