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1章ー記憶の旋律ー
すれ違い
しおりを挟む私は一人、父に呼び出された。
あの演奏から、もう三日が経っていた。
学園にある来賓用の客室の扉を開けると、重たい空気が流れ込んできた。
厳しい表情をした父が椅子に座り、私をじっと見ている。
その視線に自然と背筋が伸びる。
「演奏のことだが──」
父がゆっくりと口を開いた。
(ああ……やっぱりダメだったのか)
演奏が終わったあと、父は何も言わずその場を去った。
もともと感情を表に出す人ではなかったけれど、今回はあまりにも無反応すぎた。
(……やっぱり、私の音じゃ届かなかったんだ)
まだ、足りなかったんだ。そう思った、その時だった。
「とても良かったよ。……あんな演奏は、初めて聞いた」
「──へ?」
頭が真っ白になった。
「……すまなかったな。演奏を聞いた時に、すぐに言うべきだったのだが……どうも、上手く言葉が出てこなくてな」
「い、いえ……あの……えっ……?」
混乱する私を前に、父はどこか気まずそうに眉をひそめた。
「……あんなに心を動かされた演奏は、久しぶりだった。いや……もしかすると、生まれて初めてかもしれん」
胸がぎゅっと締めつけられる。
(届いてた……私の音、ちゃんと)
「お前が本気でやりたいというのなら、音楽をすることを止めるつもりはない。だが……」
父はそこで言葉を区切る。
「自分の立場は、忘れるなよ」
「はい……分かっています」
そう返すと、父はわずかに目を細めた。
それは──父なりの、笑顔だった。
「それと……婚約の件なのだが」
その言葉を聞いた瞬間自分の身体が跳ね上がったことがわかった。
「もしかして……嫌だったのか?」
「………………え?」
思ってもなかった言葉に思わず情けない声が出てしまう。
「良かれと思って進めた話だったがお前の話を聞いていないと思ってな……どうなんだ?」
確かに誠実でとても良い人だった。けど……本当にいいのか心に引っかかっる。
なぜ今……夢に出てくるあの人を思い出しているのだろうか。
返答に困っていると
「ゆっくりでいい。聞かせてくれ」
「ベラグランデ様はとても素敵な方だと思います、私にはもったいないぐらい。けど……私は婚約をしたくはないのです。とてもわがままを言っているということはわかっています。ですがっ!」
「……わかった。彼が嫌な訳では無いのだな。婚約そのものをしたくないと」
「はい、申し訳……ありません。こんなことを思ってしまうなんて……貴族失格です」
「そんなことはない。お前は私のこと娘だ。帰属失格と言うのならきっと私もだろうな」
「え?」
「ではこの件は断っておく」
「ありがとう……ございます」
───
部屋に戻ると、どっと力が抜けてベッドに倒れ込んだ。
「よ、よかったぁー……」
認められた。届いた。
それにお父様がこんなに私のことを思ってくれていたなんて正直驚いた。
その事実に、思わずこみ上げるものがあった。
「う、嬉しいぃ~!」
嬉しさを噛みしめていると、ふいに扉がノックされる。
「お嬢様、お手紙が届いております」
アリサの声だった。
手紙を受け取ると、差出人は──母。
「え、どうかしたのかしら……? 手紙なんて」
封を開けると、優しい筆跡が目に飛び込んできた。
⸻
『親愛なるリリーへ。
演奏を無事に終えたようで何よりです。ジストもとても喜んでいました。
「娘がこんなにも成長していたなんて」と。』
ジスト──お父様の名前だ。
……母が名前で呼ぶなんて、初めて知った。
けれどそれよりも、「喜んでいた」という文字に、目を見張る。
『ジストは昔から感情を表に出さない人なので、何を考えているのか分からないと思うことも多いでしょう。私もたまにそうなります。
ですが、あの人は本当に、あなたたちを愛しています。
なぜ、あんなにも結婚しろと口うるさく言うのか──それは、あなたの幸せを願っているからです。
考え方が古いところもありますが、あの人なりに”父親”としての務めを果たそうとしているのです。
実は、普段からよく言っているんですよ。
娘が可愛いとか、息子の成長が嬉しくて時々泣きそうだとか。
意外とおしゃべりなんです。
毎朝一緒に朝食をとるのも、子供たちの顔が見たいから。
どんなに忙しくても、それだけは欠かしません。
少し不器用な父親だけれど、どうか許してあげてくださいね。
──メルシーより』
⸻
