僕の名前は、猫将軍眠留

初山七月

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十八章

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 真山と一緒に社務所の玄関を潜る。玄関正面の廊下を東へ15メートルほど進んだ場所に階段があり、地下一階に降りる。続いて南へ5メートル歩くと分厚い扉があり、そこを自動開閉してもらった先が、文化財シェルターの地下一階だ。地下と言っても、北を除く三方の天井ぎわに細長い窓が設けられていて、今も南と西の窓から日差しが降り注いでいるから、閉塞感はほぼないと言える。横に細長いこの窓は、「直射日光がないと子供を安心して入り浸らせてあげられない」という大伯母の鶴の一声で作られたのだと、祖父は懐かしげに話していた。
 ちなみに大伯母曰く、二十一世紀中に富士山の噴火はないと言う。それは喜ばしいけど、宇宙人も未来人も異世界人も現れないらしく、こっちは残念な限りだ。大規模な核戦争もないが、それは良い未来を選んだから。本来なら前世紀の冷戦時に部分的核戦争が高確率で起こり、聖書の黙示録も核戦争を前提に書かれているそうだが、人類は低確率を跳ね除けこの未来を選択したと言う。また「善なる量子AIが誕生すれば獣の数字も回避可能」と大伯母は予言していたから、僕らの世界ではそれも回避できたのだろう。先月ちらりと見た別の並行世界では、権力者が善なる量子AIの誕生を阻止したらしいけど、大丈夫かな・・・
 まあ、それはさて置き。
 地下室に足を踏み入れた真山に驚いた様子は一切無く、正直言うと僕は少しがっかりした。だが本棚に近づき、並べられた漫画を見つめつつ横へゆっくり移動するにつれ、真山は白皙の美貌を驚きと感嘆に染めていった。その変化の仕組みを、低スペック脳に左右されず確信できたのは、真山の特殊視力を知る唯一の親友が僕だからなのだろう。いにしえの図書館を歩くが如く、静かに落ち着いて歩を進めながら、真山は僕の確信をなぞるように言葉を紡いでいった。
「繰り返し読まれた形跡と、その都度大切に扱われた形跡が、どの漫画にも残されている。大好きだから幾度も読み返され、そして作品と作者に敬意を抱いているから長年大切に扱われてきた、八千冊もの本。眠留、ここは飛び切り素敵な場所だよ」
 真山は、人と物の想いと生命力を視覚化する、特殊視力を持っている。それが八千冊の漫画を、八千という単なる数値として認識させたため、真山はさほど心を動かさなかった。だがその一冊一冊に刻まれた、慈しみ愛されてきた歴史は、真山の心を大いに動かしたのである。そんな素敵なヤツに秘密を打ち明けられ、そして打ち明けられていたお陰で今こうして想いを共有できたことに、
「うわ~ん、真山~~」
 僕は開けっぴろげに泣いた。それは偽らざる真情だったけど真山が珍しくオロオロするので、もったいないと思いつつも僕は泣くのを堪えようとした。
 が、それが成されることは無かった。なぜなら、
「泣くって正直に言ったら卑怯と罵られた私の立場は? ねえ私の立場は??」
「さっちゃん仕方ないよ、諦めましょう」
 という、面白すぎる会話が耳に飛び込んできたからである。僕は性悪にも泣き声を殊更大きくし、オロオロする真山に介抱してもらった。

