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「私は浮気は咎めません。私の正妻としての立場を守っていただければ、心も身体もどちらもご自由にどうぞ」
「は?」
夜も更けた時間帯。
寝台の横にあるランプがぼんやりと少々大きすぎるベッドで向かい合っている二人を照らしていた。
赤毛に若葉色の瞳をした青年はぽかんとした顔をして、花嫁である女性を見つめている。栗色のくせっけを背中に降ろしたまだ少々あどけなさの残る花嫁、オリヴィアはしごくさっぱりとした顔で言うのだ。
「貴族同士の結婚がどういうものかは、私も理解しておりますわ。カイル様」
二人は今日、神の前で誓いを立てて夫婦になった。
そしてこれからいよいよ初夜、という段階になってオリヴィアがロマンチックな雰囲気には似つかわしくない話を始めたのだ。
夫となったカイルは困惑していた。そりゃあ、する。
「待ってくれ、オリヴィア。それはどういう意味だ?」
「これから真に夫婦になるにあたって私のスタンスはお伝えしておこうかと思ったのです。結婚は契約。カイル様には我がバートン伯爵家から援助する代わりに穀物や家畜を他領より安価に融通していただくことになりました。そのための私達の結婚です」
「……それは確かにそうだが、浮気をしていいというのはどういうことだ。俺が気に入らないのか?」
「いいえ、カイル様はいい人だと思います。ですが、貴族の夫婦というのは上辺だけのものでしょう?」
しごく真面目な様子でオリヴィアが告げる。その言葉に一切の嘘はないようだった。だからこそ、事態は深刻だとカイルには思えた。
「君は俺と上辺だけの夫婦になるつもりなのか」
「もちろん妻としての義務は果たしますし家族としてカイル様をお支えします」
「……それが契約だから?」
「そうです」
まったく眩暈がしそうな会話だった。
幸せな結婚式から一転、どうやら花嫁であるオリヴィアとは結婚や夫婦の解釈に重大な齟齬があるらしい。
「俺は君を愛する権利が欲しい。そうプロポーズしたはずだが」
あんな恥ずかしい言葉を吐くことはもう生涯無いと思っていたのに自分で確認のためにまた言う羽目になるとは。それは三ヶ月ほど前、彼女に結婚の申し込みをした時の言葉だった。
どこか素朴で愛らしい大きな瞳を瞬いてオリヴィアが首を傾げた。
「はい、そうおっしゃいました。でも、燃え上がる愛は一時のものですから」
どこか達観したように彼女は苦笑する。
今度こそカイルは絶望で倒れそうだった。
二人に結婚の話が持ち上がったのは一年ほど前のことだった。
広大な農地を持つブランシュ伯爵家の長男であるカイルは、その少し前に父を急な病で亡くしていた。作物の良く育つ国の食糧庫と言われるような土地だったが、ここ数年は災害に襲われることが多く収穫量が激減していた。そのため他領や国に借金もあり慣れない領地経営にカイルは苦労していた。
そんな時に隣領のバートン伯爵から娘のオリヴィアとの縁談を持ち掛けられたのだ。バートン伯爵領は商売や工業で成り立っている。その反面、農地は少なく作物は他領から買い付けることが多いらしい。
そのためオリヴィアと結婚することでバートン伯爵家がブランシュ家に多額の援助をし、その代わりに作物や家畜を他領より安く提供する。そういう約束をともなった結婚だった。
つまりは政略結婚なわけだ。
(珍しくもないことではあるが)
カイルは一人、夜の庭で煙草をふかしていた。
とりあえず初夜は一旦ストップとなり、冷静になるため一人になったのだ。
初めてオリヴィアと出会った日のことを思い返す。彼女は庭園で侍女達と一緒に花の世話をしていた。一つに高い位置でまとめた栗色の髪が風に揺れて、青空のような瞳がきらきらと輝いていた。特別美人というわけではなかったが、かざらない笑顔が可愛らしい人だとカイルは一目で彼女を好きになったのだった。
カイルは口下手な男だった、
特に女性相手にはそうだ。それでも必死に彼なりに拙い言葉で彼女への好意を伝えてきたつもりだ。
まずは名前を呼んでいいか許可をもらい、プレゼントを贈り、花を贈り、書くのに三日もかかった愛を綴った手紙も送った。デートも何度かした。
そのたび彼女は「ありがとうございます。嬉しいです」と微笑んだ。
そしてとんとん拍子に結婚まで進んだけれど、今思い返してみると、オリヴィアが、あのカイルが一目惚れした飾らない笑顔を見せてくれたことは一度もなかったように思う。
いつも行儀よく上品な令嬢としての作られた微笑みをオリヴィアはしていた。
(浮気をしていいだなんて、彼女は俺を愛していないのだろうか? ……いや、そもそもの結婚観がいくらなんでも偏りすぎではないか? どうしてあんな寂しいことを言うんだ彼女は)
貴族の結婚は政略結婚――。
確かにそれはそうだし、カイルの両親だってそうだった。だからと言って亡くなった両親はとても仲陸奥まじかったし、けして浮気を容認なんてしていなかったと思う。
世の中には仮面夫婦という者達がいるらしいとは聞いてはいたが、まさか自分たちがそうなるのだろうか?
