僕の名前は、猫将軍眠留

初山七月

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二十一章

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「「眠留、一年生校舎に行こう」」
 声を揃えて二人にそう呼びかけられた僕は、荷物持ちのつもりで二人に付いていった。もちろん荷物を持つことはなかったけど、この二人と一緒に女子達のもとを訪れるのだから反感を喰らわぬ程度の太鼓持ちになる気は旺盛にあり、僕は場を盛り上げる方法ばかりを考えていた。そのせいで一年一組の前を通過したとき耳にした「お兄さん達が来たよ!」を、勘違いを正すヒントとして活かせなかった。一組は美鈴のクラスとはいえ、真山でも北斗でもなく「お兄さん」の語彙が用いられたことに、僕は少なくとも違和感を覚えておくべきだったのである。
 一学年下の後輩へのお返しは原則、昇降口で纏めて渡すのが湖校の伝統だった。美鈴のクラスメイトと騎士会の後輩達に用意したスノーボールクッキーとマカロンのセットはそれなりにかさばり、両手に一袋ずつの計二袋を抱えていた僕にとって、それは非常に助かる伝統と言えた。それもあり、昇降口の外に並ぶクラスメイト代表と騎士会代表の女の子と目が合ったさい、僕は自然と笑顔になり手を振った。するとギャラリーの子たちが一斉に騒ぎ出し、けどそれは真山や北斗と一緒にいる時のお約束だったから僕は気にせず、「待たせちゃったかな?」や「寒くない?」に類する労りの言葉をその子たちに掛けた。僕の両側にいる真山と北斗に顔を赤らめるその子たちが微笑ましくて、二大イケメンがそれぞれの後輩代表へお返しを渡すのを待ち、イケメン二人をその子たちに紹介した。折り目正しく挨拶する下級生の女の子に好感を持ったのだろう、二大イケメンは柔らかな眼差しで優しい言葉をかけ、そして自分達の後輩代表を僕に紹介してくれた。後輩代表はいかにもな美少女だったが美少女耐性がカンストしている僕にとっては美鈴の同級生以上の要素は何もなく、美鈴がお世話になっているお礼を丁寧に述べた。上級生の二大イケメンにチョコレートを渡すだけありその子たちもとても良い子で、僕ら七人はHR開始の予鈴が鳴るまで歓談した。時間にすれば三分ほどだったが、二大イケメンと楽しい時間を共有できたことは、後輩四人の良い想い出になっただろう。太鼓持ちになる当初の予定とは大幅に違ってしまったけど、この子たちが幸せならそれが一番なのである。ニコニコしながら四人に別れを告げ、そして真山と北斗と一緒に、僕は二年生校舎へ駆けて行った。その道中、「眠留がいてくれて助かった」「そうだね、眠留は来年以降覚悟しなきゃね」との謎の言葉を二人に掛けられ、返答に詰まった僕は「一つ下の後輩以外は校舎に赴く必要はないんだよね」と聞きかじった伝統を一応返したのだけど、二人は意味深顔で僕の背中を叩き、無言のままそれぞれの教室へ去って行った。
 謎が解けたのは、その日の夕食時だった。「お兄ちゃんのスノーボールクッキーとマカロン、大好評だったよ」 そう言って顔を綻ばせる美鈴に目尻を下げまくる僕を見つめていた昴が、
「眠留あなた、自分がサンコウの一人に数えられているの、やはり知らないのね」
 深い憂慮の声で呟いたのである。今日はなぜか輝夜さんと昴も夕飯を共にしていて、けどそれは頻繁にある事だったから気に留めていなかったのだけど、それはさて置き。
「眠留くん、意味不明過ぎてポケ~としないで、ちゃんと聴いてね」
 まさしく意味不明過ぎてポケ~っとしている僕に、輝夜さんが語りかけた。
「サンコウのサンは三角形の三、コウは公平の公で、三公ね。上級生の三人の貴公子を略して三公と、一年生達は呼んでいるの」
 だが、言語としては理解できても会話としては前後関係がまったく掴めない話をされ、僕はポケ~を重ね掛けした状態になってしまった。見かねた美鈴が輝夜さんと昴に「一年生校舎の出来事を聞いてる?」と問いかけ、二人は揃って頷き返した。それから三人は顔を寄せ合い暫し相談したのち、今朝の昇降口の出来事を、一年女子の目線で説明してくれた。
「三公を待っている女子が一人多い四人なのは、お兄ちゃんだけは二人の女子にお返しを渡すからだって、一年生はみんな知ってたの」「そこに眠留くんだけが、袋を二つ抱えて現れたから」「さすが猫将軍美鈴のお兄さんだって、みんな感心したのね」「すると中央を歩くお兄ちゃんが、両側の二人に先んじて凄く優しい表情で手を振って」「一年女子は眠留くんの優しさに色めき立って」「そのうえ思いやりのある言葉を眠留に掛けられたから」「お兄ちゃんの優しさに、二人の代表は頬が赤くなっちゃったの」「けど眠留くんはそれをサラッと流し」「真山君と北斗を二人に紹介して」「続いて紹介された一年のトップクラス美少女と名高い二人に」「眠留くんは全然普通に接して」「それが一年女子の四人の緊張を解き」「七人で楽しい時間を過ごす事ができた」「はたから見たらその最大の功労者は眠留くんで」「そして身長差をものともしない凄まじいバネを一年女子に見せつけながら」「お兄ちゃんは一年生校舎の昇降口を去って行ったの」「これが一年女子の目線で見た、今朝の眠留くんなのよ」「だから眠留、せえの!」「「「覚悟を決めなきゃね!」」」
 もしここで三人娘に覚悟を決めるよう命じられなかったら、明日は六年の先輩方の卒業式だと知っていても、学校に行けなかったかもしれない。そう説明し「だからありがとう」と伝えた僕は、大変な苦労をして残りの夕食を胃袋に収め、台所を後にしたのだった。

