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夢と現実の交わるところ
第五日
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第五日
海に、はいると姿が変わってしまった彼女とどう接すればいいのか少し戸惑いながらも、俺は今日も同じように海にいく。
彼女のことが知りたい。そしてなによりも逢いたい。
「今日も出かけるの? いったい毎日毎日同じ時間にどこにいっているの?」
玄関で靴を履いていると、背後から母の声がした。
振り返ると、洗濯物のつまったかごを持った母が、不思議そうに俺を見ている。
「ちょっと海に……」
「また海へいきだしたの? 小さい頃からあなたはほんとに水が好きなのね」
そういいながら母はベランダのほうへ消えていった。
浜では、いつもの場所に彼女がたっていた。
彼女はどこから見ても、ただ美しい女の人に見える。ひょっとしたら、あの美しさも人魚だからこそなのだろうか。そんなことを考えながら、彼女に近づいていく。
俺の足音が聞こえたのか彼女が振り向いた。
目があって、でもどうしたらいいのかわからなくて、俺はたち止まりうつむいてしまった。
ちょっとして顔を上げると、彼女が俺に近づくのをためらいながらもそばにくるのが見えた。
「今日はきてくれないかと思ってた……」
俺の近くにまでくると、彼女が静かにいった。
そのようすに、昨日のことはやっぱり現実だったんだなと思う。
俺は、彼女の顔を見た。今までとなにも変わっていない。
なんていえばいいのかわからなかったから、俺はただ彼女を見つめるしか出来ずにたちつくす。。
「最後まで隠し切るつもりだったんだけど、やっぱり無理だったなぁ」
なにもいわずにいる俺から、一度視線をはずして冗談っぽく笑いながらいった彼女。
その言葉を聞いて、彼女は俺との最後を早々に考えながら、俺との時間を過ごしてきたのかと思い、なんだか悲しくなった。
「あんな私が嫌ならそういってくれていいんだよ……?」
黙りこくっている俺に、ほがらかなほほえみを俺に向けながら彼女はそういった。
それがかえってつらそうに見える。
「俺……今はちょっと戸惑ってて、前みたいに出来ていないけど、ことねのこと嫌なんて思ってないよ」
そういった俺を彼女はじっと見つめてきた。
彼女のその瞳には俺がさらになにかいうことを期待しているようだ。
しかしなにをいえばいいのか、悩んでいる俺の頭に浮かんだのは、ずっと彼女に対して抱いていた気持ちだけだった。
「俺、もっとことねのことが知りたいんだ」
「私のこと?」
「だって、いつも俺の話しを聞いているばかりで、自分のことなんて、ほとんど話してくれなかったじゃないか」
彼女はしばらく考えるように首をかしげた後、決意したようにうなづくと、砂浜に腰をおろした。
俺もそのとなりに腰をおろすと彼女が話し始めた。
「私はね、もうわかっていると思うけど、人魚なの。少し前までは、またもうちょっと違うものだったんだけど、なんであったのかは、秘密ね。私のことっていっても、特に話すようなことなんて、これといってないよ。今まで平凡に暮らしてきたし、まあ、人のいう平凡な暮らしとは、ちょっと異なると思うけど。後は、水から離れられるのは、だいたい一時間だけ。それ以上離れていると苦しくて仕方なくなるの。それくらいかな」
彼女はそこまで話すと、俺のほうを見た。
俺はなにかかける言葉を探したが、いい言葉が思いつかなかった。
「泳ごう」
気づくと俺はそういっていた。
彼女はただ見ひらいた目で俺を見ていた。
「一緒に海を泳ごう」
そういった俺に彼女はこくりとうなずいた。
なぜ泳ぐという言葉が飛び出してきたのかわからなかったけれど、彼女と海を泳いだらきっと楽しいだろう。
それに、海は彼女の世界だ。彼女のことを知るのなら、海の中のほうがいいに決まっている。
彼女と午後に一緒に泳ぐ約束をすると、特に話すこともみつからず、少し気まずい雰囲気を残したまま別れた。