結婚第一日目だというのに恐ろしい予感にカイルはゾッとした。
(い、いや駄目だ。それは駄目だ。……とにかく。彼女の気持ちをもっと、ちゃんと確かめなくては)
初夜はそれからでもいい。
まずはちゃんと心が繋がれなければ意味がないとカイルは決意した。
まずはオリヴィアの心を開こうと。
「は?」
夜も更けた時間帯。
寝台の横にあるランプがぼんやりと少々大きすぎるベッドで向かい合っている二人を照らしていた。
赤毛に若葉色の瞳をした青年はぽかんとした顔をして、花嫁である女性を見つめている。栗色のくせっけを背中に降ろしたまだ少々あどけなさの残る花嫁、オリヴィアはしごくさっぱりとした顔で言うのだ。
「貴族同士の結婚がどういうものかは、私も理解しておりますわ。カイル様」
二人は今日、神の前で誓いを立てて夫婦になった。
そしてこれからいよいよ初夜、という段階になってオリヴィアがロマンチックな雰囲気には似つかわしくない話を始めたのだ。
夫となったカイルは困惑していた。そりゃあ、する。
「待ってくれ、オリヴィア。それはどういう意味だ?」
「これから真に夫婦になるにあたって私のスタンスはお伝えしておこうかと思ったのです。結婚は契約。カイル様には我がバートン伯爵家から援助する代わりに穀物や家畜を他領より安価に融通していただくことになりました。そのための私達の結婚です」
「……それは確かにそうだが、浮気をしていいというのはどういうことだ。俺が気に入らないのか?」
「いいえ、カイル様はいい人だと思います。ですが、貴族の夫婦というのは上辺だけのものでしょう?」
しごく真面目な様子でオリヴィアが告げる。その言葉に一切の嘘はないようだった。だからこそ、事態は深刻だとカイルには思えた。
「君は俺と上辺だけの夫婦になるつもりなのか」
「もちろん妻としての義務は果たしますし家族としてカイル様をお支えします」
「……それが契約だから?」
「そうです」
まったく眩暈がしそうな会話だった。
幸せな結婚式から一転、どうやら花嫁であるオリヴィアとは結婚や夫婦の解釈に重大な齟齬があるらしい。
「俺は君を愛する権利が欲しい。そうプロポーズしたはずだが」
あんな恥ずかしい言葉を吐くことはもう生涯無いと思っていたのに自分で確認のためにまた言う羽目になるとは。それは三ヶ月ほど前、彼女に結婚の申し込みをした時の言葉だった。
どこか素朴で愛らしい大きな瞳を瞬いてオリヴィアが首を傾げた。
「はい、そうおっしゃいました。でも、燃え上がる愛は一時のものですから」
どこか達観したように彼女は苦笑する。
今度こそカイルは絶望で倒れそうだった。
二人に結婚の話が持ち上がったのは一年ほど前のことだった。
広大な農地を持つブランシュ伯爵家の長男であるカイルは、その少し前に父を急な病で亡くしていた。作物の良く育つ国の食糧庫と言われるような土地だったが、ここ数年は災害に襲われることが多く収穫量が激減していた。そのため他領や国に借金もあり慣れない領地経営にカイルは苦労していた。
そんな時に隣領のバートン伯爵から娘のオリヴィアとの縁談を持ち掛けられたのだ。バートン伯爵領は商売や工業で成り立っている。その反面、農地は少なく作物は他領から買い付けることが多いらしい。
そのためオリヴィアと結婚することでバートン伯爵家がブランシュ家に多額の援助をし、その代わりに作物や家畜を他領より安く提供する。そういう約束をともなった結婚だった。
つまりは政略結婚なわけだ。
(珍しくもないことではあるが)
カイルは一人、夜の庭で煙草をふかしていた。
とりあえず初夜は一旦ストップとなり、冷静になるため一人になったのだ。
初めてオリヴィアと出会った日のことを思い返す。彼女は庭園で侍女達と一緒に花の世話をしていた。一つに高い位置でまとめた栗色の髪が風に揺れて、青空のような瞳がきらきらと輝いていた。特別美人というわけではなかったが、かざらない笑顔が可愛らしい人だとカイルは一目で彼女を好きになったのだった。
カイルは口下手な男だった、
特に女性相手にはそうだ。それでも必死に彼なりに拙い言葉で彼女への好意を伝えてきたつもりだ。
まずは名前を呼んでいいか許可をもらい、プレゼントを贈り、花を贈り、書くのに三日もかかった愛を綴った手紙も送った。デートも何度かした。
そのたび彼女は「ありがとうございます。嬉しいです」と微笑んだ。
そしてとんとん拍子に結婚まで進んだけれど、今思い返してみると、オリヴィアが、あのカイルが一目惚れした飾らない笑顔を見せてくれたことは一度もなかったように思う。
いつも行儀よく上品な令嬢としての作られた微笑みをオリヴィアはしていた。
(浮気をしていいだなんて、彼女は俺を愛していないのだろうか? ……いや、そもそもの結婚観がいくらなんでも偏りすぎではないか? どうしてあんな寂しいことを言うんだ彼女は)
貴族の結婚は政略結婚――。
確かにそれはそうだし、カイルの両親だってそうだった。だからと言って亡くなった両親はとても仲陸奥まじかったし、けして浮気を容認なんてしていなかったと思う。
世の中には仮面夫婦という者達がいるらしいとは聞いてはいたが、まさか自分たちがそうなるのだろうか?
結婚第一日目だというのに恐ろしい予感にカイルはゾッとした。
(い、いや駄目だ。それは駄目だ。……とにかく。彼女の気持ちをもっと、ちゃんと確かめなくては)
初夜はそれからでもいい。
まずはちゃんと心が繋がれなければ意味がないとカイルは決意した。
まずはオリヴィアの心を開こうと。
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