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季節は巡り、霧生が人間になってから一年が経った。大和もなんとか進級し、今年は就活も進めていかねばならない。
戸籍の取得にはやはり時間がかかったが、大和の両親の伝手で頼んだ弁護士のお陰で手続きは順調に進み、今では正式に「霧生」という名で戸籍が登録されている。書類上の「両親」の欄は空白のままで、名字もないが、それでも一人の人間として存在を認められるというのは、やっと大和の家族になれた気がして嬉しかった。
「お前、もうすっかり人間の生活に慣れたよな」
スーパーで買い物をしながら大和が何気なく言うと、霧生は小さく首を傾げる。
「飯は箸で三食しっかり食うし、風呂も毎日入るし……あんなに最初は色々やらかしてたのにな」
「……最初は?」
「手掴みで食おうとするし、風呂は水浴びだったし、裸のまま外に出ようとするし?」
「……ふむ」
「あと、満月の夜は——」
言いかけて大和が口を噤む。霧生はバツが悪そうに軽く咳払いをして、少しだけ歩みを速めた。
レジへ向かう前に雑誌コーナーの前を通りかかる。大和がふと視線を向けた瞬間、そこで見慣れた顔が目に入った。
「……お」
思わず足を止める。平積みにされたファッション誌。その表紙に、霧生の顔が大きく載っていた。銀髪を無造作に流し、鋭い眼差しでカメラを見つめる霧生。思わずページをめくると、数ページにわたって特集が組まれている。
「お前、めちゃくちゃカッコつけてんな」
大和が笑いながら言うと、霧生が隣で雑誌を覗き込む。
「カメラマンの指示に従っただけだ」
「そうかよ。すっかりカリスマモデルみてぇな顔してんぞ」
霧生は、街でスカウトされて以来、駆け出しのモデルをしている。本人にその気はなかったのだが、「せっかくの美貌を活かさないのはもったいない」とスカウトマンに熱心に口説かれ、大和も「人間としてちゃんと生活するために仕事は必要だから」と後押しした。
元々顔立ちが整っている上に、どこか神秘的な雰囲気を持つ霧生を、世間が見逃すはずがなかった。今では業界でも注目されつつあり、こうして雑誌に載る機会も増えてきたらしい。そのため今もウィッグとサングラスを着け、目深に帽子を被って目立たないようにしている。
「モデルの仕事は楽しいか?」
「着替えるのが面倒くさい。でも稼げる」
「ファンが聞いたら泣くぞ」
そう言って、大和は真顔で雑誌を見つめた。随分と有名な雑誌に載るようになったものだ。
「……まあ、お前がちゃんとやってるならいいけど」
そう言いながら、雑誌を棚に戻す。正直、霧生がどんどん世間に知られていくのは、少しモヤモヤする時もある。霧生は俺だけの霧生だったのに——なんてことは、ダサいから言わないけれど。
「大和、買わないのか?」
「買わねぇよ。お前の顔はいつでもいくらでも見れるし」
大和がすたすたとレジへ向かうと、霧生が後をついてくる。霧生の載った雑誌をこっそり集めているのは、大和だけの秘密なのだ。
スーパーを後にし、二人は並んで帰路についた。その道すがら、大和はなんとなく霧生の手を握る。
言葉はなく、ただ手を繋ぐだけ。大和から恋人らしい仕草をするのは珍しく、霧生は少し驚いたように目を瞬かせたが、すぐに嬉しそうに指を絡めてきた。
(……まあ、いいか。)
霧生がどれだけ世間に知られようと、どれだけ人の目を引こうと。
霧生の隣にいるのは、霧生の手を握っているのは、自分なのだから。
そんなことを考えながら、指をなぞるようにさすり、大和は梅雨の気配の混じる、湿った空気を吸い込んだ。