 地下一階の蔵書は自由に読めても、神社外に持ち出したことはかつて一度もない。真山なら初の例外にしてもいいかなと思う半面、寮生じゃなかったら即決できたのになあと、逡巡していたのも事実だった。
 という胸に秘した悩みを、秘したままにもかかわらず真山は完璧に解決してしまった。特殊視力の成せるわざなのか、それとも超絶イケメン故のことなのか定かでないが、件の自転車漫画三十巻弱を僕が指し示すや、
「隅に置いてるバックを四つ持ってくるよ。眠留の部屋で読んでいいかい」
 真山はそう、さらりと言ってのけたのである。
「か、顔に出てたかな?」「出てなくても出てるのと変わらない仲だって、言って欲しいのかい?」「いやあのその」「ははは、さあ運んじゃおうか」
 なんて、真山ファンクラブの女の子たちに絶対聞かれてはならない気がビシビシする会話を交わしながら、僕らは持ち出し用バックに大量の漫画を入れていった。いや、それは正確ではない。僕が漫画をバックに入れる様子を真摯に見つめたのち、僕の二倍の時間を費やし、僕と同じ作業を真山はしているのだ。漫画が痛まぬよう、漫画に込められた想いに失礼のないよう、丁寧に丁寧に手を動かす真山の背後で、写真でしか見たことのない大伯母が満足げに微笑んでいる気が、僕はなんとなくした。
 バックを手に地下室を出て、祖父母のいる事務室へ向かう。祖父は、蔵書は儂のものだなどと器の小さいことを言う人ではないが、それと筋を通すのはまったく別の話。
「じいちゃん、漫画借りるね」
 と声を掛けた僕に続き、真山が厳粛に腰を折った。
「眠留の部屋で大切に読ませて頂きます」
 祖父母は、春の陽だまりのような笑顔で頷いていた。
 
 僕の部屋に着き、ちゃぶ台の上に漫画を並べてからも、真山のイケメンぶりは光りまくっていた。
「本を汚したくないんだ。先に飲み物をねだっていいかい?」 
 茶目っ気たっぷりに、そう頼んできたのである。親近感と誠実さを両立させたイケメンの頼みに、否などあろうはずがない。台所へ行き、麦茶を飲みお菓子をつまんで、歓談の時間をしばし設けた。話題の一環として、
「真山が漫画を読んでいる間に、文化祭がらみのテストを受けていいかな」
 そう尋ねてみる。興味を示したので大略を話すと、真山は快く了承してくれた。時間も丁度良いという事になり、僕らは台所を後にした。
 
 自室に戻り、硬いクッションと柔らかいクッションを真山に放り投げる。「寝転んで読んでも全然かまわない。その二つは、枕にでも背もたれにでも自由に使ってね」 クッションを楽しげにポンポン叩く真山は、なんだか妙に可愛かった。
 ちゃぶ台で漫画を読み始めた真山を背中に感じつつ、僕は机に向かい、基礎塗装技術に関するテストを受けた。結果は、辛うじて満点を取れたといったところ。辛うじてとした理由は、苦労した問題が複数あったからだ。特に一つはテスト終了寸前まで悩みまくり、山を張ったら当たっただけなので、理解には程遠いと判断せねばならない。僕はテストの復習に励み、ふと気づくと、夕飯の準備を始める午後五時まで残り十数分になっていた。その十数分を利用し、文化祭関連のメール着信覧を覗いてみる。髪飾り製作者に那須さんを加えた、九人分のテスト結果が送られてきていた。満点が五人、四人も95%以上の正解率という好結果に胸をなでおろし、僕を加えた十人分の成績を千家さんに送り、その旨を伝えるメールを九人に送信した。一仕事終え、さあ次は夕飯だと背伸びしたところで、
「ッッ!!」
 顔を急いで後ろへ向けた。
 二時間前と同じ場所にほぼ同じ姿勢で座る、真山が視界に飛び込んできた。クッションも最後に見た状態のまま床の上に置かれているから、使われることは無かったのだろう。ただ二時間前とは様相の異なるものが二つあり、うち一つはちゃぶ台に置かれた漫画だった。さっきは真山の右手の右側に整然と積まれていたが、今は六冊が左手の左側へ移動している。右側の未読分は表紙を上に、左側の既読分は表紙を下に積まれており、それは漫画の一気読みに慣れている僕がよく使う手法で真山がそれをしていることに違和感を覚えるも、それに関しては「まあ真山だから」で片づける事にした。
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