 翌十五日は、先輩方の卒業式だった。朝のHRを終えるなり六年生校舎に駆けて行った僕は、真田さんと荒海さんの顔を見たとたん大泣きしてしまった。お二人は最初こそ「眠留らしい」と笑っていたが、次第に考える素振りを見せ始め、僕の背中や頭をポンポン叩きながら小声で何かを話し合っていた。そして新忍道部員全員が集まったのを見計らい、
「眠留、何があったか話せ」
 真田さんが命じた。そう言われましてもお二人の卒業が哀しいだけですと僕は応え、事実その時は芯からそう思っていたのだけど、続いて荒海さんに「じゃあとりあえず昨日の出来事を思い出してみろ」と命じられるや、真実が明るみに出た。穴の開いた風船のように体がみるみる萎んでいき、これ以上ないほど俯いてしまったのである。ここでやっと自分の本心に気づいた僕は、それをお二人に話していった。昨日とてもショックな目に遭ったが、感情を押さえて一晩過ごした事。けどお二人の顔を見たとたん、それが表に出た事。それからは安心しきって泣いてしまった事を、僕はお二人に説明した。真田さんと荒海さんは最初、僕が昨日どんな目に遭ったかを非常に案じていた。しかし北斗が耳打ちしてからは穏やかな表情になり、そして僕の話が終わった今は、仰ぎ見るが如き気配を纏っていた。裾野に広がる広大な森林に多種多様な生物を住まわせる、巨大な山塊のような気風をその身に帯びていたのだ。その人格的大きさを目の当たりにした僕の心に、出会ってから今日までのお二人の偉大な姿が次々浮かび上がって来た。そのどれもが、僕の理想だった。揺るぎない信頼と技術で後輩達を導くお二人は、人間としても男としてもまさしく僕の理想に他ならなかった。そして、それを今までで最も明瞭に感じた今日こそは、お二人がこの学校を去ってしまう卒業式だった。今日をもってこの偉大な先輩方は、遠くへ旅立ってしまうのである。それを今になって痛いほど実感した僕は、歯を食いしばり目をギュッと閉じた。それでも足らず右腕で双眸を押さえ、それでも足らず右腕の上に左腕を重ねて両腕で双眸を押さえ、だがそれでも込み上げて来る哀しみを押さえられず、僕は声を殺して泣いた。つい数分前の、開けっぴろげな大泣きとは真逆の泣き方を始めた僕の右肩と左肩を、先輩方が優しくポンポンと叩く。しかしどうしても顔を上げられない僕を「無理するな」「そのまま聞いてくれればいい」と諭してから、お二人は一語一語を慈しむように言った。
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