驚きの連続だった。
まさか、あの父が……そんなふうに思っていてくれたなんて。
「私……お父様に会いたい。今すぐ」
「学園内には、まだいらっしゃるかと……」
「ほんとっ?!ちょっと行ってくる!」
リリーが勢いよく部屋を飛び出していくのを見送って、アリサはそっとため息をついた。
「旦那様の溺愛っぷりは、凄まじいですよ……」
よく娘の近況報告を任されているアリサは、そのたびに思っていた。
(……それ、本人に直接言えばいいのに)
あの無表情で、嬉しそうに娘の思い出話をして。
娘が自立していく未来を想像して、寂しそうに語る姿。
「私だって長くお仕えしてるんです。……それぐらい、分かりますよ」
そう言って、頬をぷくっと膨らませるのだった。
───
「お、お父様!」
学園の裏口で馬車に乗り込もうとしている父の姿を見つけて、思わず呼び止める。
ぐしゃぐしゃの髪に、荒い息。必死で走ってきたことが一目でわかる。
「どうかしたか?」
相変わらずの無表情に、少しだけ昔の恐怖心がよみがえった。
でも──今は、なぜかそれが可愛く見える。
「貴族令嬢としての自覚を持てと、さっきあれほど──」
怒られそうになったその瞬間、私は言葉を被せるように叫んだ。
「私、知ってますよ」
「……何をだ」
「お父様が、普段から”娘が可愛い”とか”成長が嬉しくて涙が出そう”とか、お母様に話しているって」
「ブッ!」
従者の一人が盛大に吹き出した。
「……何?」
振り返ると、護衛の騎士たちまで笑いを堪えている。
「知らなかったんです。……そんなに溺愛してもらえてたなんて」
「そ、そんなこと言ってるわけないだろう!!」
父は顔を赤くして、無言で馬車に乗り込んだ。
すると、そばにいた従者のナトがこっそり耳打ちしてくる。
「旦那様、本当によくおっしゃっていますよ。私たち従者や騎士、メイドまで皆知っています。──知らなかったのは、お嬢様だけかと」
そう言ってウインクした。
(……隠されてたんだ)
馬車の中から「ナト!何をしている。早く乗れ!」と父の声が飛び、慌てて乗り込む。
「お父様……」
馬車に揺られながら、私はまっすぐ父に伝える。
「大好きです」
その瞬間、父はガタッと音を立て、馬車の椅子から転げ落ちた。
……その姿に、思わず吹き出してしまいそうになる。
「明日の朝食のとき……話しかけてみようかしら」
リリーは、そうつぶやきながら、馬車の窓から遠ざかる学園を見つめた。
───
その夜、父──ジストは、国王ガール・サムジールのもとを訪れていた。
静かな謁見の間。ふたりの間には、重たい沈黙が流れていた。
「陛下……先日の演奏の件ですが」
「良かったな!あれは。もっとお前もいつもの溺愛っぷりを表に出せばいいのに。聞いたよ、娘にバレだって?ナトが爆笑していたよ」
「それではない!あの3人のことだ。」
「ああ。君の娘が組んでいた三人組のことか」
ジストは咳払いをして崩してしまった口調をもとにもどす。
「はい。彼らが使っていた楽器は、この世界のものではありません」
「……やはりそうか」
国王は静かに椅子に腰かけ、窓の外に目をやる。
「ジストよ。──あの演奏を、思い出してみてくれ」
「もちろんです」
「あの音、あの楽器。以前、似たものを見たことがある」
「……どちらで?」
「アリーシャの誕生日パーティーだ。冒険者の三人組が、魔法で姿を変えた楽器を使っていた」
「たしか、珍しい多種族のパーティーとお話しされていた時ですね」
「ああ。あの者たちは、明らかに”異なる世界の知識”を持っていた」
国王の瞳が鋭く光る。
「リリーと一緒にいた三人。彼らもまた、恐らくは──異世界の者たちだ」
「異世界人……!」
「宮廷魔法師が、彼らの来訪直前に異常な魔力の流れを感知している。召喚の痕跡だ。それにおよそ9年前エルフの森のフォリアが魔力を奪われた事件もある。まさかアバンティ国の奴らフォリアの魔力を使って……この件は、慎重に見守る必要があるだろう」
「なるほど……」
「それに、リリーも彼らの音に自然に馴染んでいた。まるで、最初から知っていたかのように」
「……偶然とは思えませんね」
「私の勘は、よく当たる。──この件、見過ごすわけにはいかぬ」
その目は鋭く、静かに──確信を灯していた。
(あの三人は、“こちら側の人間”ではない)
そして、それが新たな運命の歯車を動かそうとしていた。
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