水着をはき、上にTシャツを着て、鞄にタオルとのみものをつめて、俺は家を出た。
朝逢ったとき、彼女といつもと同じように話せなかった。
自分は彼女が人魚だということを、早々に受けいれていたと思ったのに、やはり、どこか戸惑いもあったみたいだ。
彼女はなにも変わっていない、ただ、俺が今まで知らなかった部分を知っただけ。それは、わかっている。けど、俺はそれ以外だって、彼女のことをなにも知らないままだ。
出来ることなら、もっと、彼女のことを知りたい。
それは、やはり彼女のことが好きだからだと思う。
そんなことを考えている間に、いつもの浜辺が見えてきた。
そこには、もう彼女がきていて、座って俺が来るのを待っている後ろ姿がどこか儚く見える。
「ごめん、待った?」
近づいていっても、彼女が気づく気配はなく、彼女の後ろで一呼吸置いて、ようやくそう声をかけることが出来た。
振り向いた彼女は、涙を流していた。
その顔は涙を流していることに気づいていないようだった。だから、俺は泣いていると気づくのに一瞬でも時間がかかってしまう。
その顔はあまりにも美しかった。
「なんで泣いているの?」
しばらく見つめあった後に言葉が自然に口をついて出ていた。
「え?」
そういって、手をほほにあてた彼女は濡れていることに気づき、あわててそれをぬぐった。
どうやら、自分が涙を流していることに、本当に気づいていなかったようだ。
「わかんない。昔のことを思い出して、今のことを思い返して、これからのことをただ考えていただけなんだけど」
涙をふき終わり、彼女はごまかすように笑いながらそういった。
「悩みがあるんなら、話しぐらい聞くよ」
「大丈夫。それより泳ごう」
俺の言葉にそう答えると彼女はたち上がり、さっさと海に向かってしまった。
服を脱いで鞄とともに置くと、俺は後を追いかけた。
波打ちぎわで彼女はたち止まり振り返る。
俺が追いかけてきていることを確認すると、波の中に、一、二と跳ねるように進み、三、と大きく飛び上がり、海の中に飛びこんだ。
俺も彼女の後を追いかけ海の中にはいっていく。
彼女が顔を出したのは、浜から二十メートルほど離れたところだった。
俺の顔を一度確認すると彼女はまた海の中に消えてしまう。
さすが人魚だ。一瞬のうちにあんなに遠くまで泳いでいくなんて。そんなことをぼーっと考えながら進んでいくと、
「わっ!」
彼女がいきなり目の前から飛び出してきたものだから、俺は驚いて後ろにこけてしまった。
海の中に浮かぶ俺の手をとり、ヒレのある彼女はすいすいと沖に向かって泳いでいく。
この感じ……。
俺は思った。
この感じを俺は以前にも味わったことがある。
泳ぎのうまい誰かに以前にもこうやって手を引かれ、自分で泳ぐよりももっと早く水の中を突っ切ったことが。
俺が苦しくなってきたのがわかっているみたいなタイミングで彼女は止まり、水面から顔を出した。
俺は大きく息を吸った。肩が自然と上下してしまう。
そんな俺を見て彼女が心配そうに声をかけてきた。
「大丈夫? ごめんね。苦しかったよね」
首を横に振り、息を整える。
「全然平気。それにしてもやっぱり早いな」
そういいながら笑いかけると、彼女はてれ笑いになりながらも、少し誇らしそうだ。
「人魚なんだもん。もっと速く泳ぐことも出来るよ」
そういって胸を張る彼女。
自分のテリトリーにきたからか、いつもよりも無邪気で無防備で自由に見える。そんな彼女がとても愛おしく思えた。
「もっと速く泳いでみてよ」
「じゃあ、私の首にちゃんとつかまっててね」
そういって俺に背中を向ける。
なりゆきではあれ、後ろから彼女に抱きつく形になってしまうことに少し戸惑いつつも、肩のあたりに腕を回した。
「息を吸って」
俺が息を止めると、彼女は一メートルほど潜って、すごい勢いで泳ぎ出した。
体全体で水の流れを感じる。
やはり、それも以前に感じたことのあるものだった。
誰と、どこでなんだろう?