時は経ち、大和が二十歳になった日、二人は朝から実家近くの市役所へと向かった。
「この書類を提出すれば、正式に大和と家族になれるんだな」
霧生の手の中にあるのは、養子縁組の届出書。戸籍を得てから数ヶ月、準備を重ねてきた。
「まあな。んじゃ、一旦実家に帰るぞ」
大和はそう言って、書類をカバンにしまい直す。霧生が何も言わずにじっと書類を見つめているのを見て大和はふっと息を吐くと、ゆっくりと歩き出した。
「おかえり、大和!霧生くんも!」
実家の玄関を開けた瞬間、母が笑顔で迎え入れた。父も陸人も揃っていて、既にテーブルには大皿料理が並んでいる。
「ただいま……って、ちょっと、何だこれ」
「大和の成人のお祝いに決まってるでしょう!」
母は当然のように言う。大和は苦笑しながらも、心がぽかぽかと温かくなるのを感じた。
「で、貰ってきたのか」
父の問いに大和は頷いて、先ほどカバンにしまった封筒を取り出す。
「これ、養子縁組の届。証人欄に名前を書いてほしい」
霧生と家族になるために、父と母に証人になってもらいたい。大和は前もって二人にそう伝えていた。父は真剣な表情で封筒を受け取る。母もそっと覗き込み、向き合った。
「大和、霧生くんのこと、本気なのね」
「うん。生涯霧生と一緒に生きていくつもりだ」
後ろにいた霧生が大和の腹に腕を回し、ぎゅっと抱き着いてくる。普段なら離れろと騒ぐ大和だが、今はその腕にそっと手を重ねた。
「霧生くんはモデルとして大事な時期だと思うけど、今なのね?」
「俺はモデルである前に大和の伴侶だ。大和以上に大切なものはない」
「そう」
母はふぅっと息を吐いて、カチッとボールペンの芯を出した。
「二人が本気なら、私が反対する理由なんてないわ」
「藤崎霧生、か……いい名前だな」
父も頷きながらぼそりと呟く。そして母と一緒に証人欄にサインをした。
紙の上に並ぶ“藤崎霧生”の名前を見つめる。霧生が人間になって二人で想いを確かめてから今まで、生涯添い遂げると心に決めていた。けれど、こうして改めて正式な書面でその名前を見ると、本当に“家族”になるのだと肌で実感する。大和の胸の奥にじんわりと温かいものが広がる。嬉しくて、安心して、口元が緩むのが堪えられない。
「ありがと……」
俯いたまま礼を言うと、霧生も両親も、陸人も皆嬉しそうに小さく笑った。
「さーて、早く提出しに行きたいだろうけど、先にご飯にしない?」
母が手を叩いて立ち上がる。返事をするように霧生の腹の虫が大きく鳴り、満場一致で食事の時間となった。
食事を終えると、霧生がトイレに行くと言って席を立った。それを見送ると、大和はおもむろにカバンを探り始める。先ほどの養子縁組の届が入っていたのと同じ封筒を取り出し、三人に改めて向き直った。
「……実はもう一つ、お願いがあるんだけど。今度は陸人にも」
「なあに?」
母が穏やかに問いかける。大和は唾を飲み込みながら、テーブルに書類を置いた。
「これも……証人になってほしい」
母が封筒を開き、中の書類を確認すると、目を丸くした。
「……婚姻届?」
父と陸人も目を通し、驚いたように眉を上げる。
「養子縁組っていう形になったけど……本当の俺らは伴侶だから」
「大和……」
「……実は、前から考えてたんだ。受理してもらえないのはわかってるんだけど、どうしても、その、自分の中のケジメとして持っておきたくて」
母が感慨深げに微笑む。父も、少し口元を緩めた。
「兄貴、ここ、証人欄って二人しか書くところないよ?俺どこに書けばいい?」
「三人目は枠外に書くんだと。悪いけど、空いてるとこに書いてくれ」
「わかった!」
