僕の名前は、猫将軍眠留

初山七月

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十九章

コスモス畑、1

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 午前中に行われた新忍道の部活は、いつになく気合いが入った。そのきっかけとなったのは、自主練が始まるなり加藤さんと緑川さんと森口さんがやって来て、飛び込み受け身を教えて欲しいと全部員の前で堂々と言ったことだった。この先輩方を同じ男として心底尊敬していても、それでも後輩に教えを請うことに先輩方が羞恥を微塵も抱いていないなどと、僕は考えていない。それは先輩方の胸の奥深くに、確かに存在している。だがそれを遥かに超える、
 ――竹中さんと菊池さんの足を引っ張りたくない!
 との心の叫びに、この先輩方は全身全霊で向き合う決意をした。六年生になった竹中さんと菊池さんが最後のインハイに挑む際、五年生の自分達の少なくとも一人は、チームメイトとして戦闘に参加せねばならない。今年のインハイで五年の黛さんがチームメイトの役目をきっちり果たしたように、自分達も絶対それを成し遂げてみせる。最上級生の足を引っ張るなど、死んでも出来ない。それに比べたら、後輩に教えを請う羞恥などないも同然。心の奥深くにあったとしても、無に等しいそんなもの、どうでもいいのだ。その決意に燃え、加藤さんと緑川さんと森口さんは、僕のもとにやって来たのである。
 それを、先輩方の六つの瞳にありありと観た僕は、いつになく気合いを入れて自主練時間を過ごした。飛び込み受け身の要諦は、進行方向へ思いっきり跳ぶことにある。これは根性論では無く、また「勢いよく飛び込まないとこの受け身にならない」というそもそも論でもない。それを心掛けないとこの受け身は、かえって危険なのだ。恐怖に負けて真横ではなく斜め下へ飛び込むと、斜め下の力が重力に加わり、体はより強く地面に叩きつけられる事になる。速度を出して走っているなら尚更だろう。よって真横へ身を躍らせ、下向きの力をこれ以上増やさぬよう心掛けるのだ。
 先輩方はその点、まこと有利な心理状況にいた。恐怖に負けて斜め下へ飛び込んでしまうような事を、今の先輩方は決してしないからね。然るに僕もいつになく気合いが入り、するとそれが二年生以下の全員に飛び火して、五人も僕らに加わる事となった。九人の漢達が燃え上がらせる闘気のせいで、透水ゴムスペースはあたかも真夏に戻ったかのようになったそうだ。
 と、エイミィはコスモス畑を望むベンチで語った。
 僕は隣に座るエイミィへ、体ごと向き直る。
「エイミィにそう言ってもらえて、僕は嬉しくて堪らない。けどその一方で、無理をしているんじゃないかな、とも思えてしまう。その話題を振りまくった僕が言うのもナンだけど、狭山湖畔公園に来てからエイミィが口にした90%以上は、新忍道部の話だからさ」
 そう僕とエイミィは、十カ月越しの約束を果たすべく、狭山湖畔公園内にあるコスモス畑を二人で訪れていたのだった。

 十カ月前、エイミィは不安定な状態にいた。去年の十一月末日、エイミィは実技棟の研究室で、校則違反を促したと判断されかねない発言をした。幸い適切な対応ができ、咲耶さんもその発言を問題視することは無かったが、不安定なエイミィを安心させるべく、
 ――来年の学期間休暇に、二人でコスモスを見に行こう
 僕はそう提案した。エイミィはとても喜んでくれて、それは僕らの約束となった。台風シーズンに重なることもあり少し心配したが、去年と同じく学期間休暇は終始好天に恵まれ、僕らは二人連れ立ってコスモス畑にやって来たのである。
 といっても、
「・・・眠留さん」
「うん、なんだいエイミィ」
「その眼鏡を掛けていて、恥ずかしくないですか?」
「へ、恥ずかしい? う~ん、エイミィの3Dを映してくれるこの眼鏡を、ありがたいと感じこそすれ、恥ずかしいなんて僕はこれっぽっちも思わないよ」
 量子AIのエイミィと、肩を並べて実際にここまで歩いて来たのでは、ないんだけどね。
 今僕が掛けている眼鏡は、3D映像や情報を視界に重ねて映し出してくれる優れ物。実際これは非常に優秀なアイデア商品で、例えば3D映像機器を設置していない家屋に住むおじいさんとおばあさんがこの眼鏡を掛ければ、遠い場所で暮らす孫の立体映像を、部屋にいるかのように映し出してくれる。この眼鏡は屋外でも力を発揮し、古代ローマの史跡で使えば二千年前の威容を取り戻した建築物と、そこを行き交うローマ人達の様子を、現代の風景に重ねて見ることが出来る。指定の場所で立ち止まれば現代の風景は消え、まるで二千年前のローマにいるかのような光景が眼鏡越しに広がることになるのだ。観光名所以外の場所でももちろん利用でき、公園で使えばペットの3D犬と散歩できるし、ちょっと値は張るが相殺音壁付きの眼鏡なら、公園利用者を気にせず3D犬との会話を楽しむことも可能。この狭山湖畔公園にも、ほころばせた顔を地面に向けて楽しげに口を動かす人達が・・・・
「あっ!」
 思わず声を上げた。
 エイミィの問いかけの意味を、ようやく理解できたのだ。
 頭部に血液が一気に集まり、顔も耳もみるみる真っ赤になってゆく。
 そうだった、僕は完全に失念していた。
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