嘘は溺愛のはじまり

海棠桔梗

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嘘の恋人

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 私が篠宮商事に入社して早くも2週間が経った、土曜日の昼下がりのことだった。

「どうですか? 少しは仕事に慣れた?」

 昼食を終えて、ふたりで食器を洗いながら会話をしているところだ。
 篠宮さんはいつもお皿洗いを積極的に手伝ってくれる。

 食事は私が作りたくてやってる事なのにいつも必ず丁寧にお礼を言ってくれるし、きっと私なんかよりずっとお仕事で疲れてるだろうに、こうやってすぐに手伝おうとしてくれるので、すごく申し訳ない気持ちになってしまう。

 私が「疲れてるから休んでて下さい」って言ったら「若月さんもだから、おあいこです」って返されて、私が返答に困って終わってしまうのだ。

 う~ん、嬉しいけれど、それではダメな気がする。
 だって私は部下だし、居候だし、……恋人なんかではない。
 こんなに親切にしてもらえる筋合いの人間じゃないはず……。

 この甘やかしをなんとかしてやめてもらおうと考えているところで、部屋のインターフォンからチャイム音が鳴り響いた。

 モニターを覗き込んだ篠宮さんは、なぜだか大きなため息を吐いている。
 モニターには、とても品の良さそうな年配の女性が映し出されていて……。
 篠宮さんはもう一度ため息を吐いた後オートロックの開錠ボタンを押して「ロックを解除しました、どうぞ」とインターフォンで伝える。

「若月さん、ごめん、俺の母親が来ます」
「あ、はい、分かりました。お茶のご用意をします。種類は何が良いでしょう?」
「いえ、そうではなくて。実はひとつお願いが……」
「はい、何でしょう?」
「俺の恋人になって欲しいんです」
「……え、ええっ!?」

 篠宮さんの思ってもみない“お願い”に、きっと私はとっても顔を赤くしてしまっているに違いない。
 そんな私の表情を見た伊吹さんは、困ったように眉尻を下げた。

「母は、俺が恋人と一緒に住んでいると思っています。日頃から早く結婚しろと言われてるんですが、あまりにも何度も言われるもので、思わず嘘を吐いてしまって。まさか確かめに来るなんて思ってもいなかったので……」
「恋人……、確かめに……」
「母の前では恋人役をしてくれませんか?」
「私が、恋人役、を……?」

 申し訳なさそうに眉尻を下げる篠宮さんを見てしまえば何かを言えるはずもなく、むしろ私なんかが恋人役なんて、逆に申し訳ない気持ちになってしまう。

「恋人と幸せそうにしているところを見れば、母もきっと安心すると思うんです。……引き受けてくれませんか?」
「……分かりました」
「良かった。ありがとう、助かります。じゃあ、よろしくお願いします」
「あ、はい、えっと、こちらこそ……」
「あ、そうだ。これからはお互い、下の名前で呼びましょう」
「えっ」
「だって、一緒に住んでいる恋人同士が苗字で呼び合ってるのは、変ですよね?」
「まあ、そう、ですけど、」
「じゃあ俺のこと、下の名前で呼んでみて?」

 花でも咲いてるんじゃないかと思うような美しく麗しい笑顔を向けられると、心臓が、ドキドキしすぎて……苦しい……。

「……い、いぶきさん…………」

 掠れそうになる声で小さく口ずさむと、篠宮さん――いや、伊吹さんは嬉しそうに目を細めた。
 これはもちろん演技なんだと思うけど、名前を呼ばれてまるで本当に心から喜んでいるかのように見えてしまうから、 本心なのではないかと勘違いしてしまいそうだ。

 そんなわけないって、もちろん分かっているけど……。
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