そもそも本当は未成年者は証人になれないのだ。しかし、どうせ今提出するわけでもない。霧生を新しい家族として受け入れ、歓迎してくれた三人。これからもずっと見守ってほしいという願いを込めて、頼んだのだ。
三人は霧生が戻ってくる前にと急いで記入してくれた。
「せっかくなんだから式も挙げましょうよ。家族だけでもいいから」
記入済みの婚姻届をカバンにもう一度しまいながら、大和はこめかみをぽりぽりと掻く。
「それも一応考えてて……招待したい人が二人いるんだ」
「あら。いいじゃない」
「そのあたりは、まだ霧生にも話してないし、おいおい決まったら連絡するから」
その時、戻ってきた霧生が四人を見て不審そうに首を傾げた。
「何を話していた?」
「別に、大したことじゃねぇよ。ほら、早く行くぞ」
大和は、ほんの少しだけ笑って立ち上がった。家族に見送られながら、二人はもう一度役所への道を並んで歩く。大和はポケットに片手を突っ込み、ひそかにぎゅっと拳を握った。
市役所での手続きは拍子抜けするほどすぐに終わった。
「確かにお受け取りいたしました。本日より正式に戸籍上、家族ということになります」
その言葉を聞いた瞬間、霧生はゆっくりと息を吐き、大和の手を取ってぎゅっと握った。
「……やっと、大和の家族になれたんだな」
微かに震える声。戸籍の取得から始めて、一年以上かかった。これまでずっと抑えていた感情が遂にあふれたのだろう。大和はそっと霧生を見上げる。霧生はすぐに目を伏せたが、目元がわずかに赤くなっていた。
「おう。やっと、だな」
答える自分の声も滲んでいる。涙腺が緩んでいるのを感じて、思わず笑いそうになりながら、霧生の手を握り返した。そして互いに潤んだ瞳で見つめ合い、くしゃりと笑った。
市役所での手続きを終え、正式に「藤崎霧生」として大和の家族になった霧生。人の目も気にせず手を繋いだまま実家への帰路に就く。
「……なあ、ちょっと寄り道しねぇか?」
とある分かれ道。大和がふと立ち止まり、霧生に問いかけた。
「どこへ?」
「白霧神社」
霧生は少し驚いたように目を瞬かせる。
「お前との思い出の場所だし。……なんとなく、今、行っておきたい」
「行こう」
霧生は深く頷き、大和と並んで歩き出した。
久しぶりに訪れた神社は、以前と変わらず寂れていた。拝殿の柱はところどころ剥げ、鳥居の赤も褪せている。しかし、見慣れない、見事に朱に染まった紅葉の木が一本立っていた。
「こんな時期に、紅葉?」
「……朱峯の神力の象徴だな。今ここは朱峯が管理しているらしいから」
「そっか」
変わっていないと思ったが、霧生という神を失い、ここも変化しているのだ。
子どもの頃、一人でよくここに来た。孤独だった自分にとって、唯一安心できる場所だった。そして、ここで霧生と出会い、約束を交わした。
霧生が今、隣にいるのも——すべて、ここから始まった。
霧生もまた、静かに神社を見上げていた。
「この神社は、俺の“家”だった」
「……うん」
大和は拝殿に向かい、一礼をした。
「色々あったけどさ、お前が人間になって俺と生きるって決めてくれて、本当に良かったと思ってる」
「大和と一緒にいられることが、俺にとって何より幸せだからな」
霧生は静かに大和を見つめる。そしてきゅっと唇を引き結ぶ。瞳には強い決意が浮かんでいた。
「……なあ、霧生」
「なんだ?」
大和はポケットに手を入れ、そっと何かを取り出した。
「左手、出せ」
「……?」
霧生が言われたとおりに手を差し出す。
その指に、大和は小さな銀色の指輪をそっと嵌めた。
「……こ、れは」
驚いたように霧生が目を見開く。
