夏蠅

うい

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夏蠅

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昭和十九年 七月
 夏の暑さに釣られ小蠅がやってきたのだろうか、耳元で小さな羽音がする
「あぁ、最悪だわ」
ボソリと私は呟いた、いや思ったのだろうかそれほど呟いた声は小さかった気がする。
暑さにやられ、倒れ込むようにぐっすりと寝ていた私にとってこの羽音の目ざましは不快に感じた。。
しかしそんな私をよそに蠅もこの暑さには疲れたのか、まるで休みどころを求めるようにふらふらと私の付近に下りてきた。
「あゝ、本当に嫌になるなぁ」
今度はしっかりと声を出しゆったりと頭を上げた私に、驚異を覚え逃げるかのように再び蠅は小窓へと力なく飛んで行った。
飛んでった蠅を横目に私は時計を見た、時刻は19時もうそろそろあの人が帰ってきてもおかしくない時間だった。
・・・さて、夕方からぐっすりと寝ていた私は少々寝すぎたことを反省し、この後どうしようかと考えた。
とその時、ガタガタギィギィと錆びついた玄関の戸の音を鳴らしドタドタと慌ただしくあの人が帰ってきた。
 彼は帰ってくるなり私のかをまじまじと見つめ、どうだ気持ちよく眠れたか、とニヤニヤと笑いながら問いかけてきた。
私はギョッと驚いた、何故ばれたのかと焦ったが直ぐに私は理解した。
私の頬にうっすらと畳のあとがついていたのだ、頬に手をあて理解した私は恥ずかしい思いで顔を赤くし、顔を俯かせた。
それを見た彼は口角をさらに吊り上げ、ニンマリと笑っていた。
私は何とか話題をそらそうとひとつ気になることを聞いた。
「そんなことより、大分慌ただしかったですがなにかあったのですか」
その瞬間かれはさっきまで吊り上がってた口角を反転させたかのように顔をこわばらせこちらをじっと見つめてきた。
私は話題がそれてほっとした半面、なにがあったのかと緊張していた。
すると彼は鞄からそっと1枚の紙を取り出した。それは赤紙、政府からの出撃命令だった。
 ...うん、正直見たときは、あぁついに下ったかと思った、むしろ少し遅いぐらいに感じていたと思うよ。
隣の元さんは1月前にいただいていた、向かいの大山さんは半年も前にいただいていた。
まぁ、家の旦那は少々体が弱いから遅くなったのだろうと自分のなかで結論つけていた。
しかし、なんだいその顔はふと目線を顔に戻してみたら表情はより険しくなってるじゃないか、
喜びなよ、お国のために死ねるのだから、元さんの時だって、大山さんの時だって私たちは笑顔でおめでとうって見送ったじゃないか
 わかってるよ、おめでとうといえるのは他人だからさ、どうせどうせ自分事ではないからさ。
口では嬉しいだの万歳だの言ったって心の中でも自分にそう言えるほど夫は狂人ではない。
いつだって人は予想もできない明日にいろんな思いを馳せて生きている、その明日をどうぞお国のためにと打ち捨ててくださいと言われれば、
頭でわかっていてもこころが拒絶する。意識的ではなく無意識的に、
まぁ召集されたこともない女が延々とこんなことを考えていても本当の気持ちは知らないままだ。
ならさっさとできる嫁にならねばならぬ、岩のようにじっと固まって答えをいまかいまかと待ち望んでいる彼に
「おめでとうございます、良かったじゃないですかこの国のため、道のため多くの敵を殺してきてください。」
あゝ今聞いても完璧な嫁であったと自負している、夫の死に悦び、なるべく多くの人を殺める殺人鬼になれ、と
追加注文をしたのだ。冷酷、冷徹、だがここに第三者がいたのならよく言ったと誉め称えていただろう。
だからできる嫁なのだ。
皮肉などではないさ、本当だよ?本当さ。
彼はそれを聞きゆっくりとそうだなと言い顔を緩めた
そこからは他愛もない会話さ
「いつからですの」、
「明日にでも」
「あら意外と速いんですね」
「ああ、だから今日は色々と荷物をまとめたい」
なんて会話を三言四言交わしその日は何事もなくその日は過ぎ
次の日の天気は憎くなるほど快晴に満ちていた
 私は旗を持ち、おめでとういってらっしゃいと声を上げ彼を見送った
見送った後後ろを振り返ると何故か家が一回り大きく見えた
そんな家に居心地の悪さを感じ、出ていったかのような蠅はゆったりと夫の後を追って消えてった。