俺は記憶の糸をたぐった。
それは、こんな広いところでも、深いところでもなく、プールとかでもなかったはずだ。緑がある自然の中だったように思う。
ぼやけながらもその場所が浮かび、人も浮かぶのだが、まったくはっきりしない。
まだ息に余裕があったのに、彼女がスピードを落とし水面に向かった。俺の記憶の糸もそこで途切れた。
彼女の肩から腕をはずし、たち泳ぎしながら、彼女の姿を見る。
振り返った彼女は、顔にかかってしまった髪を耳にかける。水滴が反射して、きらきらと輝いて見える彼女は、陸の上にいるときよりも魅力的だ。
「どうだった?」
「速かった」
彼女に見とれていた俺は、彼女の問いになんともありきたりな返事をしていた。
それでも彼女は満足そうに笑う。
「けっこう遠くまできたけれど、もう少しいく? それとも、浜に戻る?」
その言葉に振り返ると浜からだいぶ離れてしまっていることを知る。
帰りは自分でゆっくりと泳いで帰ることにした。
泳ぎながら彼女は今まで見てきた海の話をしてくれた。沖縄のサンゴ礁の話や、他にも綺麗な海の話を本当にいきいきと話してくれる。
体力にはそこそこ自信のある俺だったが、かなりの距離だったので最後は彼女に手を引いてもらうという少し情けない結果になってしまった。
浜に上がった俺はくたくたで、しばらく転がって休むことにした。彼女は転がる俺の横に人間の姿で座った。
「俺、さっき手を引かれて泳いだりした時、前にもこんなことがあった気がしたんだ」
なんとなく、俺はそのことを話した。
「どこでなのかも、誰とだったのかも全然思い出せないんだけど、大切な記憶だったような気がするんだ」
ついさっきまではそこまで思ってなかった。だけど、彼女に話してみると、そんな気がしてきたんだ。
あの毎日見る夢も、この記憶も、ぼやけてしまってわからない。けれど、思い出すべきことのような気がしてくる。
「思い出せないのなら、無理に思い出さなくてもいいんじゃないかな? その記憶もあのよく見る夢も。前はなにか意味があるかもって、大事にしてっていったけど、大切な記憶は心の奥にしまったままでもいいんじゃないかなって最近思ったんだ。記憶の箱をあけたら、それが壊れちゃうかもしれない。しまったままのほうがよかったと思うかもしれない。大切な記憶はそのままに、今の楽しい記憶を、また大切にしまっていったらいいんじゃないかな」
彼女の言葉に、しまっているだけじゃなくて、やっぱり壊れてしまったとしても今必要なら、あけてみなければいけないんじゃないかと反論しようとしたが、起き上って彼女の顔を見たらとてもいえなかった。
彼女はただ静かにまた涙を流していたのだ。
悲しいとか、つらいとかではなくて、なにかをあきらめることを決意したような顔だった。
涙を流す彼女は、ただまっすぐに海を見つめている。そんな彼女がどうしようもなく儚げで、壊れてしまいそうで、なおかつ美しかった。
そんな彼女に俺はただ見とれることしか出来なかった。
しばらくすると、彼女は涙をぬぐって、俺の顔を見てほほえんだ。
「なんか今日は泣いてばかりかも」
なんでもないようにそういって、彼女はてれ笑いを浮かべる。
「ただいま」
「おかえり。ごはん出来てるわよ」
「うん、先にシャワー浴びてくる」
彼女とは、海にはいったり出たりしながら、今までよりもうーんと長く話しをした。
人の生活がどういうものかを彼女は知りたがった。俺は答えられるかぎり答えた。学校の話や、友達と行ったカラオケボックスやボーリング場の話。彼女はとてもいきたそうにしていた。
シャワーを浴びてリビングにいくと、食卓にはご飯の用意がしてあり、俺が席に座ると母も向かいに座った。
「いただきます」
手をあわせいつものようにそういった。母もそれに続く。