「俺たちは番で、伴侶だから……ちゃんと、形にしたくて」
大和は少し照れくさそうにしながら、もう一つの指輪の箱を取り出す。それを霧生に渡し、「俺にも着けてくれ」と言った。
自分の指に光る同じデザインの指輪を見て、大和が微笑む。
「これからもずっと、一緒にいような」
霧生の手が震える。目元が熱を帯びる。
「……大和」
次の瞬間、霧生が強く大和を抱きしめた。
「愛してる」
耳元で囁かれ、大和は少し顔を赤くしながらも、ぎゅっと抱き返す。
「……俺も、お前を愛してる」
二人の間に爽やかな風が通り抜け、紅葉が枝を揺らした。まるで朱峯に祝福されている気がしたが——彼の嫌味な笑顔が思い浮かんで、大和は気のせいかもしれないと笑った。
しばらく抱きしめ合った後、大和がカバンから封筒を取り出す。
「もう一つ、お前に見せたいものがあって」
書類を広げると、霧生の目が見開かれた。
「……これ」
「婚姻届」
驚いて顔を上げた霧生に、大和が声を出して笑う。
「養子縁組じゃなくて、本当はこっちなのにな」
霧生の心臓が大きく跳ねる。
「いつか本当に夫婦になれる日が来たら——その時は、これを一緒に提出しようぜ」
「……ああ」
霧生の目からは堪えられない涙があふれていた。端正な顔はくしゃくしゃに歪み、鼻水まで垂れている。
「あはは、汚ねぇ顔!」
「大和のせいだ……っ」
持っていたティッシュで顔を拭ってやる。霧生は大人しくされるがままになりながら、大和の服の裾を掴んで離そうとしなかった。
「今度は俺が大和を泣かせる」
「絶対泣かねぇ!」
「……今夜は覚悟しておけ」
「おま……そっちかよ!変態!」
一通り騒いで、笑って、抱き合う。一瞬の静寂の後、二人はただ静かに唇を重ねた。
こうして、孤独だった二人は家族になった。
何も変わらない、けれど、今までとは違う二人の生活が、始まる。
「神の契りは解けない」終わり。
戸籍の取得にはやはり時間がかかったが、大和の両親の伝手で頼んだ弁護士のお陰で手続きは順調に進み、今では正式に「霧生」という名で戸籍が登録されている。書類上の「両親」の欄は空白のままで、名字もないが、それでも一人の人間として存在を認められるというのは、やっと大和の家族になれた気がして嬉しかった。
「お前、もうすっかり人間の生活に慣れたよな」
スーパーで買い物をしながら大和が何気なく言うと、霧生は小さく首を傾げる。
「飯は箸で三食しっかり食うし、風呂も毎日入るし……あんなに最初は色々やらかしてたのにな」
「……最初は?」
「手掴みで食おうとするし、風呂は水浴びだったし、裸のまま外に出ようとするし?」
「……ふむ」
「あと、満月の夜は——」
言いかけて大和が口を噤む。霧生はバツが悪そうに軽く咳払いをして、少しだけ歩みを速めた。
レジへ向かう前に雑誌コーナーの前を通りかかる。大和がふと視線を向けた瞬間、そこで見慣れた顔が目に入った。
「……お」
思わず足を止める。平積みにされたファッション誌。その表紙に、霧生の顔が大きく載っていた。銀髪を無造作に流し、鋭い眼差しでカメラを見つめる霧生。思わずページをめくると、数ページにわたって特集が組まれている。
「お前、めちゃくちゃカッコつけてんな」
大和が笑いながら言うと、霧生が隣で雑誌を覗き込む。
「カメラマンの指示に従っただけだ」
「そうかよ。すっかりカリスマモデルみてぇな顔してんぞ」
霧生は、街でスカウトされて以来、駆け出しのモデルをしている。本人にその気はなかったのだが、「せっかくの美貌を活かさないのはもったいない」とスカウトマンに熱心に口説かれ、大和も「人間としてちゃんと生活するために仕事は必要だから」と後押しした。
