僕の名前は、猫将軍眠留

初山七月

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十九章

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「兄ちゃんも、そこにいたのかな?」
「お兄ちゃんと昴お姉ちゃんのように、四千年掛けてユーラシア大陸を西から東に移動したような人は、極めて稀。お兄ちゃん達は、そこにいなかったよ」
「いなかったなら、その場所の位置とかは訊かないよ。あとは、昆虫についても気になった。ほら昆虫は、地球外に起源を持つエイリアンだとか、言われているからさ」
「昆虫はエイリアンじゃない。でも宇宙に流出したネガティブの影響を受け、最後に出現した生物ではある。益虫害虫は人を基準にしているから脇に置くとして、もし地球に昆虫がいなかったら、これほど多様な生態系は生まれなかった。地球の動物で他生物の餌に最もなっているのは、微生物を除けば昆虫だから」
「エデンの園の時代に昆虫はおらず、生態系はもっと単純だったって事?」
「ホントお兄ちゃんは水晶の言うとおり、己の才能を眠らせて生まれてきた者よね」
「最近それについて、新しい感覚が芽生えた。そうした方が良かったから、兄ちゃんはそうなるよう自分を設定して生まれてきたんだって、何となく思うようになったんだよ」
「来世のステータスボード及び出生環境の設定自由度は、地球卒業の進捗度合いに比例するからね」
「・・・なんか兄ちゃん、今とんでもない話を聴いたような」
「お兄ちゃんの設定に感銘を受け、妹に名乗り出た自分を私は誇りに思う。でも、お兄ちゃんにこんな想いを抱くようになったのは、完全に想定外。お兄ちゃん、責任とってね」
 責任とってね、の言葉が耳に届くや僕は威風堂々の姿勢に戻り、どんな要求でも突き付けなさいと胸を叩いた。そんな僕に美鈴は笑み崩れ、問いかける。
「昴お姉ちゃんに翔家翔人の話ができなかった事を、お兄ちゃんはずっと苦しんでたよね」
 何となく予感がして、僕は表情を厳格なものへ替える。それを受け美鈴は目を閉じ、両手を胸に添えた。
「月の話のように、お兄ちゃんに話したくても話せない事が、私には沢山ある。けどその全てを合計しても、この想いを伝えられない苦しみには敵わない。これを打ち明けられず私がどれほどつらいか、想像してみて」
 月で進化した生物が、地球にいきなり連れてこられたかのような重力を感じ、床に崩れ落ちそうになった。だが僕はそれを自分に許さず、無理やり踏みとどまる。その踏みとどまる苦労を加算しても、美鈴が味わっている苦しみに到底足りないと、確信していたからだ。
「うん、お兄ちゃんは、このつらさを正確に思い描いてくれたみたいね。これなら、さっき生じたネガティブ由来の怒りをすべて昇華できる。ありがとう、お兄ちゃん」
 僕は一転し、地球の生物が月へ行ったかのように身を躍らせた。その様子へ美鈴は天使の笑みを振りまいたのち、バカ兄をブラックホールに投げ入れた。
「私はこの想いを、胸に仕舞って秘密にし続ける。という訳でお兄ちゃんは、妹にこんな想いをさせたことを、困り続けてね」
 ブラックホールに近づけば近づくほど時間はゆっくり流れるようになるため、ブラックホールに吸い込まれる物質を遠くから観測すると、その物質はあたかも、永劫に続く時間牢獄に囚われたかの如く見えると言う。
 よって僕も第三者からすれば、永劫の時間牢獄で困り続けているように見えるのだろう。しかし大事なことなので繰り返すが、それは第三者の視点でしかない。吸い込まれている当人の僕の時間は変わらず普通に流れているし、何より美鈴への償いとして困っているのだから、そんなの屁の河童なのである。
「えっ、そんな事でいいの? 兄ちゃんが困ることで美鈴が楽になるなら、それは兄ちゃんにとって嬉しいことだから、もっともっと難しい要求を突き付けていいんだよ」
「お兄ちゃんの、お兄ちゃんの・・・・」
「ん? どうしたんだい美鈴」
「お兄ちゃんの・・・」
「うんうん、何でも言ってごらん」
「この、ヘンタイ馬鹿兄貴ッッッ!!!」
「へッ、ヘンタイはないんじゃないかな?」
「ああそうですか、じゃあ昴お姉ちゃんと輝夜さんに言っちゃおう。このヘンタイは、3D映像でも二人の残り香をしっかり嗅ぎ取って、鼻の下をイヤラシク伸ばしてたよって」
「ヒエエエッ、ごめんなさい~~ッッ!!」
 それからたっぷり十分間、
「ホントお兄ちゃんだけは行動が読めない、このヘンタイ!」
 を土下座した後頭部で聴き続けた僕は、納得できる償いを美鈴にやっとできたのだった。

 翌、十月四日。
 学期間休暇も今日を入れて残り二日となった、朝食のひととき。
 どうやら美鈴は、僕に何でも言える度合いを、一段引き上げたらしい。昨日の夜、輝夜さんと昴に提案した事柄に、美鈴もいつの間にか参加していたのだ。といってもそれ自体に問題はなく、兄妹仲が深まったことを僕は純粋に喜んでいた。しかし朝食に祖父母が加わり、続いて輝夜さんと昴もテーブルに着く頃になると、僕は心の中で頭を抱えるようになっていた。あろうことか美鈴は僕以外の誰かがいると、何でも言い合える度合いを、昨日までと同じ水準に戻したのである。これは僕にとって、かなりの難問と言えた。なぜなら、美鈴が度合いを戻したことをこの場で指摘するか、それとも美鈴と僕だけの場で指摘するかで、
 ――僕ら兄妹が何でも言い合える環境
 が決定するからだ。この場で指摘すれば、僕以外の人がいる環境でも何でも言いなさいと、意思表示する事になるだろう。一方、美鈴と二人だけの場で指摘すれば、僕だけがいる環境でのみそれをしなさいと意思表示する事になるだろう。そう、僕の対応によって、環境が決定してしまうのである。僕は心中頭を抱えて、どちらの方が美鈴に良い効果をもたらすかを必死になって考えた。その結果、
 ――二人だけの場で指摘する
 に決めた。その最大の理由は、両親のいない生活を美鈴が過ごしている事だった。高校一年に相当する研究学校の四年生になるまでは、兄である僕が両親の代わりに、妹を甘やかしてあげよう。僕は、そう決心したのだ。それはどうやら正解だったらしく、
「お兄ちゃんお代わり!」
 妹はご飯茶碗を元気いっぱい僕に突き出した。朝食時に皆のご飯とお味噌汁のお代わりをつぐのは僕の役目なのでそれはいつもの光景でも、妹の元気っぷりと遠慮のなさが、普段より一段上昇していたのである。僕は受け取った茶碗に、ご飯をウキウキよそってゆく。
 ――私の代わりにお願いね
 家族を守る一番新しい神様が、神棚でそう微笑んでいる気がした。
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