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翌朝——マシューはそびえ立つセシルの魔術師塔を見上げ、ごくりと喉を鳴らした。
セシルからはしばらく来るなと言われていたが、一晩眠れば機嫌が直っている——という一縷の望みにかけ、出入り口の扉を叩いた。
「セシルー? 昨日は本当にごめん。開けてくれないか?」
山盛りのパンケーキがあるぞ、という呼びかけに応える声はなく、取っ手に手をかけるも、びくともしなかった。おそらく魔術による施錠が施されているそれにマシューはなす術なく、落胆に肩を落とした。
そんなマシューの背に、声をかける女性がいた。
「あーあ。しょぼくれちゃってぇ……みっともないったら」
「エレナ?」
「しょうがないから、あたしがつき合ってあげるわ」
「いや、でも……」
「なによ、せっかく作ったのに、捨てちゃうの? もったいなぁい」
マシューに腕を絡めたエレナが背後を振り返り、塔の窓辺に立つ人影へと一瞥をくれたことに、マシューは気づいていなかった。
セシルはマシューの呼びかけの後に聞こえた、甲高く耳障りな女の声が気にかかり、窓辺に身を寄せた。窓の外に馴れ馴れしくマシューの腕にしなだれかける女の姿を認め、魔術師は不快気に眉をひそめた。すると女は挑戦的にこちらを見上げ、馬鹿にするかのような顔つきで口角を上げたのが、セシルの目にはっきりと映った。
——あの女は……!
『あなたは、マシューに相応しくない!』
一年と少し前、雪の降る寒い日——半ば凍った泥団子をあの女から投げ付けられたことに、セシルは思い至った。
「なんのつもりだ!」
——マシューは私の……いや、違う……。
セシルは、小さくなっていく二人の影を視界から追い出すために、ガタンッ——と木窓を閉じた。
「私は君に相応しくない、か——」
セシルは眼裏にマシューの顔を思い浮かべた。挫けそうになったとき浮かぶ、やさしい笑顔。誰よりも大切な、愛する人が自分に笑いかけるその顔を——。
11歳のセシルにとって、王都の魔術学院は目の回るほどに忙しく、息を吐く間もない場所だった。朝から晩まで授業と課題に追われ、夜も更けた刻限にやっと寝台へ上がる頃には疲れ果てていて、泥のように眠った。マシューに手紙を書く時間と体力の余裕はなく、手紙の約束すらいつしか忘れてしまっていた。
翌朝、陽の昇らない内から始業の鐘に叩き起こされ、慌ただしい一日が始まりを告げる。
セシルは魔術学院での、過酷な修行とも呼べる日々を何とかこなし、一年、また一年と学びを重ねた。忙しく、かつ困難な日々の連続だったが、新しい知識に触れ、自分のものとしていく喜びを味わい、魔術師として成長を続けていた。
ある日、目の下に濃い色の隈を作った同輩の少年が、セシルに恨めしげな目を向け、こう言った。
「僕には無理だ。お前と違って、才能ないから」
セシルはなんと返したものかと一瞬だけ思案し、そっぽを向いて口を開いた。
「……私に言われても」
「ああ、お前にはわかんないよな……」
その言葉を最後に、姿を消した同級生の名前を、セシルはもう思い出せない。ある者は授業についていけず、またある者は己の才能のなさに見切りをつけ、ひとり、またひとりと、学園を去っていくものが続いた。
五年後——各地から集められた魔術の才に溢れた者たちの中から、さらに選別された一握りの者たちだけが、魔術学院の課程を修めたとして認められ、特別な魔術師として優遇される権利を得る。
卒業生の内、ある者は魔術師として宮廷に召し抱えられ、またある者は一流冒険者のパーティへと迎え入れられた。
セシルは魔術の研究及び開発の分野において才能を発揮し、在学中から認められ、学院の一画に専用の研究室を与えられた。
卒業後もその場所で魔術の研究に打ち込むセシル。学院出の優秀な魔術師と手を組み、共同研究を行うことになった。多くの出資者たちからの賛同すら得て、すべて順調だとセシルは思っていた。
*
次の日——と言ってもセシルは一睡もしていなかったが——夜が明け、靄が立ち込めると、セシルの作業効率は目に見えて低下し始めた。
——今日……マシューは来るだろうか?
