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第10話 着物

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「しかしあのフィアナという女はいったいどれだけ寝ているのでしょうね?」

 女勇者であるフィアナを雇った次の日の夕方になっても彼女は部屋から出て来ない。ポエルが叩き起こそうと言ってきたのだが、さすがに初日くらいはゆっくり寝させてあげようということで俺が止めた。

 ……ポエルって本当に天使なんだよね?

「だいぶ疲れているみたいだったからね。俺もその気持ちはよくわかるよ。ポエルも仕事が本当に大変だった時だけは誰にも邪魔されずにぐっすりと眠りたいだろ?」

「……確かにそうですね。くだらない用事で呼び出されて、何度あの駄女神を訴えてやろうと思ったことか」

「………………」

 ポエルもよっぽどストレスが溜まっていたようだ。俺の実家の宿はブラック企業というわけではなかったが、温泉宿にはどうしても忙しい時期がある。

 特に年末年始は地獄だったな。ただでさえ宿が満室であるにもかかわらず、どうしても休みを取りたい従業員はいるわけだから、その分他の従業員に負担がかかる。当然実家が温泉宿をやっていると家族は総出で休みなく働くわけだ。

 さすがにその次の休日は毎回疲れすぎてどこにも出かける気なんか起きなかったな。

「まあ、まだ他にも宿の料金を決めたり、料理の献立を考えたり、やることもたくさんあるからのんびりといこう」

「わかりました」

 さすがに温泉宿の開業を始めたらしばらくの間は忙しくなりそうだ。今の休める間に休んでおいたほうがいい。

 とはいえ日々の食事でポイントは減っていくし、これからはフィアナの給料も払わないといけなくなるわけだから、あんまり悠長にしてはいられないがな。



「すまない、ヒトヨシさん! あまりにも気持ちよくてぐっすりと眠ってしまったようだ」

「ああ、今日は初日だし、全然気にしなくても……」

 思わず少しだけ見蕩れてしまった。

 そこにはストアで購入した着物を着ているフィアナの姿があったのだが、昨日見ていた血と泥にまみれた鎧を着ていた姿とはまったく異なる印象だ。

 サラサラとした美しい金色の髪に、目立っていた黒々としたクマはぐっすりと寝られたようで跡形もなく、鮮やかで美しい碧眼が輝いて見える。

 そして高い身長で姿勢の良いフィアナにはこの温泉宿で使う予定のピンク色の着物がとてもよく似合っていた。そこにはどこからどう見ても男だと見間違うはずのない美しい女性の姿があった。

「ヒトヨシさん、本当に申し訳ない!」

「ああ、いや、全然怒っていないよ」

 俺がフリーズしてしまったのを見て怒っているのだと勘違いしているらしい。

「その着物はとても良く似合っているね。うまく着られたみたいでよかったよ」

「そ、そうなのか! そんなことを言われたのは本当に久しぶりだ! えへへ~」

 客室には鏡を置いてあるから、それで自分の姿を見たのだろう。褒められたのがうれしいのか、はにかんでいるフィアナはとても可愛らしい女性であった。これは思った以上に掘り出し物の従業員を雇えたのかもしれないな。

(確かにあの着物という服は彼女に良く似合っておりますね。あの服なら胸が絶壁でもあまり気にならないです)

(素直に褒めてあげたらいいだろ。ポエルも着物姿は良く似合っていたぞ)

(そうですか……まあヒトヨシ様みたいな男であっても褒められれば悪い気はしませんね)

(一言余計だ!)

 まったく、素直に褒めさせてもくれんのか……

 ちなみに温泉宿と言えば着物だが、ちゃんとした着物はひとりで着るのはとても難しかったりする。特に帯の部分はいろんな結び方があるうえに、他の人に手伝ってもらったり、結構な経験を積まないと駄目だったりする。

 だが、最近ではセパレート着物やワンタッチ帯という一人でも簡単に着ることができる着物などが販売されている。一番面倒な帯の部分がすでに結ばれた状態になっていて、ワンタッチで取り外しができるというものだ。

 こっちの異世界だったら帯がワンタッチかどうかなんて細かくは見られないだろうしな。

「何も食べてないしお腹が空いただろ。今日の仕事はもう終わるからみんなでご飯にしよう」

「そ、それは駄目だぞ! ただでさえ昨日はあんなに素晴らしい温泉というものに入れさせてもらえたというのに、まだ私は何も返せていない! せめて少しは働かせてくれ!」

 ……なんか考え方が骨の髄までブラック企業に染められているな。勇者なのに今までどれだけ働かされてきたのかがよくわかる。

「フィアナ、頑張るのは明日からでいい。今までどうだったのかは分からないが、ここではみんなちゃんと休みをとってもらう。人生は仕事だけじゃないんだ、日々の生活も楽しまなくちゃ駄目だぞ」

「おお……」

 いや、別にいいことを言ったつもりなんてこれっぽっちもないんだけれど、めちゃくちゃ感動しているんだが……今までどれだけ辛かったんだろう。

 なんだかフィアナが不憫すぎて、さすがに同情するぞ。

「ほら、おいしいご飯を作ったからな。これを食べて元気を出して、明日から頑張ってくれていいからな」

「うう……ヒトヨシさん、ありがとう……」

 勇者がガチ泣きしている……

 うん、おいしいご飯を食べてもらい、元気を出してもらうとしよう。
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