眠り姫は目覚めたくない~王子様のキスなんていりません!

葉月くらら

文字の大きさ
10 / 12

10話 カルロの怒り

しおりを挟む
 ところがその日の夕刻、リディオが診察に来る前にカルロが再びセルラオ邸にやって来た。
 豪奢な馬車から降りてきたカルロは見るからに不機嫌な様子だ。

(またカルロ殿下……。先日来たばかりなのに)

 リディオ以外には見えないのだから隠れる必要はないけれど、なんとなく近寄りたくなくてイリアはそっと玄関の柱の陰から様子を覗いていた。
 今日も執事長と数人の侍女達が対応しようと出てきた。

「こ、これはカルロ殿下」
「挨拶はいい。イリアに会わせてもらえるかな」
「……それは先日も申しました通り、イリア様はご病気が良くならず殿下にお会いできる状態ではないのです」
「この僕が会いたいと言っているんだぞ。我儘もいいかげんにしろ!」
「で、殿下!?」

 いつも優雅に笑っていることの多かったカルロが珍しくイライラと執事長を怒鳴りつけた。そのまま執事長や侍女達を振り切って屋敷の中へと入って行く。イリアの部屋のある二階へと速足で上っていくカルロを慌ててイリアも追いかけた。

「まったく生意気な女だ。すべてあいつのせいじゃないか……。僕の邪魔ばかりして……!」

(カルロ殿下……何か焦っているの?)

 ぶつぶつと呟いているカルロの様子はいつもと違っていた。
 カルロはイリアの部屋の前で一度立ち止まるとノックをした。

「イリア、僕だ。君の婚約者のカルロだよ。返事をしておくれ」

 もちろんイリアは返事などできない。眠っているのだから。けれどそんなことを知らないカルロは舌打ちをした。背後からは執事長がようやく追いついてきた。

「カルロ殿下、申し訳ございません! イリア様は……」
「失礼、入らせてもらうよ」

(ええ!?)

 カルロは不機嫌な顔のままイリアの部屋の扉を開けた。
 王子とはいえ、女性の私室に無断で入るなど普通はありえないことだ。それにカルロは普段から王子としての優雅な振る舞いをする自分が好きだったはずだ。それができなくなるほどの事情が何かあるのだ。

(どうしよう)

「イリア?」

 しんと静まり返った薄暗い部屋の中ではイリアの身体が眠っている。
 ゆっくりとカルロが室内へと足を踏み入れた。

「いい加減我儘は……イリア、そこにいるのかい?」

 部屋の奥のベッドではイリアの身体が眠り続けている。
 しかしカルロは眠り病だということは知らない。ベッドへと不機嫌な様子を隠しもしないでつかつかと近づいていく。

「まったく、君との婚約を破棄してから僕は散々な目に遭ったよ。父上は大変お怒りだし、ルイーザは妃教育を3日で投げ出してしまった! しかも城の美しかった庭園は花は萎れ水は涸れ見る影もない! それもこれも君のせいで妖精達が怒ってしまったせいだというじゃないか!」

(妖精達が私のために怒って……)

 国王陛下が怒るのもルイーザが妃教育に耐えられないのも予想がついていたのでそれに驚きはしなかった。けれど妖精達の話は別だ。自然は妖精達がいるから豊かなのだ。イリアが傷つけられたことに怒ってどこかへ行ってしまったのだろうか。

「あげく父上は弟のジェレミアを第一王位継承者にするという……。今回の件の責任を取らされてこのままだと僕は廃嫡されるかもしれないんだぞ!」

 ジェレミアはカルロと年の離れた弟だ。まだ幼い弟を後継者にしようとするほど国王の怒りは強いのだろう。事態は思った以上に深刻なようだった。
 カルロはイリアとの婚約破棄を撤回することで国王に許しを請おうとしてここに来たのだ。

「イリア、聞いているのかい? いい加減狸寝入りは……」

(ああ! ちょ、ちょっとそんな勝手に)

 イリアが考え込んでいる間に怒ったカルロが布団を捲ろうとしていた。うら若き令嬢に対してなんという暴挙だろう。
 しかしイリアが何もできずに慌てていると執事長が止めに入った。

「おやめくださいカルロ殿下! イリア様は……眠り病なのです」
「……眠り病?」
「もう1か月以上お目覚めになりません……。このことは周囲に余計な心配をかけまいとするエルネスト様のご配慮により公表しておりませんでした」

 ぱちぱちと怒りと焦りの浮かんでいた青い瞳を瞬いてカルロが戸惑いの表情を浮かべる。

「それは本当なのかい?」

 呆然とした様子のカルロの言葉に執事長が頷いた。イリアは二人の間で様子を窺うことしかできない。なんとか今日の所はカルロが帰ってくれないか期待したのだが、そう簡単にはいかなかった。振り返ってイリアをじっと見つめたカルロが呟いた。

「少し二人きりにしてくれるかい?」

(ええ!?)

