イカロスの翼

谷メンマ

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7月28日 おわりのはじまり

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四隅の怪、という都市伝説がある。

各国の拾遺集や文献に存在が散見されるその怪談は、ある程度国によって形態は違うものの、大まかな内容としては「存在しない五人目を呼び出してしまう」というものである。

しかしこの都市伝説には、もう一つ別の解釈が存在する。

曰く、それは「本来いた五人目の存在を抹消し、そこに現実の帳尻を合わせる」黒魔術の一種なのではないかと。

その解釈はあまりにも突拍子がなく、それゆえに一般には広まっていない。
と、思われてはいるが。

しかしここには、一種の情報統制……というよりは、国家単位での巨大な情報”封印”が行われているのだ。


人が触れてはいけない、人の手には余る禁忌。


これからお送りするのは、その禁忌に触れた一人の小説家の記録である。


七月二十八日。


外壁にへばりついたアブラゼミの、耳をつんざくような鳴き声が夏の到来を知らせる。
エアコンもないサウナのような五畳一間、高尾駅から徒歩十分の木造建築の一室。

石原拓也は座椅子の上で思い切り伸びをすると、固まり切った股関節に鞭を打ってフラフラと立ち上がった。

コーヒーでも淹れようかとケトルに手を伸ばしたところで、乱雑に積み上げられた宗教・民族学の本たちが音を立てて崩れ落ちていく。

ため息をつきながら床に散らばった本を拾っていると、まるで拘束具のように、四十肩が重くのしかかった。
体の節々にガタが来ているのに加えて、日夜パソコンに向かい、ロクに家から出もしない生活。

今年で四十五の体はもう、若い頃のように動いてはくれない。

日に日に弱くなっていく体力を騙し騙しに繋ぎながら、吹けば飛ぶようなマイナー雑誌の一角や過去に当たった小説の残り火で、ケチな仕事をこなして日銭を稼ぐ日々。

当然、結婚などしていない。
十数年前には婚約者もいたが、それも売れっ子作家としてのレッテルが剥がれた途端にどこかに消えてしまった。

好き放題に伸びたままの無精髭をさすりながら、拓也はいつものように、記事にするためのネタ探しにニュースサイトを開いた。

つらつらと流し読みをしながら、適当にページをスクロールしていった彼の目に留まったのは、とある一つの特集記事。

どうやら、ネット上で報告された怪現象や都市伝説についてまとめているらしい。

ダブルクリックして先に進んだ卓也の目に、飛び込んできたのは。

「……きさらぎ駅…?」

どうやら、古いネット掲示板にその存在が報告された都市伝説の一種らしい。

内容自体はどこにでもありそうな怪談話だったが、「きさらぎ駅」の秀逸な点はそのインスタント性にこそある。

普通の怪談や都市伝説は、さまざまな話の段階を踏んだ上で徐々に怖さを伝えていくものだ。
そこが醍醐味と言えば実際そうなのだが、近年の速度重視的な社会ではそれが煩わしいという意見も多く、回り回って都市伝説界隈が廃れる原因にもなっている。
そして文字に起こした場合に、その傾向は特に顕著となってしまうのだ。

しかし「きさらぎ駅」は、投稿者が体験している異空間での出来事を、リアルタイムでネットに投稿し続ける形式となっている。

これにより、その当時これを追っていたネットの住人だけではなく、この話を後から知った人間も手軽に読み進めることができるのだ。

……ただ話としては面白いが、これ一件だけで記事には起こせないか。

ページを閉じて再び検索をかけようとしたところで、サジェストに表示された文字群を見て拓也は目を疑った。

そこには、先程彼が読んだ初代きさらぎ駅とは別に、いくつも同じような事例が報告されていたのだ。

駅の内装が違うものや、そこから脱出しその後日談まで書かれているものなどバリエーションは豊富だが、それらにはある一つの共通点があった。

「…なんだよこれ、全部きさらぎ駅じゃねえか……パクるなら普通変えんだろ…」

そう、ネットに報告された事例、その全てが”例のきさらぎ駅に着いた”というもの。

そうは言っても信憑性の薄いものが多く、ほとんどが人気にあやかった贋作だと一目で分かるようなものではあるものの、流石にここまで多いと逆に気になってしまう。

作家としてではなく、単純な興味が掻き立てられた卓也は無意識にスマホを握りしめていた。

4コール目が終わるかというとき、電話口から懐かしい声が聞こえてきた。

「俺だ佐藤、元気にしてたか」

「おお、その声……卓也か!まあずいぶん久しぶりだな。どうした突然!」

相変わらずの大声で卓也の耳をキンと揺らすのは、彼の大学時代からの友人である佐藤昌弘。
拓也と昌弘は、考古学や民族学の話題で意気投合し、それからよく二人で行動を共にした。
大学の4年間では二人で金を出し合って北欧の農村などに行き、現地の風習や土着信仰を学んだものだ。

そんな二人だが、昌弘が民族学者を志して大学院に進み、一方で卓也が作家としてデビューすると次第に会う頻度も少なくなり、今では年に一度年賀状でのやり取りのみに止まっていた。

「うん、少し頼みがあってな。…お前のところにある風土信仰の、……そうだな、できれば魔術的なのに偏った文献をいくつか貸してくれないか」

その言葉に、電話口の向こうで昌弘が眉を顰めた気配がする。

魔術的な風土信仰。
それは、民族学者の間ではタブーであり、その文献を他所に持ち出すことは暗黙の了解として禁じられている。
表向きにその理由は残虐かつ非人道的な性質を持つものが多いとのことだが、現場でそれに携わる学者の間で語られる通説はもっぱら、”本当に再現できてしまうから”だそうだ。

「…本気か?専門家としてこう言っちゃなんだが、お前が手を出そうとしてるのは本当に危険なものだ。……大きな声では言えないがな。…実際、それを研究しようとした同期が姿を消してる」

「なに、別に研究しようとかじゃあないさ。ただ気になる都市伝説があってな、これは凄いぜ。金脈の匂いがしてるんだ」

ここ最近では一番生気のある声で熱心に頼み込む旧友に、ついに根負けした彼はしぶしぶ承諾した。

「…分かったよ。でもな、俺が少しでも危険だと思ったらすぐに連絡する。そしたらお前は、何があってもその記事を書くのはやめろ。……命あっての物種だろ、卓也」

「恩に着るよ。…そういや、真奈ちゃんそろそろ高校生だっけ?俺にもなんか送らせてくれよ」

「なんだ、覚えてたのか。…それがいいかな。何が欲しいか、本人に聞いておくよ」

通話を切ってしばらく待つと、ガガガガッとFAXから数枚のA4用紙が吐き出された。

早速机に向かい始めた拓也はその後、きさらぎ駅を通して、そのさらに奥に存在する巨大な闇を覗いていくこととなる。

かのゲーテは言った。

深淵を覗く時、深淵もまたこちらを覗いているのだと。

この瞬間から、二人の運命は大きく狂い始めることとなり。


根無草の貧乏作家と妻子を持つ民族学者の、国家を、世論を、宗教を——世界を相手にした、最後の五日間が始まる。
















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