元々顔立ちが整っている上に、どこか神秘的な雰囲気を持つ霧生を、世間が見逃すはずがなかった。今では業界でも注目されつつあり、こうして雑誌に載る機会も増えてきたらしい。そのため今もウィッグとサングラスを着け、目深に帽子を被って目立たないようにしている。
「モデルの仕事は楽しいか?」
「着替えるのが面倒くさい。でも稼げる」
「ファンが聞いたら泣くぞ」
そう言って、大和は真顔で雑誌を見つめた。随分と有名な雑誌に載るようになったものだ。
「……まあ、お前がちゃんとやってるならいいけど」
そう言いながら、雑誌を棚に戻す。正直、霧生がどんどん世間に知られていくのは、少しモヤモヤする時もある。霧生は俺だけの霧生だったのに——なんてことは、ダサいから言わないけれど。
「大和、買わないのか?」
「買わねぇよ。お前の顔はいつでもいくらでも見れるし」
大和がすたすたとレジへ向かうと、霧生が後をついてくる。霧生の載った雑誌をこっそり集めているのは、大和だけの秘密なのだ。
スーパーを後にし、二人は並んで帰路についた。その道すがら、大和はなんとなく霧生の手を握る。
言葉はなく、ただ手を繋ぐだけ。大和から恋人らしい仕草をするのは珍しく、霧生は少し驚いたように目を瞬かせたが、すぐに嬉しそうに指を絡めてきた。
(……まあ、いいか。)
霧生がどれだけ世間に知られようと、どれだけ人の目を引こうと。
霧生の隣にいるのは、霧生の手を握っているのは、自分なのだから。
そんなことを考えながら、指をなぞるようにさすり、大和は梅雨の気配の混じる、湿った空気を吸い込んだ。
時は経ち、大和が二十歳になった日、二人は朝から実家近くの市役所へと向かった。
「この書類を提出すれば、正式に大和と家族になれるんだな」
霧生の手の中にあるのは、養子縁組の届出書。戸籍を得てから数ヶ月、準備を重ねてきた。
「まあな。んじゃ、一旦実家に帰るぞ」
大和はそう言って、書類をカバンにしまい直す。霧生が何も言わずにじっと書類を見つめているのを見て大和はふっと息を吐くと、ゆっくりと歩き出した。
「おかえり、大和!霧生くんも!」
実家の玄関を開けた瞬間、母が笑顔で迎え入れた。父も陸人も揃っていて、既にテーブルには大皿料理が並んでいる。
「ただいま……って、ちょっと、何だこれ」
「大和の成人のお祝いに決まってるでしょう!」
母は当然のように言う。大和は苦笑しながらも、心がぽかぽかと温かくなるのを感じた。
「で、貰ってきたのか」
父の問いに大和は頷いて、先ほどカバンにしまった封筒を取り出す。
「これ、養子縁組の届。証人欄に名前を書いてほしい」
霧生と家族になるために、父と母に証人になってもらいたい。大和は前もって二人にそう伝えていた。父は真剣な表情で封筒を受け取る。母もそっと覗き込み、向き合った。
「大和、霧生くんのこと、本気なのね」
「うん。生涯霧生と一緒に生きていくつもりだ」
後ろにいた霧生が大和の腹に腕を回し、ぎゅっと抱き着いてくる。普段なら離れろと騒ぐ大和だが、今はその腕にそっと手を重ねた。
「霧生くんはモデルとして大事な時期だと思うけど、今なのね?」
「俺はモデルである前に大和の伴侶だ。大和以上に大切なものはない」
「そう」
母はふぅっと息を吐いて、カチッとボールペンの芯を出した。
「二人が本気なら、私が反対する理由なんてないわ」
「藤崎霧生、か……いい名前だな」
父も頷きながらぼそりと呟く。そして母と一緒に証人欄にサインをした。
