作品の裏話や日記

巴雪緒

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ただの日記(あと思ったこと)

薄っぺらい

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(※押し付ける意図などはなく、あくまで個人の考えです。勢いで書いたので無茶苦茶になっています)


ここ数年の間に言葉の厚みが薄く感じるようになった。
会話の内容や物語や曲、言葉を扱うものたちの中身がなく、薄くて何を伝えたかったのか、どうしたいのか本音が見えないことやものが多いと思った。
また皆が時間に追われており、簡単でわかりやすく尚且つ時間が掛からないものを好む傾向になったとも感じる。
あとは「どうしてダメなのか」と問えば「それがルールだから」と答えるような「何故そうなってダメなのか」と詳細を教えてくれなくなった。
個人的に思うことだが、人々は本音で語り合うことが殆どないのではないかと思ってしまう。
某パンデミックがあったからなのかもしれないが、人と人との繋がりが薄い紙切れの様に思える。
少し前オンライン通話をする機会があり、1.2時間ほど喋っていたのだが、相手の人が「人って会話はするけど、対話はしなくなった」と話していたことを思い出した。
SNSで「歌舞伎町のインスタントな関係が楽」などといった発言が流れてきたことがあったが、それが広がるというか歌舞伎町以外の場所でも当たり前になって来ているように思う。
一応言っておくが歌舞伎町のことは嫌いではないし、批判する気もない。
なんなら研究対象にしたかった分野でもある。
自分は大学卒業4ヶ月前に学びたかった分野が『歌舞伎町社会学』だったということが発覚したぐらいだ。
でも実際、数年前に父と行ってみた際は一人で行きたいとは思わない場所であった。現在も一人で行くとなれば躊躇うくらいだ。
話が逸れてしまったが、まとめると人と人との関係は薄っぺらく中身の無いものになっているなと思うことがあるって話だ。

あと、ここ数年生きにくいと感じている。
例えるなら、今のニコニコ動画よりも昔(大体2010年代)のニコニコ動画の方が良かった的なものだと考えていただけたらと思う。
自分は某ファーストフード店のマスコットキャラクターをネタにしたMADや、某知育菓子の宣伝MADや某学習塾の宣伝MADが大好きだった。
ただ当時はパソコンのロックもあって、ニコニコ動画からコメント付きで転載されたものを見ていることが多かった。
それでも、その動画が面白いことには変わりがなかったし、コメント無しで見ても十分に楽しめた。
だがそれから十数年後、それとは別MADにはなるが本家を見ようとニコニコを見ても面白味がなかった。
転載当時に書かれたコメントは無くなっており、新たに書き込まれたものが流れていたが、これが驚くほどに面白くない。
単純にこれはセンスの問題だと考えていたが、どんどん言葉の力というかそういったものが弱くなっているのではないかと思える。
「冗談を見抜くやつは増えたが、冗談を冗談だと楽しめるやつはいなくなった」とSNSに書き込まれていたことを思い出した。

自分はオタクだったこともあって、当時周りから嫌がらせを受けることも多かったが、正直今よりも状況は幸せのはずなのに幸せとは思えない。
自分は一体、どこを生きているのかとふと思う。また自分の書いた物語は薄くないと信じたいが、色々と不安になってきてしまった。
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