「……わかりました」

 執事長が深々とお辞儀をして退室していく。執事長の立場としては元婚約者、そして王子であるカルロにこれ以上逆らうのは難しいのだろう。正直二人きりになるのは不安しかないが。
 一体カルロはどうしたのだろう。戸惑いながらイリアは横からカルロを見つめた。
 ぱたん、と扉が閉まるとカルロは天井を見上げて涙を浮かべ嘆いた。

「ああイリア! 僕から別れを告げられたのがそんなにもショックだったんだね。まさか眠り病にかかってしまうなんて……。僕のことをそこまで愛してくれていたなんて」

(え?)

 イリアは目が点になった。
 別にイリアはカルロを愛してはいない。今までの努力が水の泡になってしまったという点で婚約破棄がショックだったのは事実だけれど。
 先ほどまでとはずいぶん態度が違う。カルロはイリアの手をそっと握ってベッドの脇に膝を突いた。

「でももう大丈夫だよ。ルイーザのことはちょっとした戯れだったのさ。彼女に将来の王妃は荷が重すぎる。僕に真に必要なのはイリア、君だよ。僕の元に帰っておいで」

(……なんて勝手な人なの?)

 イリアは呆れて何も言えなかった。
 一方的に婚約破棄しておいて自分の都合でイリアにまた婚約者になれとは。怒りが沸々と湧いてきた。

(元々好きではなかったけれど、こんなどうしようもない人のために今まで私は人生をかけてきたの?)

「イリア、僕は本で読んだことがある。眠り病を治す方法をだ」

(眠り病を治す?)

 ニコニコとうさんくさい笑みを浮かべたカルロが眠ったままのイリアへとにじり寄る。思わずイリアは精神体なのにゾッとしてしまった。

(やめてください。なにをするつもりなのですか?)

「眠り病を治すには本人の意思が大事だと聞いたことがある。きっと僕なら君を目覚めさせることができる。ずっと昔王城の図書室にある本で読んだのさ。眠り姫には王子のキスが特効薬だって――」

(き、キス!?)

 カルロはイリアの頬に手を当てた。本気でキスをするつもりなのだ。絶対に嫌だ、とイリアはたまらず悲鳴を上げていた。

「イリア……」

(ちょっと、本当にやめて――!!)



 バタン!!
 二人の唇が重なる直前に部屋の扉が外れそうな勢いで開いた。
 鬱陶しそうにカルロが離れていくのをほっとして見つめていたイリアは開いた扉を見て泣きそうになってしまった。

(リディオ先生……!)
「失礼いたします、カルロ殿下」

 扉を開けたのはリディオだった。
 慌てて走って来たのか肩で息をしていたカルロはイリアに一度視線を向けて頷いた。それから遠慮なく部屋へと入ってくる。

「下がれ、今は取り込み中だ」
「いえ、それは彼女の担当医として承諾いたしかねます」
「なに?」
「殿下、あなたは今何をなさろうとしていました?」

 おそらくイリアの叫び声がリディオにだけは聞こえたのだろう。イリアを守るようにカルロの前に立ったリディオはちらりと眠っているイリアの身体を見た。

「僕が彼女の目を覚ましてあげようとしただけだ。僕がキスをすれば彼女は目覚めるだろうからね」

 カルロは当然のようにそう言った。その自信は一体どこからくるのか不思議でならないとイリアは思った。そもそもカルロのキスで目覚めたいとはまったく思っていない。
 リディオはぱちりと眼鏡の奥の瞳を瞬いて驚いたように口を開いた。

「え!? 本人の了解も得ずにですか?」
「なんだって?」
「だって、イリア嬢が眠っている間にキスをするということですよね。同意もしていない相手に一方的にキスをするというのはどうかと……」
「え? それは……」

 仮にも一国の王子がそんなことをするのですか? という戸惑いを前面に出した表情のリディオの言葉にカルロが一瞬怯む。その通りだとイリアは何度も頷いた。眠り姫は物語だから問題になってないのであって現実にそんなことをしたら大問題である。

(ええ、本当にその通りです! 私はカルロ殿下とき、キスをするなんて了承してません!)

