嘘は溺愛のはじまり

海棠桔梗

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あの時も、いまも

2.

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「……若月ちゃん。さっきの専務、見た?」
「……え?」
「専務はさー、もしかするとー」
「?」
「……若月ちゃんのことが好きなんじゃないのかなぁ?」
「は、い……!?」

 野村さんはニヤニヤと笑っている。
 何をどうやったら、その結論になるんだろう!?

「だってさー、さっきの、若月ちゃんを見る専務の表情……。ふふふっ」
「え、えっ? あの、意味が、」
「な~んかさぁ、愛おしそ~に若月ちゃんのこと見てたよー???」
「……そんなことは、ないと思いますっ」
「いやいやいや。あると思いますー」

 野村さんは嬉しそうにニヤニヤしながら私を見ているけど……。
 残念ながらそれだけは、ないんです、野村さん。

 私と伊吹さんの関係は、ただの同居人ということだけ。
 それ以外の事実は、本当に残念なことに、何もない。

「ないですよ」

 私がそう言っても、野村さんは全く納得していないようだった。
 野村さんはどうしていつも私の言葉に納得してくれないんだろう?
 そんなに説得力が無いんだろうか。
 またしても野村さんに理解してもらえないまま、私たちは仕事を再開した――。

 ――伊吹さんは私の事なんて何とも思っていない。

 それを証明するような出来事に遭遇することになるなんて、この時の私は、まだ知らない……。




 その週末のこと――。

 土曜日だというのに伊吹さんは取引先との会合が入っていて、専務秘書である笹原さんの迎えの車で出掛けて行ってしまった。

「……ひま、だな」

 ひとりだと時間を持て余す……。
 伊吹さんと同居する前は一人暮らしだったけど、こんなに暇なものだったっけ?
 思い出せないぐらい、伊吹さんとの時間は私の中では特別で……。
 たわいない会話さえ、しあわせなひとときで……。

 私は主が不在のマンションの一室をぐるりと見回す。
 広くて、快適な空間。
 この快適な空間を維持するのに、いったいどれだけのお金が掛かっていることだろう。
 私は消費するばかりで、なにひとつ空間維持には役立っていそうもない。

「……そろそろ出なきゃね……」

 もともとここでお世話になるのは3月末ぐらいまで、と言うざっくりとした約束をしていた。
 いまはまだ12月だけど……そろそろ本気で物件を探さなくては、引っ越し繁忙期に重なってしまう。
 引っ越しするとなると今後いろいろお金も必要になりそうだ。
 でも、その手のコストは出来るだけ抑えたいなぁ。

 伊吹さんは会合のあとはそのまま会食で夕飯の用意はいらないから、私は不動産屋に行ってみることにした。

 駅前にいくつかある不動産屋の前に貼り出されている物件を眺める。
 だけど便利なエリアはやっぱり相場が高くて、予算やエリアを検討し直さなければいけないことが分かり、少し保留することになった。
 分かっていたけど、考えが甘かったと、ひとり反省をする。

 さて、今日はこの後どうしようか。
 マンションに帰ってもひとりで寂しいし、夕飯の支度もする必要は無いし……。
 ……そうだ、どこかでお茶でもして帰ろう。

 そう考えて、私はすぐ近くにあった少しおしゃれなお店に入ることにした。
 隅の方の、なんとなく居心地の良さそうな席に腰を下ろし、注文したコーヒーを飲みながらスマホで不動産情報を検索する。

 会社からどれぐらい離れれば、私の住めるような物件があるだろうか。
 だけど残念ながら、東京はどこだってそれなりに家賃が高い。

 家賃と駅からの距離なんかで絞り込んで、出て来た結果とにらめっこをする。

 ……はぁ。

 いまいちピンとこない検索結果に、私は脱力した。
 あまりにも今の住まいが快適すぎて、贅沢になってしまっている気がする。

 じっと眺めていたスマホから顔を上げると、窓際の席に一組の男女が座っているのが見えた。
 ふたりは、雑誌か何かを目の前に広げている。
 女性が熱心に指をさしながら、しきりに男性に何かを話しかけていた。
 ……とても仲が良さそうなカップルで、うらやましい。

 ――こちらからは逆光になるから、すぐには気付かなかったのだ。
 その男女が、伊吹さんと、花屋の女性だと言うことに……。
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