僕の名前は、猫将軍眠留

初山七月

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二十一章

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「そうなんだ。みんな知ってて、黙ってたんだね・・・」
 それを憐憫増加の武器として使ってみた。北斗が絡んでいるならこの程度はシミュレーション済に違いないが、アイツらは基本的にメチャクチャ優しいから、僕が落ち込んでいれば罪悪感に駆られてドンドン話してくれるはず。僕が凹んでいるのは演技じゃないし、これくらいの駆け引きは酌量内なんじゃないかな。
 案の定、慌てた智樹は「ここだけの話な」を連発し、クラブについてベラベラ話してくれた。バラし過ぎて後でコイツが落ち込んだら、慰めてあげる事にしよう。
 その智樹によると、僕のクラブは去年のクリスマス会の直後に結成されたと言う。創設メンバーは、新里さんを代表とする三人。女子には暗黙の了解があり、正式な彼女のいる男子のファンクラブを立ち上げる際は、その旨を彼女に絶対伝えなければならないらしい。それだけでも冷や汗ものなのに、僕はそれだけでは不十分な特殊ケースだった。新里さん達は輝夜さんと昴の双方へ同時にメールし、二人にメールを送った理由をきちんと説明して、二人に好印象を持ってもらうよう努めたそうなのである。冷や汗ものどころではない、本物の特大の冷や汗が、背中を流れていった。
 メールの時点で好印象を抱かれていた新里さん達は、二人と実際に会い、それを益々高めることに成功したと言う。よって「私達も応援する」との言葉付きで、クラブ創設を快諾されたそうだ。バレンタインデーを経て新里さん達とメル友になったとき、ぞんざいに接したら怒るからねと散々脅されたのは、そういう理由だったんだなあ。
 話は前後するが、クラブ創設の速報が女子掲示板に流れるや、那須さんと白鳥さんも会員になったと言う。同席している那須さんはまだしも白鳥さんの情報をバラしちゃっていいのか不安になるも、白鳥さんは夕食会メンバーに全権委任しているとの事だった。ふと脳裏を、久保田の顔がかすめる。なあ久保田、こういうのも含めて、お前は夕食会の一員になるのを断ったのか?
 チョコをくれた剣道部の三人と料理教室の二人は、今のところ会員ではないらしい。ただここで、智樹が不自然に口を閉じた。丁度その時、香取さんが意味深な眼差しを僕の右隣に向けていた事から察するに、智樹は女性陣に許可された範囲を逸脱せぬよう注意しているのだろう。冷や汗を通り越しブリザードが背中に吹き付けたのを、僕ははっきり感じた。
 那須さんと白鳥さんの加入後、会員数は十カ月近く変わらなかった。変化があったのは、文化祭の準備期間中だった。三人が、一気に加わったそうなのである。なんとな~く予感がして先ず智樹へ、次いで那須さんと香取さんへ視線を向けるも、誰も僕と目を合わそうとしなかった。それは、新規の三人について現時点で明かせる情報はないとの意思表示なのだろう。よって首肯するに留めて静かにしていたら、香取さんが「ご褒美をあげて」と智樹を促した。尻尾を盛んに振る智樹を「ご褒美をもらったのはお前だったのか」と、僕は胸中突っ込まずにはいられなかった。
 もちろんそれは冗談で、僕が新会員三人の意を酌み行動した場合、三人の情報を若干開示して欲しいと香取さん達は頼まれていたと言う。尻尾フリフリを絶賛継続中の智樹が語ったところによると、三人は文化祭関連で僕に助けられたらしく、その時の僕の対応をいたく気に入ったとの事だった。また準備期間終盤に急遽出た牛若丸の販促活動も、彼女達の提案だったと智樹は述べていた。販促方面から調べれば彼女達を特定できるのはほぼ間違いなく、したがってそれを彼女達も望んでいるように感じられるが、さてどうしたものだろうか。と迷ったのは一瞬に過ぎず、ある女性への対応を微塵もしなかった過去を思い出した僕は当人へ顔を向け、
「こちらから声を掛けるかは別として、今もらった情報を活かす事にするよ」
 那須さんにそう伝えた。それは満点に近い返答だったのか、那須さんは大輪の笑みで頷いてくれたのだった。