母は、テレビのニュースでやっていた話や、近所の奥さんに聞いてきた他愛もない話を、食べものをのみこんではやけに楽しそうに話す。
半分も真剣に聞いちゃいないが、適当にあいづちを打つ俺。
「俺ってさ、海とかプール以外で泳いだことある?」
母の話しが一段落したのを見計らって俺は聞いた。
自分がよく覚えていない程昔のことなら、母に聞けばなにかヒントになるようなことを教えてくれるかもしれないと思ったのだ。
「そうねぇ……」
手をほほにあてて考える母。
しばらくまつと、あっといってなにかを思い出したようだった。
「この町に引っ越してくる前、おばあちゃんの家に住んでいたでしょ。その近くに森があって川が流れてたのよ。あなたそこによく泳ぎにいっていたわよ。友達が待ってるんだっていって」
そういえば、この町に引っ越してきたのは小学校に上がる少し前だったという話しを聞いたことがある。断片的にだが、新しい家に驚いたことなど覚えていることがある。
じゃあ、あの記憶は前の町でのその友達との記憶なのだろうか?
俺は母に礼をいうと、食器を片づけ自分の部屋にはいった。
川かぁ……。
ベッドに寝転がって考えてみる。
なんとなくその森や川の雰囲気を覚えているような気がする。
すべてはつながっている気がした。もう少しでつながっていきそうなのに、まだなにかがたりていない。
なにがたりていないんだ?
海に、はいると姿が変わってしまった彼女とどう接すればいいのか少し戸惑いながらも、俺は今日も同じように海にいく。
彼女のことが知りたい。そしてなによりも逢いたい。
「今日も出かけるの? いったい毎日毎日同じ時間にどこにいっているの?」
玄関で靴を履いていると、背後から母の声がした。
振り返ると、洗濯物のつまったかごを持った母が、不思議そうに俺を見ている。
「ちょっと海に……」
「また海へいきだしたの? 小さい頃からあなたはほんとに水が好きなのね」
そういいながら母はベランダのほうへ消えていった。
浜では、いつもの場所に彼女がたっていた。
彼女はどこから見ても、ただ美しい女の人に見える。ひょっとしたら、あの美しさも人魚だからこそなのだろうか。そんなことを考えながら、彼女に近づいていく。
俺の足音が聞こえたのか彼女が振り向いた。
目があって、でもどうしたらいいのかわからなくて、俺はたち止まりうつむいてしまった。
ちょっとして顔を上げると、彼女が俺に近づくのをためらいながらもそばにくるのが見えた。
「今日はきてくれないかと思ってた……」
俺の近くにまでくると、彼女が静かにいった。
そのようすに、昨日のことはやっぱり現実だったんだなと思う。
俺は、彼女の顔を見た。今までとなにも変わっていない。
なんていえばいいのかわからなかったから、俺はただ彼女を見つめるしか出来ずにたちつくす。。
「最後まで隠し切るつもりだったんだけど、やっぱり無理だったなぁ」
なにもいわずにいる俺から、一度視線をはずして冗談っぽく笑いながらいった彼女。
その言葉を聞いて、彼女は俺との最後を早々に考えながら、俺との時間を過ごしてきたのかと思い、なんだか悲しくなった。
「あんな私が嫌ならそういってくれていいんだよ……?」
黙りこくっている俺に、ほがらかなほほえみを俺に向けながら彼女はそういった。
それがかえってつらそうに見える。
「俺……今はちょっと戸惑ってて、前みたいに出来ていないけど、ことねのこと嫌なんて思ってないよ」
そういった俺を彼女はじっと見つめてきた。
彼女のその瞳には俺がさらになにかいうことを期待しているようだ。
しかしなにをいえばいいのか、悩んでいる俺の頭に浮かんだのは、ずっと彼女に対して抱いていた気持ちだけだった。
「俺、もっとことねのことが知りたいんだ」
「私のこと?」
「だって、いつも俺の話しを聞いているばかりで、自分のことなんて、ほとんど話してくれなかったじゃないか」