「う、うるさい! うるさい!! この僕からのキスを喜ばない女性がいるわけないだろう! 医者ごときが僕に口答えをするな!!」
「おい、ちょっと……!」

 けれどカルロはすぐに頭を横に振って怒鳴り散らした。イリアに目を覚ましてもらえなければ廃嫡の可能性が高いカルロは切羽詰まっているのだろう。リディオを押しのけてイリアの肩をカルロが掴んだ。

(やめてくださいって言ってるでしょう!?)

 ばこん!!

「ぐえ!?」

 その時イリアは咄嗟に近くに置いてあった本を掴んでカルロの後頭部を殴っていた。カルロが衝撃で床に沈む。そこでイリアは我に返った。そういえば精神体でも物に触れられるようになったのだった。
 よろよろとカルロが起き上る。

「き、貴様……、僕を誰だと思ってるんだ?」
「ああ、えーっと……」

 しまったとイリアは思った。今のイリアはカルロには見えないのだ。このままだとリディオが殴ったことになってしまう。けれどカルロは振り向いた体勢のままリディオの横を見つめて固まっていた。そこにはイリアが本を持ったまま立っているのだが、おそらくカルロにはただ本が浮いているようにしか見えないのだろう。

「な、え? どうして本が浮いて……!? どうなってるんだ?」
「えーっと……ああ、妖精が怒ってるのかも?」
「妖精だと?」

 リディオがちらりとイリアに目配せした。
 イリアはさっともう一度本を両手で高く掲げて、勢いよく振り下ろした。

「う、うわあ!?」

(早くここから出て行ってください!!)

 悲鳴を上げてカルロが腰を抜かしてしまった。
 キッとイリアはカルロを睨んだ。

(私はもうあなたの婚約者には戻りません! 妃教育ももうごめんです!!)

 イリアは近くにあった他の本やカップにランプ、それに枕と色々なものをカルロめがけて落としたり投げたりした。きっとカルロには部屋の中にある物が触れてもいないのに飛んだり落ちたりしているように見えていることだろう。

「ぎゃ!?」

 頭に何か当たったのかカルロが惨めな悲鳴を上げて部屋の中を逃げ惑う。

(これからの私は自由に生きます!)

 真っ青で涙目になったカルロが後ずさる。

「あー妖精達は本気で殿下にお怒りのようだー」
(リディオ先生棒読みすぎです)

 リディオの言葉にカルロはもう真っ青で涙目だ。

「う、うわああああ!?」

 腰が抜けている転がるように悲鳴を上げてカルロが部屋から飛び出していく。
 イリアとリディオはその後ろ姿をぽかんとした顔で眺めていた。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

初夜に暴言を吐いた夫は後悔し続ける──10年後の償い【完結】

星森 永羽(ほしもりとわ)
恋愛
王命により、辺境伯ロキアのもとへ嫁いだのは、金髪翠眼の美しき公爵令嬢スフィア。 だが、初夜に彼が告げたのは、愛も権限も与えないという冷酷な宣言だった。噂に踊らされ、彼女を「穢れた花嫁」と罵ったロキア。 しかし、わずか一日でスフィアは姿を消し、教会から届いたのは婚姻無効と慰謝料請求の書状──。 王と公爵の怒りを買ったロキアは、爵位も領地も名誉も奪われ、ただの補佐官として生きることに。 そして十年後、運命のいたずらか、彼は被災地で再びスフィアと出会う。 地位も捨て、娘を抱えて生きる彼女の姿に、ロキアの胸に去来するのは、悔恨と赦しを乞う想い──。 ⚠️本作はAIの生成した文章を一部に使用しています。

『「君は飾りだ」と言われた公爵令嬢、契約通りに王太子を廃嫡へ導きました』

ふわふわ
恋愛
「君は優秀だが、王妃としては冷たい。正直に言えば――飾りとしては十分だった」 そう言って婚約者である王太子に公然と切り捨てられた、公爵令嬢アデルフィーナ。 さらに王太子は宣言する。 「王家は外部信用に頼らない」「王家が条文だ」と。 履行履歴も整えず、契約も軽視し、 新たな婚約者と共に“強い王家”を演出する王太子。 ――ですが。 契約は宣言では動きません。 信用は履歴の上にしか立ちません。 王命が止まり、出荷が止まり、資材が止まり、 やがて止まったのは王太子の未来でした。 自ら押した承認印が、 自らの継承権を奪うことになるとも知らずに。 公然侮辱から始まる、徹底的な強ザマァ。 救済なし。 やり直しなし。 契約通りに処理しただけですのに―― なぜか王太子が廃嫡されました。

