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第六話
―これは、仕事? それとも、恋?―
しおりを挟む三度目の予約を入れたのは、まるで「呼ばれた」ような感覚だった。
日々の生活は、これまでと何ひとつ変わらない。
夫は相変わらず仕事に追われ、私たちの会話は生活報告のようなものばかり。
誰も、私が“通っている”なんて気づかない。
きっと、気づこうともしない。
けれど私は、すでに身体の奥で、リクに触れてほしいという欲望が
静かに、確かに根を張っていた。
その日も、駅前で待ち合わせをした。
約束の時間より少し早く着いた私に、リクは変わらない笑顔で声をかける。
「こんにちは。今日もお会いできて、うれしいです」
それだけの言葉なのに、心臓が跳ねた。
“今日も”という響きが、まるで「自分だけが特別だ」と錯覚させてくる。
ホテルへの道すがら、彼は少しだけ話をしてくれた。
「最近、朝が涼しくなってきましたね。季節の変わり目、意外と疲れやすいんです」
——“施術トーク”、きっとそう。
でも、そのあと彼はふと立ち止まって、私のほうを見た。
「……ちゃんと眠れてますか? 前回、肩がすごく張ってたから」
そのひと言が、心に残った。
私のことを“覚えてくれていた”というだけで、
身体じゃなく、“私自身”に関心があるような気がしてしまう。
部屋に入り、ガウンに着替え、施術ベッドに横たわる。
これまでと同じ流れなのに、どこか空気が違って感じた。
彼の手が、背中に触れた瞬間。
私はもう、ためらわなかった。
もっと触れて、もっと深く、と願っていた。
けれど今日は、リクの手がどこか慎重だった。
深くもなく、浅くもなく、探るような感触。
「……少し、調子が違います?」
私がそう聞くと、彼は手を止めた。
そして、しばらくの沈黙のあと——
ぽつりと、言った。
「柚希さんって、不思議な人ですね。……仕事なのに、つい感情を入れそうになる」
一瞬、息が止まった。
それは、セラピストとして言ってはいけないことなのではなかったか。
それとも、あえて言ったのか。
「……それ、冗談?」
「かもしれません。……かもしれない、です」
その言葉に、含みがあった。
そして私は、もう“触れられる気持ちよさ”だけではいられなくなっていた。
彼がどう思っているのかを、知りたくなってしまった。
次に来たとき、あの言葉の続きが聞けるのか。
あるいは、なかったことにされてしまうのか。
「……リクさん、って、ほんとはどんな人なんですか?」
その問いに、彼はふっと笑った。
「それを知っても、来てくれますか?」
「……わかりません。知ったら、来られなくなるかもしれないし、逆かもしれない」
彼の手が、再び私の腰へと伸びる。
「じゃあ……今日は、僕のことは忘れてください。今だけは」
そう囁いたあとの彼の手つきは、今まででいちばん熱を帯びていた。
そして私はまた、身体も心も、彼に溺れていった。
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