彼女はしばらく考えるように首をかしげた後、決意したようにうなづくと、砂浜に腰をおろした。
俺もそのとなりに腰をおろすと彼女が話し始めた。
「私はね、もうわかっていると思うけど、人魚なの。少し前までは、またもうちょっと違うものだったんだけど、なんであったのかは、秘密ね。私のことっていっても、特に話すようなことなんて、これといってないよ。今まで平凡に暮らしてきたし、まあ、人のいう平凡な暮らしとは、ちょっと異なると思うけど。後は、水から離れられるのは、だいたい一時間だけ。それ以上離れていると苦しくて仕方なくなるの。それくらいかな」
彼女はそこまで話すと、俺のほうを見た。
俺はなにかかける言葉を探したが、いい言葉が思いつかなかった。
「泳ごう」
気づくと俺はそういっていた。
彼女はただ見ひらいた目で俺を見ていた。
「一緒に海を泳ごう」
そういった俺に彼女はこくりとうなずいた。
なぜ泳ぐという言葉が飛び出してきたのかわからなかったけれど、彼女と海を泳いだらきっと楽しいだろう。
それに、海は彼女の世界だ。彼女のことを知るのなら、海の中のほうがいいに決まっている。
彼女と午後に一緒に泳ぐ約束をすると、特に話すこともみつからず、少し気まずい雰囲気を残したまま別れた。
水着をはき、上にTシャツを着て、鞄にタオルとのみものをつめて、俺は家を出た。
朝逢ったとき、彼女といつもと同じように話せなかった。
自分は彼女が人魚だということを、早々に受けいれていたと思ったのに、やはり、どこか戸惑いもあったみたいだ。
彼女はなにも変わっていない、ただ、俺が今まで知らなかった部分を知っただけ。それは、わかっている。けど、俺はそれ以外だって、彼女のことをなにも知らないままだ。
出来ることなら、もっと、彼女のことを知りたい。
それは、やはり彼女のことが好きだからだと思う。
そんなことを考えている間に、いつもの浜辺が見えてきた。
そこには、もう彼女がきていて、座って俺が来るのを待っている後ろ姿がどこか儚く見える。
「ごめん、待った?」
近づいていっても、彼女が気づく気配はなく、彼女の後ろで一呼吸置いて、ようやくそう声をかけることが出来た。
振り向いた彼女は、涙を流していた。
その顔は涙を流していることに気づいていないようだった。だから、俺は泣いていると気づくのに一瞬でも時間がかかってしまう。
その顔はあまりにも美しかった。
「なんで泣いているの?」
しばらく見つめあった後に言葉が自然に口をついて出ていた。
「え?」
そういって、手をほほにあてた彼女は濡れていることに気づき、あわててそれをぬぐった。
どうやら、自分が涙を流していることに、本当に気づいていなかったようだ。
「わかんない。昔のことを思い出して、今のことを思い返して、これからのことをただ考えていただけなんだけど」
涙をふき終わり、彼女はごまかすように笑いながらそういった。
「悩みがあるんなら、話しぐらい聞くよ」
「大丈夫。それより泳ごう」
俺の言葉にそう答えると彼女はたち上がり、さっさと海に向かってしまった。
服を脱いで鞄とともに置くと、俺は後を追いかけた。
波打ちぎわで彼女はたち止まり振り返る。
俺が追いかけてきていることを確認すると、波の中に、一、二と跳ねるように進み、三、と大きく飛び上がり、海の中に飛びこんだ。
俺も彼女の後を追いかけ海の中にはいっていく。
彼女が顔を出したのは、浜から二十メートルほど離れたところだった。
俺の顔を一度確認すると彼女はまた海の中に消えてしまう。
さすが人魚だ。一瞬のうちにあんなに遠くまで泳いでいくなんて。そんなことをぼーっと考えながら進んでいくと、
「わっ!」
彼女がいきなり目の前から飛び出してきたものだから、俺は驚いて後ろにこけてしまった。