紙の上に並ぶ“藤崎霧生”の名前を見つめる。霧生が人間になって二人で想いを確かめてから今まで、生涯添い遂げると心に決めていた。けれど、こうして改めて正式な書面でその名前を見ると、本当に“家族”になるのだと肌で実感する。大和の胸の奥にじんわりと温かいものが広がる。嬉しくて、安心して、口元が緩むのが堪えられない。
「ありがと……」
俯いたまま礼を言うと、霧生も両親も、陸人も皆嬉しそうに小さく笑った。
「さーて、早く提出しに行きたいだろうけど、先にご飯にしない?」
母が手を叩いて立ち上がる。返事をするように霧生の腹の虫が大きく鳴り、満場一致で食事の時間となった。
食事を終えると、霧生がトイレに行くと言って席を立った。それを見送ると、大和はおもむろにカバンを探り始める。先ほどの養子縁組の届が入っていたのと同じ封筒を取り出し、三人に改めて向き直った。
「……実はもう一つ、お願いがあるんだけど。今度は陸人にも」
「なあに?」
母が穏やかに問いかける。大和は唾を飲み込みながら、テーブルに書類を置いた。
「これも……証人になってほしい」
母が封筒を開き、中の書類を確認すると、目を丸くした。
「……婚姻届?」
父と陸人も目を通し、驚いたように眉を上げる。
「養子縁組っていう形になったけど……本当の俺らは伴侶だから」
「大和……」
「……実は、前から考えてたんだ。受理してもらえないのはわかってるんだけど、どうしても、その、自分の中のケジメとして持っておきたくて」
母が感慨深げに微笑む。父も、少し口元を緩めた。
「兄貴、ここ、証人欄って二人しか書くところないよ?俺どこに書けばいい?」
「三人目は枠外に書くんだと。悪いけど、空いてるとこに書いてくれ」
「わかった!」
そもそも本当は未成年者は証人になれないのだ。しかし、どうせ今提出するわけでもない。霧生を新しい家族として受け入れ、歓迎してくれた三人。これからもずっと見守ってほしいという願いを込めて、頼んだのだ。
三人は霧生が戻ってくる前にと急いで記入してくれた。
「せっかくなんだから式も挙げましょうよ。家族だけでもいいから」
記入済みの婚姻届をカバンにもう一度しまいながら、大和はこめかみをぽりぽりと掻く。
「それも一応考えてて……招待したい人が二人いるんだ」
「あら。いいじゃない」
「そのあたりは、まだ霧生にも話してないし、おいおい決まったら連絡するから」
その時、戻ってきた霧生が四人を見て不審そうに首を傾げた。
「何を話していた?」
「別に、大したことじゃねぇよ。ほら、早く行くぞ」
大和は、ほんの少しだけ笑って立ち上がった。家族に見送られながら、二人はもう一度役所への道を並んで歩く。大和はポケットに片手を突っ込み、ひそかにぎゅっと拳を握った。
市役所での手続きは拍子抜けするほどすぐに終わった。
「確かにお受け取りいたしました。本日より正式に戸籍上、家族ということになります」
その言葉を聞いた瞬間、霧生はゆっくりと息を吐き、大和の手を取ってぎゅっと握った。
「……やっと、大和の家族になれたんだな」
微かに震える声。戸籍の取得から始めて、一年以上かかった。これまでずっと抑えていた感情が遂にあふれたのだろう。大和はそっと霧生を見上げる。霧生はすぐに目を伏せたが、目元がわずかに赤くなっていた。
「おう。やっと、だな」
答える自分の声も滲んでいる。涙腺が緩んでいるのを感じて、思わず笑いそうになりながら、霧生の手を握り返した。そして互いに潤んだ瞳で見つめ合い、くしゃりと笑った。
市役所での手続きを終え、正式に「藤崎霧生」として大和の家族になった霧生。人の目も気にせず手を繋いだまま実家への帰路に就く。
「……なあ、ちょっと寄り道しねぇか?」
