僕の名前は、猫将軍眠留

初山七月

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二十一章

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 二年生以下で初めてオメガの戦士が現れたことは、二年生校舎と一年生校舎の双方に、なんとニュース速報として流れたらしい。二合に勝利した証であるメガの戦士の勲章と、三合に勝利した証であるギガの戦士の勲章を胸につけ、誇らしげに廊下を闊歩する男子生徒が大勢いたことは知っていたが、速報扱いになる程だとは正直思っていなかった。けど同じ男として気持ちはわかるし、何より六人揃って勝利できたことがハチャメチャ嬉しかったから、僕は喜び勇んで勲章の贈呈式に臨んだ。
 もはや名曲と化した前世紀のRPGのテーマ曲が盛大に演奏されるなか、贈呈式は執り行われた。対象者が複数いる場合、右から学年順、組順、姓名の五十音順の横一列に並ぶのが、この式の決まり。それは順当と納得しつつも、最も高身長の真山と三番目に背の高い智樹に挟まれてしまった僕は、できれば背の順に並ばせてもらいたかったなあなどと一人いじいじ考えていた。
 しかしそれも、僕の番になるや霧散した。名前を呼ばれ一歩前に進み出て、そして胸に勲章を付けてもらうのは、やはり問答無用で嬉しかったのである。六人全員の胸に勲章が輝いたところで、タイミングを合わせ回れ右をし、合計十二本の腕を高々と掲げる。どうしてこんなに人が集まったのかな、と首を傾げざるを得ない数百人の生徒達が、拍手と歓声を贈ってくれた。
 それから六人でビニールシートの上に寝っ転がり、戦いを振り返った。これはあらかじめ決まっていた事だったから、僕は話題に「絶品おにぎりの摂取限界は別格だよね」や「周囲の応援に背中を押してもらえたよね」を用意していて、そんな感じの語り合いになると心底思っていたのだけど、蓋を開けたら違った。全員が、「眠留のお陰だ」と口を揃えたのである。そんな事ないってと反射的に口走った僕を完全無視し、皆が勝利要因を炙り出してゆく。その結果、以下の三つが要因として決定した。

 一.この六人は各自が満腹になる量を、夕食会を通じて正確に把握していた。
 二.昨日の三合おにぎりでは最も空腹の激しかった僕に、最も余裕があった。
 三.その余裕ぶりから、極限の空腹下なら自分も四合を完食可能と確信できた。

 この三つが決まった際、僕は黙って空を見上げていた。目から液体が零れ落ちるのを阻止すべく盛んに瞬きしていたから、ホント言うと空などてんで見ていなかったのだけど、そんな僕に気づいていない演技を、五人の漢達は阿吽の呼吸でいとも容易くしてくれた。その慣れっぷりが嬉しくて液体が一時的に増加するも、高速瞬きを続けた甲斐あって、数秒後には空を落ち着いて見上げられるようになっていた。その時、やっと気づいたのである。夕暮れの気配が僅かに漂い始めた秋空のいと高き場所を、
 ―― 龍に酷似した巨大な筋雲
 が飛翔している事を。
 翔人にとって、雲の種類とその高度の見極めは、基本技術の一つと言える。筋雲は通常の雲の中で最も高所に形成され、最高値は1万3000メートルだ。あの筋雲には最高値の気配が濃厚にあり、また龍の髭の部分が僕の丁度真上に差し掛かっていて、頭を45度傾斜させると尻尾の先端が視界の真ん中に来ることから、龍の全長は1万3000メートルになるのだろう。僕は時間を忘れてその龍を眺め、ふと気づくと五人も口をつぐみ、上空の巨龍を仰ぎ見ているようだった。そんな僕のズボンのポケットを、
 ビーン ビーン ビーン
 ハイ子の着信音が震わせる。それに合わせて龍が、
 ―― 娘を頼む
 と語り掛けてきた気がした。僕は立ち上がり、ハイ子を耳に当てる。秋吉さんの、
「千家さんが連絡してくれた。十分後に到着するって!」
 との声を聞くや、「着替えたらすぐ行く」と伝え電話を切った。そして真上を見つめて、龍に誓った。
「娘さんの件、任せてください」と。

 二度目の全衣服着替えを済ませ、更衣室を後にする。僕のような全交換ではないにせよ、洗い立てのワイシャツに着替えてぞろぞろ付いてくる男子五人に振り返り、美鈴級の美女が来店する旨を伝えた。その途端、
「翔子さんは龍の娘さんだったのか!」
 京馬が色々と複雑な勘違いをしてくれた。まあでも元をただせば、全長13キロの龍に僕が口頭で誓ってしまったのが原因。加えて「龍の娘さん」云々時に、僕の両肩を咄嗟に掴もうとするも新品のシャツに皺を付けてしまうと気づくや、直前で慌てて腕を引っ込めるような漢に、勘違い程度で悪感情など抱かない。僕は京馬に、千家さんが荒海さんと一緒に来店されることを伝えた。京馬は一瞬落胆したが、素顔の千家さんと新忍道部員が神社の境内で写真を撮った事や、千家さんの心の傷等々について思い出したのだろう。階段を上りながら、京馬は腕を目にきつく押し当てていた。視界を完全に塞いでしまった京馬が階段を安全に上れるよう、みんなアレコレ世話を焼いている。そうする事で、千家さんの接客のために精神集中を始めた僕を、そっとしておいてくれているのだ。京馬も含めた全員へ、僕は胸の中で手を合わせた。
 舞踏会写真店の前には、非番のクラスメイトが全員集まっていた。「猫将軍頼むぞ!」「私の代わりにお願い!」と口々に懇願する皆へ、僕は力強く首肯する。それでも懇願は止まず、その必死さが嬉しくて、心身から硬さがみるみる取れていった。それが皆へ伝播し、柔和な気配が場に自然と降りて来た、まさにその時。
「「「「ッッッ!!!」」」」
 僕以外のクラスメイト全員が一斉に同じ方角へ顔を向けた。
 みんな気づいたのである
 僕らのいる渡り廊下の北端とは逆方向の南端に、音のない空間が近づいている事を。
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