 予鈴一分前に席を立ち、部屋の片付けを始める。委員活動を二度経験したからか、会議室を食べ物で汚した人はいない。テーブルに除菌アルコールを噴霧し、布巾で拭って、椅子を所定の位置に戻すだけで片付けは終わった。丁度鳴り始めた予鈴と共に四人で会議室を後にし、いやはや内容の濃いお昼休みだったと、廊下を歩きながら僕は背伸びをした。が、
 ピカゴロドドド――ンッッ!!
 とでも形容すべき電気放電が脳を貫いた。それは、べらぼうな重要事項を見落としていることを教えてくれた、電気放電だった。もし今これに気づかなかったら、僕は一体全体どうなっていたのか。と危惧するより早く、
「那須さん、ちょっといい?」
 見落としを是正すべく瞬時に動けた自分を、今は褒めるとしよう。お昼休みの始まりとは異なり、男子組の後ろを歩いていた女子組の横に並ぶよう、僕は歩調を緩める。その意を察した香取さんが気を利かせ、歩調を速めて那須さんの隣を離れ、智樹の横に並んだ。智樹が元気一杯の豆柴と化したのは忙しいから脇に置き、僕は那須さんへ、一月半越しの返事をした。
「那須さんのような素晴らしい女性に好意を抱いてもらって、堪らなく嬉しい。でも僕は、人生の伴侶を二人選べる人間じゃない。今生でのその一人を、僕はもう選んでいる。だから、那須さんの気持ちには応えられません。ごめんなさい」
 仰々しくならぬよう、それでいて気持ちがしっかり伝わるよう、僕はふわりと立ち止まり、そしてキリッと腰を折った。
 その僕を、夏の高原の風が包んだ。いや、包んだのではなく、風は僕を通り過ぎて行った。風はそのまま山肌に沿って吹き、頂へと向かってゆく。頂を越えても風は留まることをせず、そしてその先の天空で、
 ―― 鳥の王の飛翔
 を助ける、かけがえのない上昇気流になったのだった。
 との光景を心の目でまざまざと観た僕は、頭を上げ、那須さんの双眸を見つめる。那須さんが自分の未来を観たか否かを、心の窓たる双眸を介して見つめる。鳥の王妃になる自分の未来を那須さんが観て取ったことを知覚した僕は、恥ずかしさを封じ、あずまの若君として首肯した。すると王妃様は瞬きを一回したのち三白眼になり、
「猫将軍君は、ズルい!」
 などと戯言をのたまい始めた。まあでもその時はいつもの那須さんに戻っていたし、仮に戻ってなかったとしても、
「あ~はいはいそうですね。けど今はそれより、掃除の方が百倍大切ですね」
 昴の幼馴染の僕にとって、女王陛下の戯言をいなすなどお茶の子さいさいなのである。それに清掃時間も差し迫っていたし、また間の悪いことに今いる場所から僕の担当箇所まではそこそこ距離があったので、焦る気持ちがあるのも事実だった。
 その、「今はそれより」がいけなかったのかもしれない。那須さんは両手を握り、
「猫将軍君のバカバカバカ!!」
 学園青春漫画のお手本の如く、僕をポカポカ叩きだした。焦燥が増すも、あることに気づくや僕はそれを捨て、業務遅参の罰則を受ける覚悟をした。僕の目の前にいる人が三白眼を必死で保ちつつ、ウルウルお目目になっていたからである。僕は黙って、那須さんに叩かれ続けた。
 その日の、清掃時間終盤。
 僕と那須さん、そして僕らに付き合ってくれた智樹と香取さんは、湖校入学以来初となる、掃除を定刻までに始めなかった業務遅参の罰を、ありがたく頂戴したのだった。
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