婚約破棄された王太子妃候補は第一王子に気に入られたようです。

永野水貴
恋愛
侯爵令嬢エヴェリーナは未来の王太子妃として育てられたが、突然に婚約破棄された。 王太子は真に愛する女性と結婚したいというのだった。 その女性はエヴェリーナとは正反対で、エヴェリーナは影で貶められるようになる。 そんなある日、王太子の兄といわれる第一王子ジルベルトが現れる。 ジルベルトは王太子を上回る素質を持つと噂される人物で、なぜかエヴェリーナに興味を示し…? ※「小説家になろう」にも載せています

【旦那様は魔王様 外伝】魔界でいちばん大嫌い~絶対に好きになんて、ならないんだから!~

狭山ひびき
恋愛
「あんたなんか、大嫌いよ!」ミリアムは大きく息を吸い込んで、宣言した。はじめてアスヴィルと出会ったとき、彼は意地悪だった。二度と会いたくないと思うほど嫌っていたのに、ある日を境に、アスヴィルのミリアムに対する態度が激変する。突然アスヴィルは、ミリアムを愛していると言い出したのだ。しかしミリアムは昔のまま、彼のことが大嫌い。そんなミリアムを振り向かせようと、手紙やお菓子、果ては大声で愛を叫んで、気持ちを伝えようとするアスヴィル。果たして、アスヴィルの気持ちはミリアムに届くのか―― ※本作品は、【旦那様は魔王様!】の外伝ですが、本編からは独立したお話です。

完結 辺境伯様に嫁いで半年、完全に忘れられているようです   

ヴァンドール
恋愛
実家でも忘れられた存在で 嫁いだ辺境伯様にも離れに追いやられ、それすら 忘れ去られて早、半年が過ぎました。

婚約破棄すると言われたので、これ幸いとダッシュで逃げました。殿下、すみませんが追いかけてこないでください。

桜乃
恋愛
ハイネシック王国王太子、セルビオ・エドイン・ハイネシックが舞踏会で高らかに言い放つ。 「ミュリア・メリッジ、お前とは婚約を破棄する!」 「はい、喜んで!」  ……えっ? 喜んじゃうの? ※約8000文字程度の短編です。6/17に完結いたします。 ※1ページの文字数は少な目です。 ☆番外編「出会って10秒でひっぱたかれた王太子のお話」  セルビオとミュリアの出会いの物語。 ※10/1から連載し、10/7に完結します。 ※1日おきの更新です。 ※1ページの文字数は少な目です。 ❇❇❇❇❇❇❇❇❇ 2024年12月追記 お読みいただき、ありがとうございます。 こちらの作品は完結しておりますが、番外編を追加投稿する際に、一旦、表記が連載中になります。ご了承ください。 ※番外編投稿後は完結表記に致します。再び、番外編等を投稿する際には連載表記となりますこと、ご容赦いただけますと幸いです。

久しぶりに会った婚約者は「明日、婚約破棄するから」と私に言った

五珠 izumi
恋愛
「明日、婚約破棄するから」 8年もの婚約者、マリス王子にそう言われた私は泣き出しそうになるのを堪えてその場を後にした。

『婚約破棄?――では、その責任は王国基準で清算いたしましょう』 ~義妹と継母に追い落とされた令嬢は、王妃となって制度ごと裁きます~

しおしお
恋愛
「お前との婚約は破棄する。俺は“真実の愛”を選ぶ」 王立舞踏会の中央でそう宣言したのは、王太子。 隣には涙ぐむ義妹。背後には満足げに微笑む継母。 公爵令嬢アウレリアは、家を奪われ、名誉を奪われ、居場所を奪われた。 ――ですが。 「では、契約に基づき、責任を清算いたしましょう」 泣き崩れることも、取り乱すこともない。 彼女が差し出したのは“感情”ではなく、完璧な契約書。 婚約破棄には代償がある。 署名には意味がある。 信用には重みがある。 それを軽んじた者たちが支払うのは―― 想像を超える“王国基準”の清算。 義妹は称号を失い、 継母は社交界から排除され、 元婚約者は王太子の座すら危うくなる。 そして彼女は―― 「奪われた」のではない。 “選ぶ側”へと立場を変える。 これは、感情で騒がず、 制度で叩き潰す令嬢の物語。 徹底的に。 容赦なく。 そして、二度と同じ愚行が起きぬように。 最強の強ザマァ、ここに開幕。

処理中です...