とある分かれ道。大和がふと立ち止まり、霧生に問いかけた。
「どこへ?」
「白霧神社」
霧生は少し驚いたように目を瞬かせる。
「お前との思い出の場所だし。……なんとなく、今、行っておきたい」
「行こう」
霧生は深く頷き、大和と並んで歩き出した。
久しぶりに訪れた神社は、以前と変わらず寂れていた。拝殿の柱はところどころ剥げ、鳥居の赤も褪せている。しかし、見慣れない、見事に朱に染まった紅葉の木が一本立っていた。
「こんな時期に、紅葉?」
「……朱峯の神力の象徴だな。今ここは朱峯が管理しているらしいから」
「そっか」
変わっていないと思ったが、霧生という神を失い、ここも変化しているのだ。
子どもの頃、一人でよくここに来た。孤独だった自分にとって、唯一安心できる場所だった。そして、ここで霧生と出会い、約束を交わした。
霧生が今、隣にいるのも——すべて、ここから始まった。
霧生もまた、静かに神社を見上げていた。
「この神社は、俺の“家”だった」
「……うん」
大和は拝殿に向かい、一礼をした。
「色々あったけどさ、お前が人間になって俺と生きるって決めてくれて、本当に良かったと思ってる」
「大和と一緒にいられることが、俺にとって何より幸せだからな」
霧生は静かに大和を見つめる。そしてきゅっと唇を引き結ぶ。瞳には強い決意が浮かんでいた。
「……なあ、霧生」
「なんだ?」
大和はポケットに手を入れ、そっと何かを取り出した。
「左手、出せ」
「……?」
霧生が言われたとおりに手を差し出す。
その指に、大和は小さな銀色の指輪をそっと嵌めた。
「……こ、れは」
驚いたように霧生が目を見開く。
「俺たちは番で、伴侶だから……ちゃんと、形にしたくて」
大和は少し照れくさそうにしながら、もう一つの指輪の箱を取り出す。それを霧生に渡し、「俺にも着けてくれ」と言った。
自分の指に光る同じデザインの指輪を見て、大和が微笑む。
「これからもずっと、一緒にいような」
霧生の手が震える。目元が熱を帯びる。
「……大和」
次の瞬間、霧生が強く大和を抱きしめた。
「愛してる」
耳元で囁かれ、大和は少し顔を赤くしながらも、ぎゅっと抱き返す。
「……俺も、お前を愛してる」
二人の間に爽やかな風が通り抜け、紅葉が枝を揺らした。まるで朱峯に祝福されている気がしたが——彼の嫌味な笑顔が思い浮かんで、大和は気のせいかもしれないと笑った。
しばらく抱きしめ合った後、大和がカバンから封筒を取り出す。
「もう一つ、お前に見せたいものがあって」
書類を広げると、霧生の目が見開かれた。
「……これ」
「婚姻届」
驚いて顔を上げた霧生に、大和が声を出して笑う。
「養子縁組じゃなくて、本当はこっちなのにな」
霧生の心臓が大きく跳ねる。
「いつか本当に夫婦になれる日が来たら——その時は、これを一緒に提出しようぜ」
「……ああ」
霧生の目からは堪えられない涙があふれていた。端正な顔はくしゃくしゃに歪み、鼻水まで垂れている。
「あはは、汚ねぇ顔!」
「大和のせいだ……っ」
持っていたティッシュで顔を拭ってやる。霧生は大人しくされるがままになりながら、大和の服の裾を掴んで離そうとしなかった。
「今度は俺が大和を泣かせる」
「絶対泣かねぇ!」
「……今夜は覚悟しておけ」
「おま……そっちかよ!変態!」
一通り騒いで、笑って、抱き合う。一瞬の静寂の後、二人はただ静かに唇を重ねた。
こうして、孤独だった二人は家族になった。
何も変わらない、けれど、今までとは違う二人の生活が、始まる。
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