海の中に浮かぶ俺の手をとり、ヒレのある彼女はすいすいと沖に向かって泳いでいく。
この感じ……。
俺は思った。
この感じを俺は以前にも味わったことがある。
泳ぎのうまい誰かに以前にもこうやって手を引かれ、自分で泳ぐよりももっと早く水の中を突っ切ったことが。
俺が苦しくなってきたのがわかっているみたいなタイミングで彼女は止まり、水面から顔を出した。
俺は大きく息を吸った。肩が自然と上下してしまう。
そんな俺を見て彼女が心配そうに声をかけてきた。
「大丈夫? ごめんね。苦しかったよね」
首を横に振り、息を整える。
「全然平気。それにしてもやっぱり早いな」
そういいながら笑いかけると、彼女はてれ笑いになりながらも、少し誇らしそうだ。
「人魚なんだもん。もっと速く泳ぐことも出来るよ」
そういって胸を張る彼女。
自分のテリトリーにきたからか、いつもよりも無邪気で無防備で自由に見える。そんな彼女がとても愛おしく思えた。
「もっと速く泳いでみてよ」
「じゃあ、私の首にちゃんとつかまっててね」
そういって俺に背中を向ける。
なりゆきではあれ、後ろから彼女に抱きつく形になってしまうことに少し戸惑いつつも、肩のあたりに腕を回した。
「息を吸って」
俺が息を止めると、彼女は一メートルほど潜って、すごい勢いで泳ぎ出した。
体全体で水の流れを感じる。
やはり、それも以前に感じたことのあるものだった。
誰と、どこでなんだろう?
俺は記憶の糸をたぐった。
それは、こんな広いところでも、深いところでもなく、プールとかでもなかったはずだ。緑がある自然の中だったように思う。
ぼやけながらもその場所が浮かび、人も浮かぶのだが、まったくはっきりしない。
まだ息に余裕があったのに、彼女がスピードを落とし水面に向かった。俺の記憶の糸もそこで途切れた。
彼女の肩から腕をはずし、たち泳ぎしながら、彼女の姿を見る。
振り返った彼女は、顔にかかってしまった髪を耳にかける。水滴が反射して、きらきらと輝いて見える彼女は、陸の上にいるときよりも魅力的だ。
「どうだった?」
「速かった」
彼女に見とれていた俺は、彼女の問いになんともありきたりな返事をしていた。
それでも彼女は満足そうに笑う。
「けっこう遠くまできたけれど、もう少しいく? それとも、浜に戻る?」
その言葉に振り返ると浜からだいぶ離れてしまっていることを知る。
帰りは自分でゆっくりと泳いで帰ることにした。
泳ぎながら彼女は今まで見てきた海の話をしてくれた。沖縄のサンゴ礁の話や、他にも綺麗な海の話を本当にいきいきと話してくれる。
体力にはそこそこ自信のある俺だったが、かなりの距離だったので最後は彼女に手を引いてもらうという少し情けない結果になってしまった。
浜に上がった俺はくたくたで、しばらく転がって休むことにした。彼女は転がる俺の横に人間の姿で座った。
「俺、さっき手を引かれて泳いだりした時、前にもこんなことがあった気がしたんだ」
なんとなく、俺はそのことを話した。
「どこでなのかも、誰とだったのかも全然思い出せないんだけど、大切な記憶だったような気がするんだ」
ついさっきまではそこまで思ってなかった。だけど、彼女に話してみると、そんな気がしてきたんだ。
あの毎日見る夢も、この記憶も、ぼやけてしまってわからない。けれど、思い出すべきことのような気がしてくる。
「思い出せないのなら、無理に思い出さなくてもいいんじゃないかな? その記憶もあのよく見る夢も。前はなにか意味があるかもって、大事にしてっていったけど、大切な記憶は心の奥にしまったままでもいいんじゃないかなって最近思ったんだ。記憶の箱をあけたら、それが壊れちゃうかもしれない。しまったままのほうがよかったと思うかもしれない。大切な記憶はそのままに、今の楽しい記憶を、また大切にしまっていったらいいんじゃないかな」