セシルは後悔していた。昨日、わざわざ足を運び謝罪したマシューを無視し続け、その結果、マシューを狙う村の女につけ入る隙を与えてしまったことを。
一昨日の夜にマシューがしたことを、セシルはまだ許してはいなかったが、女は今朝も塔の近くで見張っているに違いない。これ以上、敵の好きにさせてはなるものか——とセシルは煮え立つ鍋の中身をかき混ぜながら、不敵な笑みを浮かべていた。
「来た……!」
侵入者対策としてセシルは、塔の近辺に近づく生物を感知する魔術を仕掛けていた。マシューの気配を認め、セシルの心はにわかに浮足立つ。
「セシルー。今日はパンプディングを作ってきたぞー」
マシューの声に、セシルは安堵の溜め息を吐く。
「セシルー? まだ怒ってるのか? ごめんって……」
——鍵が開いてるのに気づいてないのか? 馬鹿め……。
セシルは待ちきれず——女がしゃしゃり出てきてしまう! ——鍋にかけた火を止め、扉の前へと歩み寄った。
セシルからはしばらく来るなと言われていたが、一晩眠れば機嫌が直っている——という一縷の望みにかけ、出入り口の扉を叩いた。
「セシルー? 昨日は本当にごめん。開けてくれないか?」
山盛りのパンケーキがあるぞ、という呼びかけに応える声はなく、取っ手に手をかけるも、びくともしなかった。おそらく魔術による施錠が施されているそれにマシューはなす術なく、落胆に肩を落とした。
そんなマシューの背に、声をかける女性がいた。
「あーあ。しょぼくれちゃってぇ……みっともないったら」
「エレナ?」
「しょうがないから、あたしがつき合ってあげるわ」
「いや、でも……」
「なによ、せっかく作ったのに、捨てちゃうの? もったいなぁい」
マシューに腕を絡めたエレナが背後を振り返り、塔の窓辺に立つ人影へと一瞥をくれたことに、マシューは気づいていなかった。
セシルはマシューの呼びかけの後に聞こえた、甲高く耳障りな女の声が気にかかり、窓辺に身を寄せた。窓の外に馴れ馴れしくマシューの腕にしなだれかける女の姿を認め、魔術師は不快気に眉をひそめた。すると女は挑戦的にこちらを見上げ、馬鹿にするかのような顔つきで口角を上げたのが、セシルの目にはっきりと映った。
——あの女は……!
『あなたは、マシューに相応しくない!』
一年と少し前、雪の降る寒い日——半ば凍った泥団子をあの女から投げ付けられたことに、セシルは思い至った。
「なんのつもりだ!」
——マシューは私の……いや、違う……。
セシルは、小さくなっていく二人の影を視界から追い出すために、ガタンッ——と木窓を閉じた。
「私は君に相応しくない、か——」
セシルは眼裏にマシューの顔を思い浮かべた。挫けそうになったとき浮かぶ、やさしい笑顔。誰よりも大切な、愛する人が自分に笑いかけるその顔を——。
11歳のセシルにとって、王都の魔術学院は目の回るほどに忙しく、息を吐く間もない場所だった。朝から晩まで授業と課題に追われ、夜も更けた刻限にやっと寝台へ上がる頃には疲れ果てていて、泥のように眠った。マシューに手紙を書く時間と体力の余裕はなく、手紙の約束すらいつしか忘れてしまっていた。
翌朝、陽の昇らない内から始業の鐘に叩き起こされ、慌ただしい一日が始まりを告げる。
セシルは魔術学院での、過酷な修行とも呼べる日々を何とかこなし、一年、また一年と学びを重ねた。忙しく、かつ困難な日々の連続だったが、新しい知識に触れ、自分のものとしていく喜びを味わい、魔術師として成長を続けていた。
ある日、目の下に濃い色の隈を作った同輩の少年が、セシルに恨めしげな目を向け、こう言った。
「僕には無理だ。お前と違って、才能ないから」
セシルはなんと返したものかと一瞬だけ思案し、そっぽを向いて口を開いた。
「……私に言われても」
「ああ、お前にはわかんないよな……」
その言葉を最後に、姿を消した同級生の名前を、セシルはもう思い出せない。ある者は授業についていけず、またある者は己の才能のなさに見切りをつけ、ひとり、またひとりと、学園を去っていくものが続いた。
五年後——各地から集められた魔術の才に溢れた者たちの中から、さらに選別された一握りの者たちだけが、魔術学院の課程を修めたとして認められ、特別な魔術師として優遇される権利を得る。
卒業生の内、ある者は魔術師として宮廷に召し抱えられ、またある者は一流冒険者のパーティへと迎え入れられた。
セシルは魔術の研究及び開発の分野において才能を発揮し、在学中から認められ、学院の一画に専用の研究室を与えられた。
卒業後もその場所で魔術の研究に打ち込むセシル。学院出の優秀な魔術師と手を組み、共同研究を行うことになった。多くの出資者たちからの賛同すら得て、すべて順調だとセシルは思っていた。
*
次の日——と言ってもセシルは一睡もしていなかったが——夜が明け、靄が立ち込めると、セシルの作業効率は目に見えて低下し始めた。
——今日……マシューは来るだろうか?
セシルは後悔していた。昨日、わざわざ足を運び謝罪したマシューを無視し続け、その結果、マシューを狙う村の女につけ入る隙を与えてしまったことを。
一昨日の夜にマシューがしたことを、セシルはまだ許してはいなかったが、女は今朝も塔の近くで見張っているに違いない。これ以上、敵の好きにさせてはなるものか——とセシルは煮え立つ鍋の中身をかき混ぜながら、不敵な笑みを浮かべていた。
「来た……!」
侵入者対策としてセシルは、塔の近辺に近づく生物を感知する魔術を仕掛けていた。マシューの気配を認め、セシルの心はにわかに浮足立つ。
「セシルー。今日はパンプディングを作ってきたぞー」
マシューの声に、セシルは安堵の溜め息を吐く。
「セシルー? まだ怒ってるのか? ごめんって……」
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