僕の名前は、猫将軍眠留

初山七月

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二十二章

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 戦争の新たな形態に対応した銃剣訓練を完成させ、教官の教育も終了し、褒美代わりのまとまった休暇をもらった、翌年の春。颯太は一年ぶりにかの地へ赴き、老人と再会した。直接訪れることはできずとも、手紙と季節ごとの進物は欠かさなかった颯太を、老人は喜んで迎え入れた。老人は軍の上層部と係わりがあるのか、軍事機密のはずの新銃剣訓練を詳細に知っており、その優秀さを颯太に説いたそうだ。心血注いで創り上げたものの真価を、尊敬する人から十全に認められること以上に、嬉しい事などそうありはしない。颯太と老人の銃剣談義は日が落ちても続き、結局その日は老人宅に泊まった。そして翌日の早朝、颯太は人生を変える体験をする事となる。
 日のまだ昇っていない、午前五時前。真剣が空気を切り裂く音を耳にした颯太は寝床を発ち、新品の剣道着に着替えて裏庭へ向かった。裏庭では老人が型稽古をしており、その型稽古に颯太は言葉を失ったと言う、ただ、
「どこがどう特殊だったかは話せません。お許しください」
 豆柴の方の、現代の颯太はきっぱりそう告げ、僕らに深々と頭を下げた。それは僕にとって有難いことだった。なぜならその特殊さは、
 ―― 人を凌駕する敵を葬る刀術
 にあったからである。
 颯太は日露戦争の白兵戦を経て、剣士としての地力を一段も二段も引き上げた。通常の剣道家では決して体験できない命がけの真剣勝負が、剣道の達人へと至る道を颯太の前に拓いたのだ。その颯太だからこそ、老人の型稽古を一瞥するや理解できた。この老人は、人を凌駕する存在との命懸けの戦いを無数に経験していることを、颯太は一瞬で確信したのである。それは、たとえその老人が僕ではなかったにせよ、おいそれとは口にできぬ事だろう。「化け物と戦う老人に僕は過去世で会いました」などと所かまわず話そうものなら、狂人の疑いをかけられても仕方ないからだ。よってただでさえ口にするのを憚られるのに、その老人は間違いなく、僕だった。颯太の話を聴くにつれ、過去世の僕が颯太の描写する軍人と親交を持っていたことを、僕もはっきり思い出したのである。したがって憚られる度合いはより高まったのに、なお悪いことに颯太は過去世を、
 ―― サタンと刀で戦う僕
 を見て思い出したとくれば、それは決して口外してはならない事になる。仮に颯太が、「過去世の眠留さんは化け物と戦っていました」と軽々しく話したとしよう。過去世だけでも怪訝な目を向けられるのに、そこに化け物が加わるのだから、大抵の人はそれを頭から否定するはず。憤った颯太はその正しさを証明すべく過去世の記憶を細部に至って力説し、すると中にはそれを信じる人達が現れ、そしてその人達は僕へ、このような疑問を抱くのである。
 ―― 猫将軍眠留は今生でも、化け物と戦っていたりして
 普通なら、こんなことを疑問に思った自分の正気を疑うのが現代人なのだろう。だが僕は3Dの虚像とはいえサタンを刀で切り伏せており、しかも僕の神社は鎌倉時代から続く、古流刀術の宗家なのだ。よって颯太の話を信じた人達は、僕はもちろん美鈴や祖父母へも、化け物と戦う剣士の疑念を抱くようになる。そしてその疑念を、颯太がそうしたように、軽々しく周囲へ吹聴するようになる。大多数の人は一笑に伏したとしても、人々が祖父母と僕と美鈴へ向ける奇異な眼差しは、やはり避けられないに違いない。という未来が、「過去世の眠留さんは化け物と戦っていました」と軽々しく明かした先には待ち受けているのである。それを避けるために現代の颯太は、
「どこがどう特殊だったかは話せません。お許しください」
 きっぱりそう告げ、深々と頭を下げた。それを無視して颯太を問い詰めるような人は、ここにはいない。受諾の意の首肯を皆はして、そんな皆へ、颯太は再度一礼する。そして僕に目礼してから、颯太は過去世の話を再開した。

 颯太によると、老人は型稽古を見せるに留め、それ以外の一切の教授をしなかったと言う。僕の記憶でもそうだから、颯太は翔家一門に迎え入れられたのでは無いのだろう。今生もその可能性は低いが、たぶん来世は違うと僕は何となく思った。
 老人に型稽古を見せてもらった颯太はその後、ただひたすらその型をなぞった。しかし幾ら忠実になぞっても、似て非なる動きしかできなかったらしい。その説明として、颯太はこんな話をした。
「新しい銃剣訓練の教官として、日本各地から十人の若手将校が市ヶ谷に集められました。全員が剣道の猛者でしたが、彼らは白兵戦を経験していませんでした。その彼らの銃剣訓練における動作と、型をなぞる僕の動作は、とても似ていたのです」
 颯太は老人に型を見せてもらい、それをひたすらなぞり、三か月後に老人の前で型を披露し、そして再び型を見せてもらうという十年間を過ごした。十年経っても上達の手ごたえは微塵も得られなかったが、四年目から師匠と呼ぶことを許されただけで颯太は幸せだったそうだ。ただその生活が十一年目を迎えることは無かった。1930年、師匠が他界したのである。颯太は正式な弟子ではなかったが師匠の遺言により、弟子に準じる者として、葬儀に参列したと言う。
 師匠が他界したとき、颯太は五十歳。陸軍大学の武官主席として大佐を拝命するまで出世し、上層部の覚えも目出度く更なる昇進を周囲は期待していたが、颯太は軍を去る決意をする。師匠の見せてくれた型をなぞるだけであろうと、十年も続けていれば、師匠の人柄を腹の底で感じられるようになる。雲の上の刀術を操る真の達人であってもその性格は謙虚この上なく、そして何より温かかった。十年も師事していれば高弟や兄弟子との親交も生まれ、その人達も師匠同様、謙虚かつ温かな心を持っていた。弟子に準ずる者として参列した葬儀で出会った師匠の親族や友人知人もそれは同じであり、誰もが颯太を自分の仲間として接してくれた。それこそが十年前から歩み始めた、
 ―― 颯太の新たな道
 に他ならず、軍隊に颯太の道はもうなかった。帝国陸軍を着々と侵食してゆく慢心と冷徹さは、軍人として生きる道を、颯太から奪って久しかったのである。
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