彼女の言葉に、しまっているだけじゃなくて、やっぱり壊れてしまったとしても今必要なら、あけてみなければいけないんじゃないかと反論しようとしたが、起き上って彼女の顔を見たらとてもいえなかった。
彼女はただ静かにまた涙を流していたのだ。
悲しいとか、つらいとかではなくて、なにかをあきらめることを決意したような顔だった。
涙を流す彼女は、ただまっすぐに海を見つめている。そんな彼女がどうしようもなく儚げで、壊れてしまいそうで、なおかつ美しかった。
そんな彼女に俺はただ見とれることしか出来なかった。
しばらくすると、彼女は涙をぬぐって、俺の顔を見てほほえんだ。
「なんか今日は泣いてばかりかも」
なんでもないようにそういって、彼女はてれ笑いを浮かべる。
「ただいま」
「おかえり。ごはん出来てるわよ」
「うん、先にシャワー浴びてくる」
彼女とは、海にはいったり出たりしながら、今までよりもうーんと長く話しをした。
人の生活がどういうものかを彼女は知りたがった。俺は答えられるかぎり答えた。学校の話や、友達と行ったカラオケボックスやボーリング場の話。彼女はとてもいきたそうにしていた。
シャワーを浴びてリビングにいくと、食卓にはご飯の用意がしてあり、俺が席に座ると母も向かいに座った。
「いただきます」
手をあわせいつものようにそういった。母もそれに続く。
母は、テレビのニュースでやっていた話や、近所の奥さんに聞いてきた他愛もない話を、食べものをのみこんではやけに楽しそうに話す。
半分も真剣に聞いちゃいないが、適当にあいづちを打つ俺。
「俺ってさ、海とかプール以外で泳いだことある?」
母の話しが一段落したのを見計らって俺は聞いた。
自分がよく覚えていない程昔のことなら、母に聞けばなにかヒントになるようなことを教えてくれるかもしれないと思ったのだ。
「そうねぇ……」
手をほほにあてて考える母。
しばらくまつと、あっといってなにかを思い出したようだった。
「この町に引っ越してくる前、おばあちゃんの家に住んでいたでしょ。その近くに森があって川が流れてたのよ。あなたそこによく泳ぎにいっていたわよ。友達が待ってるんだっていって」
そういえば、この町に引っ越してきたのは小学校に上がる少し前だったという話しを聞いたことがある。断片的にだが、新しい家に驚いたことなど覚えていることがある。
じゃあ、あの記憶は前の町でのその友達との記憶なのだろうか?
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(な、何これ……汚すぎるわ! 雑巾とブラシはどこ!?)
実は、彼女が「無能」と言われていたのは、その力が『洗浄』と『浄化』に特化した特殊な聖女の魔力だったから。
レティシアが掃除をすれば、呪いの瘴気は消え去り、枯れた大地には花が咲き、不気味だった公爵城はまたたく間にピカピカの聖域に塗り替えられていく。 さらには、呪いで苦しんでいたアレクシスの素顔は、見惚れるほどの美青年で――。
「レティシア、君は一体何者なんだ……? 体が、こんなに軽いのは初めてだ」
冷酷だったはずの公爵様から、まさかの執着と溺愛。 さらには、呪いが解けたことで領地は国一番の豊かさを取り戻していく。
一方で、レティシアを捨てた実家は、彼女の『浄化』を失ったことで災厄に見舞われ、今さら「戻ってきてくれ」と泣きついてくるが……。
「私は今、お城の掃除と旦那様のお世話で忙しいんです。お引き取りくださいませ」
これは、掃除を愛する薄幸令嬢が、その愛と魔力で死神公爵を救い、最高に幸せな居場所を手に入れるまでのお話。
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