昭和二十一年 七月
 戦争の終わりを告げるラジオももう一年も前に流れたが
結局あれから彼どころか一通の彼からの手紙も家に来ることはなかった。
あの人がいない二年何も変わらなかったといえば嘘になる。いや、それどころか変ったことしか起きなかった。
顔を合わせればお国のためにお国のためにと言う連中、中には自分の息子の訃報を喜んで自慢する人もいたか。
しかし、あの放送以降私たちの世界は急激に変化していった。
最初のころは誰もが信じまいと息巻いていたがわずか数日で誰からかポツリポツリと戦争なぞしてはいけなかったのだ
と呟き始め1月もたてば亡くなった息子たちに何故だと悲しみ、戦争はしてはいけないものなんだと騒ぎ始めていた。
なんて変わりよう、たった一つの放送でまるで別世界へと来てしまったかのようになってしまった。
諸行無常常に変わっていくのがこの世の理、しかしそんな変化を目の前にした私は笑うしかなかった。
笑顔で彼らを死地へと見送った私たちはどんなに取り繕っても一生殺人者、英雄として亡くなったはずの
彼らには憐れな戦争の犠牲者扱い、そんな私達が幸せになるどころか願う権利すらあるのか。

あるわけ無いのだ、あなたの未来を奪った私に、ここから先平和な世界えと歩めるのはまだ穢れも知らない子供たちだけ。
だからごめんなさい、私はしっかりと罪を背負って生きてからあなたの元へと向かいます。
私が見つめる先にはあの人の手記と訃報を告げる手紙が置いてあった。



昭和二十年 十一月
 転々と場所を変えあの人へ手紙を送ることもできず、多忙な毎日を送る。
そんな私にもついに出撃の日を明日へと控えた。やりたいこと、書きたいことそれは沢山あるが、もう今となっては遅すぎた夢となってしまった。
僅か二十一というこんな若造に大切なあの人を託してくださったご両親、兄様、妹様、至らぬ私にかけてくださった親切、優しさとても言葉に言い表せるものではないが
今一度最後に心から「ありがとうございます」と御礼を伝えたい。そして私を支えてくれた葵、あいつは私には過ぎた嫁だった。
秀才で愛想がよく、家事もでき、笑った時にできたえくぼがとても可愛らしい女だった。
だからあの人はきっとこれからも人として正しい道へと歩み続けれるだろう、
けれど正しいからこそあの人はきっと過去の私に囚われてしまうのかもしれない。
しかしどうか私を見ずに今を生きてほしい、私はこれから過去の人となる、しかし彼女は今を生きていく、
苦しいだろうがどうか過去に囚われず新しい未来を生きてほしい。過去とは遠くで今を見守っているものなのだ。
常に客観的に物事を考えられる彼女ならこの言葉が自分勝手な一言ではないと信じてる。

 旅立つ前日この言葉をあなたへと送ることができなかった、言ってしまえばもう二度とあなたの顔を見ることができないとおもったからか、変な意地を張らなければよかった。
その結果お互いつくろった最後となってしまった、私たちは私はただただ今を流している、あの時は笑顔で去ったが今この場の顔が本音だ。
葵、
会いたい、
話したい、
抱きしめたい、
強く強く、
ただひたすらに。

彼女の今後に幸を願い、今度は心から微笑んで征こう。
明日も、そして永遠に。


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